土人形との会話
屋敷の二階にあるその部屋の中は、薄暗かった。
部屋の中心で、瞳をうつろにした男が椅子に縛られて座っている。
見た目は、普通の人間のようにしか見えない。これもフルールの魔法が優れているということになるのだろうが……。
「……彼デス」
ヤヌシスが緊張した面持ちで言った。
すると、その土人形はさっと顔を上げて口を開く。
「やあ、ヤヌシス。肉の檻から出る気になったかい?」
「あなたが何を話しているのか、ワタシにはさっぱりデスよ」
「君の魂はとても綺麗で、同時にとても醜い。ソラも悲しんでいるよ」
「あんたは誰だ?」
ギデオンはヤヌシスの前に歩を進め、土人形に訊ねた。
「誰? 俺は誰なんだろう? ソラに名前を取られてしまったから、よくわからない」
「自分の姿を見たことはあるか?」
「いいや?」
「鏡を持ってこい」
ギデオンはヤヌシスに言った。
「わ、わかりました」
ヤヌシスが部屋から出ていくのを見届けてから、ギデオンは改めて土人形に向き直った。
「……あんたはソラに操られている。そうだろ?」
「そうだね」
「自分の意志はあるのか? たとえば、この屋敷には来たくて来ているのか?」
「ソラがそうしたいと思ったことしか、俺たちはできないんだよ。でも、人間なんてのは大体そういうものだろう? みんな道のあるところを歩くじゃないか」
「他にできることがないから、ここに来ているということか?」
「そうだよ。ソラがいまやりたいことを終えれば、またソラはまた新しくやりたいことを見つけるだろうさ。そうすれば、俺たちにできることも増えるだろう」
見たところ、この土人形は自分の意志で動いているようだった。ただ、行動を制限されているだけで。霊魂術師の中には、所有する魂を完全に支配下に置いてしまう者もいるが、どうやらソラはそういうタイプではないらしい。
「ソラは死んだ。それは知っているか?」
「何かの生き死にの定義なんて、曖昧なものじゃないかな。でも、確かにソラの考え方は急に浅狭になったね」
「浅狭?」
「いま言ったのと同じことだよ。俺たちにできることが少なくなった。ソラの欲求や本能というものが、ごくわずかな対象にしか向かなくなったからだ」
そう言って、土人形は溜息を吐く。
「まあ、それでもあのときの恐怖に比べれば、できることが少ないなんてことは贅沢な悩みだと言えるだろうね。君の表現を借りるなら、『ソラが死んだ』ときだ。彼女の肉体の死とともに、俺たちは一斉に消えるものだと思っていた」
「消えるのが怖いのか?」
「それはもちろん。俺は消えたくないから、昔ソラに頼み込んで、魂にしてもらったんだよ。だって、自分がこの世から完全にいなくなってしまうなんて怖いじゃないか」
「あんたは、自分が何者か知らないんだろ?」
「名前だけが思い出せないんだ。他のことは覚えているよ」
そのとき、ヤヌシスが姿見を持って部屋に戻ってくる。
ギデオンは一歩退き、土人形の前にその姿見を立てかけた。
「見てみろ。この姿に覚えがあるか?」
「ああ、そうだ。この顔だ。これが俺だよ」
土人形は笑って言った。
「結構男前だろう? 若いころは、結構モテたんだ」
どうやら、本当に生前の記憶があるらしい。
では、最近の記憶はどうだろうか? ソラが死んだのが一年ほど前。そして土人形が再びペッカトリアに姿を現し始めたのが二日ほど前だという。その間、彼らは何をしていたのだろうか?
「時間感覚はどうなってる? ソラが死んで、もう一年ほどになるらしいが」
「ああ、そんなになるのか。いや、それは知らなかった。寝て起きたとき、どれだけ時間が経ったかわからないものだろう? 泥のように眠るって言葉があるけど、そんな感じのときは特に、さ」
土人形が指先をこすり合わせると、パラパラと土が零れ落ちた。彼はニヤリと冗談っぽく笑って続けた。
「思うに、ソラが再び土人形の魔法を使えるようになるのに、それだけ時間がかかったんじゃないかな? 彼女も、死んでから魂の状態でさまよっていたんだろう。流石のソラと言えど、身体がない状態では、何もできないだろうからね。だから誰かが、最近になって彼女に手を差し伸べたんだと思うよ。そのおかげで、彼女は力を取り戻すことができた」
「いまソラはどこにいる?」
「どこにいるんだろうね? 強いて言えば、土の中かな」
土人形は、笑顔のまま床の方を指差す。
「肉の檻を脱ぎ捨て、さらに土人形の魔法を取り戻したいま、ソラはどこにでもいてどこにもいない存在と言っていい。俺たちもそうだけどね」
「……まるで神とその眷属だな」
「いや、それは流石に自惚れが過ぎるってものだ。本当の神には敵いっこないよ。たとえば、大地の化身ともいえるリルパ……彼女の前では、ソラは無力に等しい。ソラの魔法はフルールから借りているものだが、リルパはその力の正当な後継者だからね。もっと言うと、彼女はフルールの力をさらに発展させてしまっている」
いきなり出てきたリルパの名前に、ギデオンは渋面を作った。
「……リルパはいま変質しつつある。そのことについて、ソラは恐怖を覚えていたりしないのか?」
「ソラの考えはよくわからないよ」
「じゃあ、あんたはどうだ?」
「リルパはいつだって怖い。決まっているだろう」
なるほど。確かに、いまのは愚問だったかもしれない。
「……あんたは意外と話せるやつのようだ」
気持ちを切り替えてギデオンがそう言うと、土人形は朗らかに笑った。
「君もそうだね」
「俺はギデオンという。あんたのことは何て呼べばいい?」
「いまのままでいいよ。君とか、あんたとかそう言ってくれればわかる」
「しかし名前がないのは不便だろう。なんなら、俺が新しくつけてやろうか?」
「いや、そんなことをしても意味がない。覚えていられないんだ。過去に本当の名前を奪われてから、どんなに新しい固有名詞を与えられてもすぐに忘れてしまう。だから、どうしても呼びたければ、『長弓兵』と呼んでくれ」
「長弓兵?」
「長弓を使うのが得意で、そういう役回りをこなしていたんだ。名前じゃなくて、ソラやフルールにはそういう役割で呼ばれていた」
土人形――長弓兵は苦笑してから、ヤヌシスの方をちらりと見つめた。
「でも、いま俺の手には長弓がない。俺たちのいまの仕事は、ヤヌシスを肉の檻から解放する手伝いをすることだけ。さっきも言ったけど、本当にそれだけなんだよ」
「ソラは、こいつの魂が欲しいってことか?」
「そういうことになるね」
「ソラが魂を手に入れるためには、彼女がその魂の持ち主を直接殺さないといけない。そうだろ?」
「よく知っているね! うん、そうだとも。で、俺たちは、その見張り役みたいなものかな。チャンスが来るのを、じっと待ってるっていうわけだ。そのチャンスが来れば、ソラにすぐ土の身体を明け渡せるようにね」
「チャンス?」
ギデオンの短い問いに、長弓兵は肩をすくめて答えた、
「いまヤヌシスを殺すわけにはいかないんだよ。そこの肉の檻には、魂が二つ囚われている。美しい魂と、そうでない魂が。そして美しい魂の方が顔を覗かせるのを、俺たちはずっと待っているってことさ」




