失地回復
ペッカトリアの囚人たちが、ドグマの宮殿にぞくぞくと集まってきている。
スカーは門扉の近くに腰を下ろしながら、やってくる一人一人には声をかけていた。
「よお、メガロ」
「聞いたぜ、兄貴……災難だったそうじゃねえか」
そう言って複雑そうな表情を浮かべるのは、弟分のメガロだった。
スカーが見込んで昇格させてやった囚人で、いわばあのラスティと同じくスカーの派閥に属する手下の一人。
便利な魔法を持つメガロは、スカーが特に目をかけてやっていた囚人でもあった。
メガロはちらりとスカーの足を一瞥した。そこには、血の滲んだ包帯がある。
メガロは血を見ると興奮する。一種の職業病というやつだろう――つまりは、彼の魔法がそういう力をもっているわけだ。
「その傷は、偽物にやられたのかい?」
「違う。脱獄するために自分で砕いた」
「……自分で?」
「そうとも、大変な目に遭ったのさ。まさか監獄の中に入ってまで、牢屋に入れられるとは思わなかったぜ」
「ちげえねえ! 囚人はこの地で、自由であるべきだってのによ!」
「お前は偽者の俺を見て、違和感を覚えなかったのか? もし俺の手下に彼女の変装を見破れるやつがいれば、もっと早くあの鉄格子から抜け出せたってのによ」
スカーがそう言うと、メガロは突然怯えたような顔になった。
「い、いや、もちろん、わかってたとも……本物の兄貴と、最近のあいつは……全然違ってたからな……」
「じゃあてめえは、わかっててその違和感を放置したってのか?」
「いや、その、そういうわけじゃ……」
「正直に言えよ、メガロ……」
スカーは『苦痛の腕』でメガロの胸ぐらを掴むと、強引に引き寄せた。お互いの息づかいがわかるほどの距離で睨むと、メガロは真っ青になってブルブルと震えだす。
「待ってくれよ、兄貴……」
「わからなかったんだろ?」
「あ、ああ……」
「すばらしい……ではやはりメニオールは、俺のことを完全に理解してくれてたってことだ……」
スカーはうっとりとそう言い、メガロを突き放した。
「俺を演じていた人は、メニオールっていうんだ。覚えておけ」
「……わかったよ」
それからスカーは傷のある顔を歪め、メガロを鋭い目つきで見つめた。
「……メニオールがお前たちをどう扱ってたかは知らねえが、今日からはまた俺がお前たちのボスだ。異論はねえよな?」
「も、もちろんさ! 最近の兄貴は、張り合いがなくてつまらなかったぜ……」
「なあ、メガロ。あのデブいるだろ?」
「ボスのことか?」
メガロは心配そうに辺りを見回した。ドグマを蔑称で呼ぶのは、仲間内での冗談だった。しかしそれは、周りに誰もいないときだけだ。
「こんなところで冗談はやめてくれよ、兄貴。すぐそこがボスの宮殿なんだぜ……」
「いや、ドグマはもう権力を失ったのさ。フルールの魔導書を奪われちまった」
スカーがそう言うと、メガロは信じられないと言わんばかりに眉をひそめる。
「何だって? いったい誰に?」
「メニオールさ。知恵比べじゃ、あんなのろまなデクノボーが彼女に敵うわけはねえ。ま、そんなことはいいのさ。俺が言いたいのは、もう俺たちの目の上のタンコブはいねえってことさ。これからは誰にも気兼ねせずに、もっと自由に暮らせるぜ」
「マジかよ……」
メガロは目を輝かせた。
「馬鹿なドグマはまだ権力を諦めてねえ。だがお前は当然、俺に従うよな?」
「当たり前だろ? 俺がいままであのデブに従ってたのは、兄貴が従えって言ってたからさ。今日からは、名実とともにあんたが俺のボスだ」
「よし、それでいい」
スカーは顎をしゃくって、宮殿の方を示した。
「行け。会議が終わったら、さっそく働いてもらうぜ。お前の力には、俺も一目を置いてるんだからよ」
「任せてくれ」
メガロはほっとした顔になり、宮殿に向かって歩いて行った。
契約術を使うというテクトルはまだやって来ない。
一級身分の囚人としての生活に慣れていないとはいえ、昇格していきなり招集をすっぽかしたとあっては、周りからの風当りがきつくなるだろうということは、どんな馬鹿にでもわかるはず。
ゆえに、テクトルは絶対に来る。問題は、いつ来るかだ。
(どうせ来るなら、もっと早く来やがれ……俺を待たせるなんて無礼な野郎だ……)
スカーがじりじりと苛立ちながらそんなことを考えているとき、ちょうど別の竜車が到着した。
竜車と言っても、引いているのは四匹の小鬼だった。おそらく先ほどの騒動で、地竜に逃げられたのだろう。
その竜車から降りてきたのは、ラスティとシェリーだった。
「おや、おや、おや」
スカーは目を細め、目を真っ赤にしてうつむくシェリーと、彼女を献身的な態度で支えるラスティの二人を見つめた。
「見せつけてくれるじゃねえか、ラスティ。俺がいねえ間に、やることやってたってことか?」
「……あ、兄貴」
そう言うと、ラスティはさっと青くなった。
彼も使いの小鬼から、話は聞いているはずだった。これまでのスカーが偽物だったと。
「俺の留守中に、トバルがちょっかいをかけてきたみてえだな?」
「それは……」
「で、人の魔法を借りるしかできねえコバンザメは、すでに元の主人に見切りをつけて、優秀な技師さんから新しく魔法を借りたのかい?」
「いや、まだ……」
「まだ?」
スカーが睨むと、ラスティはますます身を小さくした。
「てめえがこの街でいい暮らしができてるのは、誰のおかげだと思ってんだ? 俺が一番嫌いなタイプの人間を教えてやろうか? それはな、受けた恩をすぐに忘れちまうやつさ」
「ま、待ってくれ! 俺は――」
スカーは『苦痛の腕』を伸ばし、ラスティを殴りつけた。
見えない攻撃をまともに受け、ラスティが石畳に転がる。
「さて、馬鹿の再教育はあとにしてだ……シェリー? お前、昨日はどうしてドグマに俺の伝言を伝えなかった?」
スカーは今度、シェリーに目をやった。しかし彼女はじっと充血した目を下に向け、質問に答えようとしない。
「おい、俺は質問をしているんだぜ……」
「兄貴、待ってくれよ! シェリーは昨日大変な目に遭ったのさ! 小鬼に襲われたんだ!」
ラスティは鼻血を出しながら必死な様子で立ち上がり、シェリーを身体の後ろに庇った。
「小鬼に襲われただあ?」
「そうさ! 俺がちょうどその場に居合わせなけりゃ、彼女も新入りも殺されるところだったんだ! 怖い思いをしたんだよ! だからいまは大目に見てやってくれ……」
ラスティは跪き、地面に額をこすり付けた。
シェリーは何も言わないまま、依然としてずっと俯いている。
そんなラスティとシェリーの二人を、スカーは怪訝に思って見比べた。
まさか、昨日伝令に向かう途中に、このアバズレはいまラスティが言ったような災難に巻き込まれたのだろうか?
だとすれば、確かに情状酌量の余地はある――が、それにしたって、小鬼に襲われたとはどういうことだ?
あの従順で取るに足らない小鬼どもが、よりにもよって一級身分の高貴な囚人を襲うなどということがあり得るだろうか……?
そんなことを考えているときだった。
「……ちょっと待てよ、ラスティ。いま、『新入りも殺されるところだった』とか抜かしやがったか?」
スカーは、いまラスティが聞き逃してはならない言葉を口にしたことに気がついた。
「え? そりゃ、まあ、言ったけど……?」
「お前の言う新入りってやつはどっちだ? つまり……」
昨日、トバルの工房でシェリーに聞いたことだ。前回の囚人会議で、二人が一級身分に昇格した、と。
「ギデオンってやつか? それともまさか……」
「テクトルさ。契約術師の」
顔を上げたラスティは、鼻血を出した間抜け面で、そう言った。
メガロの初登場は31話「囚人会議2」です。スカーに扮するメニオールからどやされているだけで大した活躍はしておりませんが、どこで出てきたっけ? と気になった方の助力になれば幸いです。




