天敵
「ミレニア。お前は街の中に戻れ」
メニオールは、戦いの脇で立ちすくむミレニアに向けて言った。
「……え?」
「お前のためだ。こいつと元の世界に帰っても、お前の居場所はねえ。それどころか、欲しくもない居場所を与えられる可能性だってある。お前には利用価値があるって話はしたろ? みすみすこいつらの思惑に乗ってやる必要はねえ」
「ストレアルが私を利用するなんて……考えにくいことですが……」
まだそんな甘いことを言うミレニアに、イライラしてしまう。
とはいえ、彼女がそんな甘い性格をしていることを知っているからこそ、メニオールはいまこの場所からミレニアを遠ざけようとしているのだった。
この騎士を殺す――ミレニアは、そんな光景に耐えられないだろう。
「……お前はいまから、ギデオンのところへ行け」
メニオールは説得の切り口を変えることにした。目的を与えてやった方がミレニアも動きやすいだろう、と。
「アタシを助けると思って、伝令を頼まれてくれ。実はいまちょっとばかりピンチでな。この街中を敵にまわしちまうかもしれないって瀬戸際なのさ。変装していたのがバレちまった」
そして、腰の袋からカルボファントの象牙を取り出す。
「アタシがスカーでないって話は、すぐギデオンにも伝わるだろうからな。それ以後にも味方につけておくためにも、この象牙は前払いで渡してもいい。あいつに、そう伝えてきてくれ」
もちろんメニオールは、いまギデオンがこの街にいないことは百も承知だ。とにかく、ミレニアをこの場から遠ざけたい一心だった。
「象牙を……?」
「お前が思っているよりも、いまアタシの尻には火がついてる。ギデオンは教会に寝泊まりしているはずだ。急いでくれ」
「で、でも……」
ミレニアはストレアルの方をしきりに気にしている様子だった。騎士は膝をついた状態で沈黙している。メニオールの付与魔法によって、身体の自由を奪われているからだ。
「あ、あなたはこれからどうするつもりなのです……?」
「どう、とは?」
「ストレアルのことです。彼をどう扱うのですか……?」
「スカーみたいなクズでもアタシは生かしておいた。生命ってのはどんなものにでも可能性があるって、以前にそういう話をしたよな? こいつも殺しはしねえよ」
メニオールは嘘を吐いた。
この男は、いまこの場で殺さなければならない。
「アタシを信用しろ。大丈夫さ。全部任せておけばいい」
以前にも同じ台詞を言ったことがあることを思い出し、思わず顔をしかめた。
しかし、あのときとは状況が違う。むしろ、過去の失敗があるからこそ、必ずこういう面従腹背のクズは始末しておかなければならないと思える。
……リーシア。
「あなたのことは信じています。多くのことは語ってくれませんが、とても優しい人ですから」
ミレニアのそんな言葉が、メニオールを物思いから引き戻した。
「……じゃあ言うことを聞け。さっさと行くんだ」
「あなたがストレアルを殺さないと信じています……私にとって、兄のような人なのです……」
目に涙を溜め、訴えかけるように言うミレニアに、メニオールは面食らった。
「……殺さないと言ってる。アタシの術中にはまった以上、こいつはもう何もできない。殺すよりも、もっといい活用方法を考えるさ」
「……あなたを信じます」
そう言ってから、ミレニアはようやく踵を返した。
ほどなくして、ミレニアの姿が門の向こうに消える。
メニオールはひざまずく騎士に近づき、暗い目を落とした。
「……妬けちまうね。てめえは女神の加護を受けているんだろ? いつからだ?」
そう訊ねてから口を自由にしてやると、ストレアルは静かに答えて言った。
「……三つのときからだ。ちょうど物心がついたときくらいだろうか」
「となると、ほとんど加護というよりも呪いだな……力を得る代償に、女と恋仲になっちゃいけないって聞いたぜ。つまり、あんなに健気なミレニアよりも、ずっと女神を選び続けているってわけだ」
「誤解があるのかもしれんな。ミトラルダに情愛を抱いたことはない。むしろ彼女よりも、貴様の方がよほど魅力的に見える。私に何よりも興奮を与えてくれるのは、強い敵対者だ」
「……インポ野郎が。まあ、いいさ。ミレニアにはああ言ったが、てめえはきっちり殺す。以前、てめえのようなやつを生かしておいて痛い目を見たからな」
メニオールは冷たく言い放ち、付与魔法に力を込めた。
「立て」
騎士がゆっくりと立ち上がる。その手には、依然として剣が握られていた。
「そのご自慢の剣で、自分の身体を貫け」
「……こんな終わり方は残念だ、メニオール。貴様もそう思わないか?」
「見苦しいな。この期に及んで命乞いか?」
ストレアルは静かに剣を持ち上げる。
しかし、その顔があまりにも冷静なことを、メニオールは怪訝に思った。
覚悟を決めたのか? いや、これはいまから死ぬという人間の顔ではない……。
――そのときだった。
騎士の身体が強い光を放ち始め、メニオールは目を細めた。
刹那、頬に張り付けていたはずの付与魔法の感覚が消え、敵への身体支配が失われるのがわかって、ぎょっとする。
「ば、馬鹿な――!?」
「さらばだ、メニオール」
騎士の剣が突き刺したのは彼の身体ではなかった。
胸に強い衝撃が走り、遅れて強烈な痛みがやってくる。
自分の身体をやすやすと貫通した剣を見下ろし、メニオールは吐血した。
「私に付与魔法は効かん。お前の言った女神の加護が、全てを無に帰してしまうからだ」
ストレアルは冷然と笑いながら、剣に力を込めた。ずぶり、とさらに深く剣が突き抜ける。
「ぐ、ぐうっ……」
「ホロウルンは、私に空間を削り取る力を与えてくれた。そこにある全てを食らい尽くしてしまう暴力的な力をな。もちろんマナも例外ではない」
付与魔法が消えたのはそういうことか……。
メニオールの戦術は全て、敵対者に付与魔法をどう張りつけるかに重きを置いている。
というよりも、それ以上に考えることがない。
付与魔法を張りつけさえすれば、勝負は終わってしまうからだ。それだけ、メニオールの魔法は反則じみた力を持っている。
しかし、せっかく張りつけたその付与魔法をはがせるような相手では、戦術の全てがひっくり返されてしまう。そこに向かうあらゆる行為が徒労になり、そもそも戦いにならない。
魔法には相性があることを、メニオールは肝に銘じていたはずだった。戦っていけない天敵がいるということも。
その理屈でいけば、このストレアルこそメニオールの天敵と言ってもいい存在だった。
「くそっ……だからわけのわからねえ敵とは戦いたくなったってのに……」
全てあのミレニアのせいだ。あいつのせいで、冷静さを失っていた。
「いまごろ後悔しても遅い。だが、貴様との戦いはいい土産になった。かつてフェノムがこの地に隠れた魔女を追った気持ちも、いまならわかる気がする。ここには、貴様のような強者がいるわけだからな」
言いながら、ストレアルは剣を引き抜こうとする。
――しかし、メニオールはガシリとその手を掴んで止めた。
「……待ちなよ、三流騎士サマ。アタシはさっき言わなかったか? ――いや、正確には言わせなかったか?」
「……何?」
「てめえがトカゲの尻尾切りとか言った、あの無貌種にさ」
メニオールは騎士の手を掴むと、それを傷ついた自分の身体の方に引き寄せた。
「……残念ながら、アタシは不死身だ」
「ほう?」
「まだ勝負は終わっちゃいねえってことさ。やるなら徹底的にやれ。こんな浅いかすり傷じゃ、アタシは殺せねえよ……」
剣に貫かれた身体の中に、さらにストレアルの腕を引き寄せる。
激痛があったが、それはじきに消えてなくなる。全てのダメージをスケープゴートに肩代わりさせるからだ。
「……それにしたって、空間を削り取る力ねえ? ――奇遇だな、そいつはアタシの切り札でもある!」
メニオールは壮絶な笑みを浮かべ、自分の肉体の内部まで騎士の手を招き入れた。
どこまでいける……? 多くは望まない。何なら、指の何本かでいい。
そのときが来たと悟った瞬間、メニオールは全ての傷を元通りにすべく、力を放った――




