強化面
狂戦士化した小鬼が、襲撃者たちに襲い掛かる。
「――構うな! 俺たちの目的は一つだ!」
揉み合いになって犬から引きずりおろされた一匹の襲撃者が、他の仲間にそう叫んだ。
すると、彼らはその声でハッと我に返り、またボーガンに弓をつがえる。
シェリーはすぐに選択しなければならなかった。
戦うか、逃げるか。
ただの小鬼相手なら、何十匹でも打ち負かすことはできるだろう。しかし、いま敵の小鬼は妙な武器を装備しており、その力は未知数と言っていい。おまけに、こちらは大怪我をして動けないテクトルを庇いながらの戦闘なのだ。
どうする? そのときシェリーは、先ほど敵の一匹が放った言葉を思い出した。
――古き王に仕える売女。
……やはり、小鬼風情に背中を見せるわけにはいかない。
「強化面……」
シェリーは自分の顔を魔法の仮面で覆い、その光の隙間から眼前の光景を見つめた。
神経の伝達速度が強化され、あらゆる光景がスローモーションに見える。
ボーガンから放たれた矢が、空中をゆっくりと進んでいた。
しかし矢に手を伸ばそうとしても、自分の動きも遅い。強化された反応速度に、動きがついてこないのだ。
そこで今度は、少しずつ筋力強化の効果を上げていく。一気にギアを上げてしまうと駄目だ。自分に仮面を被せての戦い方は、身体に大きな負担をかけてしまうので、やり過ぎると反動でしばらく動けなくなってしまう。
必要に応じて、必要な力を引き出す。
それがシェリーのやり方だった。
反応速度に動きを追いつかせると、宙を滑る矢に手を伸ばし、矢柄をそっと押して軌道を変えていく。
一本は強引に掴み取り、敵の一匹に向けて凄まじい速さで投げ返す。しかし、その矢はシェリーの手を離れた途端、また空中をゆっくりと進んでいく。
それからシェリーは竜車の荷台近くまで戻り、強化面を解除した。
疲労とともに時間感覚が一気に戻り、方々で爆発の火の手が上がる。
「ぐおっ――!?」
途端にそう叫んだのは、シェリーに矢を投げ返された一匹だった。
矢が身体に突き刺さったあと、遅れて矢じりが爆発し、小鬼はよろよろと倒れて動かなくなる。
「アッハッハ! 小鬼如きが囚人さまに立てついて、無事でいられると思っていたの? だからあんたたちは能無しの役立たずだってのよ!」
「ひるむな! 肉体の死には何の問題もない! ゴブリンが恐れるべき本当の死は、尊厳を奪われることだ!」
「あんたたちに尊厳なんかあるわけないでしょ! この卑しい家畜風情が!」
「女に構うな! 契約術師を殺せ!」
敵は今度、外套の内よりナイフを取り出し、魔犬を駆って一斉に飛び掛かってくる。
すると、いまだシェリーの術中にある小鬼がすかさず敵の一匹に掴み掛かり、一緒になって石畳の上をゴロゴロと転がった。
「……くそっ、同胞よ! あんな女のために戦おうとするな!」
しかし、そんな言葉で凶暴化した小鬼を止めることはできない。狂小鬼の筋張った腕に首を絞められ、敵の一匹はじたばたともがきながら泡を吹く。
「いい子よお……。その調子で、もっともっと敵を殺してねえ」
意識すべき脅威が一つ減ったが、それでもまだ敵の数は多い。
魔法の仮面を被り、自分の反応速度を上げて数えると、いま近接攻撃を仕掛けてくる小鬼の数は六匹だった。
彼らの後方には、弓をつがえる小鬼が五匹。
(合計であと十一匹! 今回の攻撃で、全員片づけてあげるわ……)
身体を強化し、まずは飛び掛かってくる敵を端から対処に向かう。
最初の小鬼の腹に思い切り膝を叩き込み、その手から強引にナイフを奪った。
その後、加速した時間の中でのろのろと悠長に動く残りの五匹の傍に忍び寄り、次々と彼らの首をナイフで切り裂いていく。
経過は順調――あとは後方の五匹……。
しかし襲撃者の残りに意識を向けたそのとき、シェリーは強烈な吐き気を覚えて、思わず膝をついた。
咄嗟のことで何が起きたかわからず、「強化面」を解除してしまう。
凄まじい眩暈がした。
周囲の時間が正常な速度に戻り、首から血を拭き出す小鬼たちが、くぐもった唸り声を上げながら、バタバタと倒れていく。
とはいえ、敵はまだあと五匹残っている……。
シェリーは石畳に両手をついたまま、歪む視界に、ボーガンを構える小鬼たちの姿を捉えた。
(こ、これは何? まさか、敵の魔法攻撃……?)
息が上がり、冷や汗が止まらなくなっていた。
自分の魔法の反動とは考えにくい。
そこまで無理をした戦いではないからだ。先日、死ぬ思いすらしたあの銀狼との戦いのときに比べれば、いま引き出した力など微々たるものと言えるだろう。
敵のボーガンから矢が放たれる。
強化面を被っていないのも関わらず、シェリーの目にはその軌跡が見えた。自分に向かって飛んでくる一撃の、銀色の矢じりがくっきりと認識できる。
直撃を受ければただでは済まない。下手をすれば、死――
そう考えたとき、シェリーはぞっと総毛だった。
「ま、待って――」
次の瞬間、矢が次々と爆発する。
夜の闇に、赤い火花がいくつも膨れ上がった。
――矢はシェリーに到達する前の空中で、全て一斉に弾け飛んでしまっていた。
「……え?」
「――てめえら、何をやってやがる!?」
その声を聞き、シェリーはハッと振り向いた。肩を怒らせながら、こちらに大股で歩いてくるのは、あのスカーの腰巾着――ラスティだった。
「う、あ、あああアァァァァ……!!」
そのとき、外套で身を隠す襲撃者の一匹が絶叫する。
「楽に死ねると思うなよ! とびきりの苦痛を味あわせてやる!」
ラスティの瞳が、爛々と輝いている。それを見て、シェリーは彼の魔法を思い出した。人の魔法を借りることのできる魔法……。
トバルとの一件がありながら、どうやら彼はまだスカーの『苦痛の腕』を借り続けているようだった。
となると、先ほど襲撃者の放った矢がいきなり空中で爆発したことにも説明がつく。
ラスティの透明な腕が、矢を全て叩き落としたのだ。
空中に吊り上げられた小鬼は、びくびくと痙攣しながら口からごぼりと吐血した。内臓を握りつぶされでもしたのかもしれない……。
「――くっ、囚人を二人も相手にはできん! 生き残った者は撤退しろ!」
襲撃者の一匹が、悔しそうに叫ぶ。するとすぐに彼らの乗る魔犬は向きを変え、恐ろしい速度で闇夜に消えて行った。
「逃がすかよ!」
「待って! 待って、ラスティ!」
逃げた小鬼を追いかけようとしたラスティを、シェリーは必死になって呼び止めた。
「なんで止める!? あんたをこんな目に遭わせたやつらだ! 許せねえ!」
「テクトルを病院に連れて行くのが先よ!」
そう言ってから、シェリーは夜の闇に立つラスティの姿をまじまじと見て、ハッと息を呑んだ。
「――ラスティ! そうよ、あんたラスティよね!?」
「え? そ、そうだけど……?」
「人の魔法を借りられる魔法の持ち主! そうでしょ?」
シェリーは、荷台の上で横たわるテクトルの方を見て、瞳を輝かせた。




