メイド長の一喝
城のエントランスで行われる象牙授受の儀式は、いつものかしこまった様子と違って、随分と和気あいあいとした雰囲気に包まれていた。
それも全て、ここを取り仕切るペリドラが不気味なほどご機嫌な様子だったからだ。
普段なら、メイドたちが軽口を叩こうものなら鋭い叱責が飛ぶはずだが、今日はやんわりと穏やかな注意がなされるだけ。
ペリドラの傍にはフルール然としたリルパが立っており、彼女がペリドラの機嫌をこれ以上なく和らげているのは明らかだった。
ドグマは、経験したことのないペリドラの様子にやりづらさを感じながらも、彼女にこの一か月の間にペッカトリアで起こったことを報告していた。
フルールが倒れてからというもの、ずっとペリドラはこの城から出ていなかったが、定期的にペッカトリアに出入りするリルパやメイドたちからいつも街中の情勢を聞いている。
そのため、多くの報告にはただ頷きを返すだけだった。
しかし、ドグマがフェノムの一件を口にしたとき、彼女はすっと目を細めて笑った。
「ドグマさま。リルパの御前で、そのような些末事を口にしなさんす」
「さ、些末事だって……?」
「ええ。せっかくこれほど喜ばしいことがあったというのに、興を削ぐような真似をされては困りんす」
「しかし、反逆者だぞ……? ペリドラ、お前は俺が昨日書いた手紙を読んでねえのか? ペッカトリアを揺るがす大問題じゃねえか……」
「その件に関しては、旦那さまがいま調査に行っておりんすよ。ですからドグマさまは何の憂いもなく、与えられた仕事を遂行していればいいのでありんす」
「ギデオンが調べに行ってるの?」
興味津々とばかりにそう訊ねたリルパに、ペリドラは愛しげな目を向けた。
「それは旦那さまが帰ってきたら、一緒にお話ししなんしょう。まずは、旦那さまのご意見を聞いてからでないと」
「お、おい、待てよ! 俺よりも、ギデオンの言葉を優先するってのかい?」
ドグマは慌てて訊ねた。
するとペリドラは笑顔を引っ込め、ピシャリと言い放った。
「――立場をわきまえなんす!」
「なっ……え……?」
それが自分に向けられた言葉だと思わず、ドグマは目を白黒させた。
「旦那さまは、リルパの成長を促すという大役を果たしたお方……もはやこの世界にとって、代えの効かない存在でありんすよ。今後、ギデオンさまの言葉は、リルパやフルールさまの言葉と同等の力があると心得えなんし」
「そ、そんな馬鹿な……」
「他にご報告することはありんすか?」
ペリドラは先ほどまでの和やかな態度と打って変わって、冷然と話を打ち切ろうとする。
しかしドグマは、それをよしとしなかった。気付いたときには、リルパが目の前にいるにも関わらず、身を乗り出して怒りを剥き出しにしていた。
「俺がここに象牙を届けてる……危険な二層世界から象牙を集め、安全に保管してる! そうだろうが?」
「ええ。フルールさまとリルパのために」
「俺の代わりだっていねえんだぜ? 十年以上、俺はフルールに尽くしてきた! なのに、この世界にきて一週間かそこらの若造の方が、俺よりも重要だってのか?」
「愚かなことを。別に時間は関係なさんす」
「愚か!? この俺さまを愚かだと!?」
「愚かでないとなれば、何でありんしょう? 何を思い上がっておられるのか知らなさんすが、ドグマさまの代わりなどいくらでもおりんすよ。不満がおありなら、フルールさまの魔導書を誰かに譲りんせ? その方が、立派にドグマさまの後を継いでくれなんしょう」
「……喧嘩してるの?」
心配顔のリルパが、おずおずと割って入ってくる。
「いいえ? ドグマさまがご自分の役割について何か勘違いしていなんしたので、それを正したまででありんす。リルパが気に病むことなど、何もありんせん」
そう言うペリドラの手には、いつの間にか巨大な槌が握られていた。
見覚えのあるその槌を前に、ドグマは思わず震え上がった。
――大地穿ち!
それはフルールが、お気に入りのペリドラに与えた武器だった。
見た目以上の凄まじい重量を誇り、ドグマも過去に一度それを持ち上げようとしたことがあるが、ほんの少しも地面から浮かせられなかったのを覚えている。
ペリドラは、フルールからそれを一月で使いこなせるようになれと言われた。
そして周囲が絶対に無理だと思っていたにもかかわらず、それをわずか一週間で振り回せるようになって、またフルールを喜ばせた。
あの槌を操ったときのペリドラの戦闘力は、想像を絶する……。
「お、俺は別に不満があったわけじゃねえよ……誤解を与えちまったかな……」
ドグマは冷や汗をかきながら、必死になって弁解した。
「これからもこの仕事を俺に任せてくれって、そう言ったのさ。適材適所って言葉があるからな……俺の魔法は、物を安全にしまっておけるし……」
「そうでありんしょうとも。フルールさまも、ドグマさまの力をお認めになっているからこそ、いまのお仕事を与えてくださったのでありんすよ。これからも、忠実にそのお仕事に励むことでありんす」
「もちろんさ。任してくれ……」
「他にご報告することはありんすか?」
ペリドラは、同じ言葉を繰り返した。
「い、いや、ないとも……あとは俺たちの方で、全部なんとかなる問題ばかりさ……」
「それはすばらしいことでありんす。ただ、仮にペッカトリアに何かあれば、ここにいる者たちが駆けつけなんす。ゆえに安心して、お仕事にあたりんせ」
ペリドラのそんな言葉が、いまのドグマには脅しのように聞こえた。
妙な動きを見せれば、全て叩き潰すと。
やはり、この世俗離れした「恐怖の城」は、ペッカトリアの常識とは違ったルールで動いている……。
「……では、カルボファントの象牙を貰い受けなんす。ドグマさま、ご用意を」
「明日まで、象牙はわたしが持ってる! いいでしょ?」
そのとき、リルパがペリドラの服の袖を引き、甘えるようにして言った。
「あの象牙はフルールさまのために、とても大事なものでありんす。なくさずに、きちんと持っておけなんすか?」
「子ども扱いしないで!」
「わかりんした。リルパもしっかりと成長されておりんす。わっちも、これからはあれこれと口出しせず、リルパの自主性を尊重しなんすよ」
「ペリドラが持ってたら、ギデオンに取られちゃうかもしれないもんね」
「おお、それもそうでありんす! 弱々しく老いさらばえたわっちが持っているよりも、リルパが持っていた方が安全でありんしょう」
抜け抜けと、自分のことを「弱々しく」などと言って笑うペリドラを、ドグマは苦々しい思いで見つめていた。
確かに最盛期は過ぎたろうが、それでもいまだにこのペリドラは凄まじい脅威だ。
軽やかな足取りでこちらに近づいてくるリルパに、ドグマは亜空間から取り出した象牙を渡した。
リルパの手の平に乗る象牙は、宝石のようにも見えた。無機的な断面に光が反射し、きらりと美しい輝きを放つ。
リルパはそれをひとしきり眺めてから、クスクスと笑った。
「……早くギデオンが帰ってこないかなあ」
そして、うっとりした様子でそう言った。




