暴動の再来
(あの魔導書を失うのはまずい!)
ドグマはかつてない焦燥感に、じりじりと心を焼かれていた。
特に重要なのは、二層世界へと繋がる「土煙の扉」の交通制限だ。
あの一帯を覆う土煙には人を迷わす力があり、そこを安全に進めるのは、魔導書に刻印された土煙の魔法のページに名前を記された者だけ……。
この一層世界と二層世界の行き来が可能な者たちの管理能力を失うということは、すなわちこの世界に流通するカルボファントの象牙を管理できなくなるということ。
囚人たちがドグマに従うのは、象牙を独占することで、彼がリルパをいいように使えるからではないか。
あの魔導書がなければ、きっと囚人たちはドグマに敬意を払わなくなる。
これはペッカトリアの……いや、ペッカトリアの王であるドグマの危機だ。
ドグマは動悸を覚えながら道を駆け、血眼になって逃げたメニオールの姿を探した。
道の先で小鬼の叫び声が上がる。
「――見つけたか!?」
期待を胸に角を曲がったドグマが見たのは、巨大な竜の尾に薙ぎ払われて吹き飛ぶ小鬼たちの姿だった。
「……え?」
「これはこれは、ボス。ごきげんよう……」
竜は低い声で人語を喋った。
ドグマは、その竜の姿に見覚えがあった。
――フルールの怒り!
かつて東の都市イステリセンに現れた暴竜だった。
知恵ある竜で、他の馬鹿な竜を巧みに先導し、都市に騒動を巻き起こした。結果、フルールによって退治されたが、彼女に傷をつけて怒りを買ったというだけでも、どれほど強力な竜だったかがわかろうというもの……。
「て、てめえ、生きてやがったのか!? しかも、なんでこんなところに……」
「残念ながら、人違い……いえ、竜違いです……」
そう言ってから、竜はどこかが悪いのか、腹を抱えてグルルと唸った。
「……おい、くだらねことで笑ってねえで行くぞ」
竜の背には先ほどの女が乗っている。彼女はもうスカーのマスクを被ってはいなかった。
女が踵で竜の首筋を蹴とばすと、竜は興を削がれたとばかりに身じろぎした。
「あなたには本当にユーモアのセンスがありませんね、メニオール……」
「てめえにもねえよ。ほら、とっとと飛べ」
「待ってくれ、メニオール!」
そのとき、スカーが場に走り込んできて叫んだ。
彼は片足だけで走っているにもかかわらず、凄まじいスピードだった。一度地面を蹴っただけで、見えない力に引きずられるようにして、ゆうに三メートルは先に進む。その様は、さながら透明な糸に操られている操り人形のようだった。
「ああ、嫌なやつがきた……顔も見たくないやつですよ……」
「ふっふ、いまさら食えとは言わねえさ」
妙な会話をする竜と女の前に、血走った眼のスカーが躍り出る。
それからすぐ、スカーの傍で浮遊する棍棒が、竜に向かって飛んでいった。
着弾後、ズドン! と、凄まじい衝撃音が響く。
爆発の一撃で左の翼を吹き飛ばされた竜は、憎々しげにスカーを睨みつけた。
「あなたはいつも、わたくしの中から不愉快を揺さぶり起こす……そろそろ本格的に邪魔に感じてきましたよ……」
「人語を喋る竜とは珍しいな! だが、俺はてめえみてえな化け物に用はねえ!」
竜は火球を吐き出したが、スカーはまた人間とは思えないほど不気味な動きで建物の屋根へと移動して、それを躱してしまう。
「ちぃっ……!!」
「その竜を絶対に飛び上がらせるな! 空に逃げられればもうこっちに打つ手はねえ!」
スカーの号令を受け、小鬼たちがまた竜に飛び掛かる。
竜は大きく身体を揺すり、掴みかかってくる小鬼を吹き飛ばした。
「おい、そこのデクノボー! つっ立ってねえで、てめえもキリキリ働きやがれ!」
スカーが、屋根の上からドグマの方を見下ろして叫んだ。
「な、なんだと、てめえ!? この俺さまに向かってその態度は何だ!?」
「やかましい! あの魔導書を取られちまってもいいってのか!?」
スカーは、女の手に収まるフルールの魔導書を指差している。
「てめえの権力の全てだ! 逃げられればペッカトリアは終わりだぞ!」
「う、うう……!!」
ドグマは脂汗を流し、ぐっと奥歯を噛みしめた。
確かにここはスカーの言う通り、馬鹿な言い争いをしている場合ではない。
ドグマは亜空間から巨大な斧を引きずり出し、竜に切りかかった。
無機質な衝撃音が響いた後、竜の身体から赤い血が噴き出す。
竜の鱗がいかに強靭であろうと、巨人の力を乗せた一撃を受ければ無事では済むまい。
くぐもった唸り声を上げ、頭上から睨みつけてくる竜を、ドグマは睨み返した。
「見たか、このクソ竜め! 間違ってあの世からさまよい出ちまったみてえだが、もう一度奈落の底に叩き返してやるぜ!」
「ですから、竜違いと言っているでしょうに……」
竜は低い声でそう言ったあと、何か合点が行ったように目を細くした。
「しかし、なるほど。私はいまやあの暴竜なのですね……これはいいことを思い出させてくれました……」
そのとき、どうもスカーが操っていると思われるあの宙を舞う棍棒がまた直撃し、今度は竜の左腕を欠損させる。
「行けるぞ! 野郎ども、いまこそ一斉に襲い掛かれ!」
「ふっふ……多勢に無勢とはまさにこのこと……」
手にナイフや出刃包丁を持って襲い掛かる小鬼たちを強大な体躯で受け止めながら、竜は空に向かって咆哮する。
それは聞く者の魂を揺さぶるような、恐ろしい鳴き声だった。
「効いてるぞ! 止めを刺せ!」
ドグマは勝機を得たとばかりに、竜に突っ込んだ。
そしてまた斧を竜の鱗に食い込ませたとき、辺りに鳴り響く地鳴りに気がついた。
(……地震か? こんなときに? まさか――)
ハッとなって竜の背に乗る女に目をやったが、彼女はイライラした様子で周りを見渡しているだけだった。
(あのクソアマが魔導書の魔法を使ったわけじゃねえみてえだ……じゃあ、この地鳴りはなんだ……?)
その答えは、すぐにやってきた。路地になだれ込んできたのは、ペッカトリアで飼育されている家畜の地竜どもだった。
竜車を引いているものもいれば、背に小鬼を乗せているものもいる。
地竜は目を爛々と輝かせ、場に溢れる小鬼に鋭い牙で噛みつき、尖った爪で切りかかった。
「……ちくしょう、あのクソ竜め、やりやがったな!」
ドグマは自分にも襲い掛かってきた地竜の首を斧で叩き落としながら、苦々しく叫んだ。
「さあ、地竜たち、私を守るんですよ! 私こそがあなたたちの王です!」
まさに、イステリセンで起こった暴動の再来だ!
様々な種族が入り乱れる大混乱の中、憎らしい暴竜を見つめるドグマは、その巨大な竜の身体がぼこぼこと湯が沸き立つように修復されていくのを見て、驚愕してしまった。
「さ、再生しているだと……?」
まさか、あの暴竜にはそんな力があったのか……?
しかし、ならばこそフルールが過去にあれだけ痛めつけてやっても、いままた生きてこうして暴れていることにも説明がつこうというもの。
わからないのは、竜があの金髪の女に付き従っているらしいという事実だ。
ともすれば、フェノムは暴竜すら自分の傘下に加えていたということだろうか……?
竜たちに守られながら、暴竜は巨大な翼を広げると、悠然と飛び上がった。
「ま、待ってくれ、メニオール!」
スカーが叫ぶ。
彼はいまや情けなく涙を流していたが、女は取り合おうとしなかった。
「……もう、てめえに興味はねえよ。アタシに会いたきゃ、二層世界までくるこったな」
そう捨て台詞を残し、竜と女は空高く舞い上がって行った。
トバルの真贋についてわかりにくいというご意見を感想欄やSNSでいただきましたので、148話「爆破棍」において、偽トバルと本物のトバルが入れ替わったタイミングを書き加えました。やきもきさせてしまい、大変申し訳ございません。すべて私の力不足でございます<(_ _)>
今後はもう少しわかりやすく物事を描写できるよう、気をつけて参ります!




