結束の指輪
暗い牢屋の中で、彼の大きな身体は、黒い山のように見えた。
「……ソディン?」
ギデオンが話しかけると、その黒い山がのっそりと動き、ソディンの腫れ上がった顔がこちらを向いた。昨晩よりも、傷はさらにひどくなっている。
「あ、兄貴かい……?」
「おい、その顔はどうした……?」
「あ、あれからまた親父にぶたれちまってさ。でも、平気だよ」
ソディンは弱々しく笑った。
「……自分の子どもを牢に入れるなんて、ドグマはつくづく見下げ果てたやつだ」
「いまの親父は、自分の欲望をコントロールできてないだけなんだ。身の丈に合った服を着れば、きっと昔の親父に戻ってくれるはずだよ」
ソディンは、自分の父親に対してまだ希望を見出しているようだった。ひょっとすると、ドグマの行為をソディンが苦々しく感じているのは、義憤というよりも、身内の失敗を恥ずかしく思う気持ちの表れなのかもしれない。
このソディンという巨人は、良く言えば人の善性を信用する優しい人間――悪く言えば甘い人間なのだろう。
「……なあ、兄貴。約束してたところ悪いんだけど、フェノムのところには一人で行ってくれないか?」
そのときソディンが、おずおずとそう切り出した。
「なぜだ? ドグマが怖いか?」
「……怖いよ。俺は兄貴みたいに強くねえんだ。それに、親父が牢屋の鍵を持って行っちまった。俺はここからしばらく出られねえ」
「こんなものはどうとでもなる」
ギデオンが鉄格子に手をやると、ソディンは慌てて叫んだ。
「待ってくれ! 牢屋を壊しちゃダメだ! 親父を怒らせたら、今度こそ親父はゴブリンたちを殺しちまう!」
「――殺すだと?」
ピタリと腕の動きを止め、ソディンを睨みつける。
すると、まるでソディンは自分に怒りを向けられているとばかりに、身を小さくした。
「あれから親父がゴブリンの殺し方を見せてやるとか言い出したから、俺は必死に止めたんだよ。それでこの様ってわけだ……」
「殴られて、牢屋に入れられたってのか?」
「そうさ……でも、あいつらを守れたんだから、安いもんだ」
ギデオンは目の前で縮こまる巨人に対し、急に尊敬と親愛の念を感じ、鉄格子の向こうに手を伸ばして、彼の太い腕を撫でた。
「お前はいいやつだ、ソディン。お前ほど、こんな場所に相応しくない人間もいない」
「いや、俺がちょっと我慢するだけでいいんだ。それでことを荒立てなくて済むなら、俺はいくらでも我慢するよ」
ギデオンはいますぐにでもソディンをここから出してやりかったが、この巨人の意志は固そうだった。
それから、ソディンはごそごそとポケットをまさぐり、銀色の指輪を取り出して手の平に乗せた。
「兄貴、こいつを持ってってくれ。これを俺から預かったって言えば、フェノムはきっと兄貴のことを信じてくれる」
「こいつは何だ?」
「仲間の証みたいなものかな。フェノムの魔法が刻印されているんだ。その指輪を砕くと、一度だけフェノムの魔法を使うことができる」
「フェノムの魔法?」
「ああ。物質のあり方を変えちまう魔法だ」
ソディンは誇らしそうに目を輝かせて言った。
「フェノムは錬金術師だからな……この指輪には、周りの物質から無数の剣を作り出す魔法が刻み込まれてる。それがフェノムの好きな攻撃のやり方なんだ」
「……そうか。『千剣の』フェノム」
「そうそう、それがあの人を一番上手く表現した呼び方だ」
「指輪を砕かないと発動しないのか? フェノムの魔法を、一度直に見てみたいものだが」
ギデオンがそう言うと、ソディンは慌てた様子で頭をぶんぶんと横に振った。
「と、とんでもない! これは敵をやっつけようって魔法じゃないんだよ……これは主に、自害用として仲間に配られてるんだから……」
それを聞き、ギデオンは眉をひそめた。
「……自害用?」
「そこら中に現れた剣が、指輪に向かって突っ込んでくるっていう魔法なんだよ。自分が生きていることで計画の進行が困難になったとき、それを使って死ねるようにって。フェノムは、遊びで俺たちの頭をやってるわけじゃねえんだ」
「……なるほど」
「もっとも、すぐに死ねって言ってるわけじゃないよ。拷問に耐えがたくなったり、自分の意志を貫徹できないと思ったとき、最後の手段として使えって意味だ」
それから、ソディンは向かいの地下牢を指差した。
「ちょっと前までそこに捕まってたユナグナってゴブリンも、フェノムの仲間だった。あいつは逆に、すぐに死にたがって大変だったから、俺が指輪を取り上げた」
「昨日ドグマが、逃げ出したと言っていたゴブリンのことか?」
「そうだよ。俺はあいつを痛みつけるふりをして、ずっと世話をしていたんだ。そして、機会を見て逃がした。ユナグナが、どうしてもここから出たいって言ったんだ。ひょっとしたら兄貴は、フェノムのところであいつに会うかもしれないけど、俺のことは何も言わないでくれ。心配させちまう」
「何も言わないわけにはいかないだろう。この指輪だけが来た理由を話さないと、逆に怪しまれることになりそうだ」
「ああ、そうか」
ソディンは首をひねり……しかし何もいい考えが浮かばないようだった。
「ま、適当に言っといてくれたらいいよ。とにかく俺は困ってないから、助けようとか馬鹿なことを考えるなって。それでフェノムの計画が崩れることの方が、よほど大きな損失だからな」
「お前に助けが必要なら、別にフェノムを介する必要はないさ」
「え?」
「俺が助けてやる」
するとソディンは目に涙を浮かべ、まごまごして頬を赤くした。
「……ありがとう。兄貴がもっと早くこの監獄世界に入ってきてたら……」
「縁起でもないことを言わないでくれ」
ギデオンは苦笑し、ソディンの手の平から銀色の指輪を摘み上げた。そして、それを構成する金属を見て、ふと違和感を覚える。
「……あれ、こいつはミスリルじゃないのか?」
「そうだよ。それがどうかしたかい?」
「ミスリルはマナを吸うんだろ? そんな金属に、魔法を刻み付けることができるのか?」
「だから、フェノムは特別なんだよ。フェノムの魔法は、本当にすごいんだ」
言いながら、ソディンは涙をぬぐった。
そう言えば、トバルも似たようなことを言っていた気がする、とギデオンは思った。
「お前ほどの男がそこまで心酔するフェノムに、俺も会いたくなってきたよ」
「きっとフェノムは、兄貴のことを認めてくれるはずだ」
「……だといいな」
腫れ上がった顔でにっこりと笑うソディンに釣られるようにして、ギデオンも彼に微笑みを返した。
次回より新章「賢者の石」編がスタートします! 物語の核心に触れる重要な箇所になると思いますので、書くのがいまからすごく楽しみです!
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