虚空の力
ストレアルはいま、男にしか見えない女を前にして、「戦い」という欲望を解き放てる喜びを全身で感じていた。
相手は妙な力を使うが、何も臆することはない。
これまでにも、そういった敵はいたからだ。不気味な絡め手を使う連中を、ストレアルは単純な力でねじ伏せてきた。そして、今回もそうなるだろうという確信がある。
魔法はマナから生じ、マナは空間に満ちるものだ。これは絶対的なルールであり、そのルールがあるからこそ、ホロウルンの加護を受けた自分は無敵でいられる。
――空間を削り取る力――
それが、ホロウルンに加護とともに与えられた魔法だ。
女神の力を使うとき、ストレアルのマナは金色に発光し、それに触れたものを空間ごと消失させる。
ストレアル自身の魔法は、爆発的な身体強化。通常ではありえないほどの怪力、俊敏性、反射を引きずり出すという単純明快な能力だが、直接的すぎるがゆえに、ときに臨機応変さに欠ける場面がある。
そんなときに、その『虚空』の力は役に立つ。敵の厄介な魔法を空間ごと食らい尽くし、なかったことにする。そうなったあと、単純な力勝負でストレアルに勝てる者などいない。
「……さあ、始めようか、メニオール!」
言うが早いか、ストレアルは一気に加速して彼我の距離を詰めた。
メニオールは懐からナイフを取り出したが、それで受けられるほど甘い攻撃ではないことに寸前で気づいたようだった。
彼女は大きく後ろに飛び退きながら、咄嗟にそのナイフを投擲してくる。
剣で払うと、金属同士がぶつかったような音もなく、瞬時にナイフが真っ二つになった。
切れたというよりも、金色の光に触れた部分が消え去ったという表現の方が正しい。
「私の剣は、あらゆるものを両断する。どんな騎士もが一度は憧れる力――私にはそれがある!」
「……騎士ってやつは、本当にどうでもいい理想を追い求めてるらしいな。だから、いざとなったとき守るべきものをはき違える」
「この剣を前にしても、まだ冷静でいられるとは見事なものだ! だが、それがいつまで続くかな……!?」
先ほどの身のこなしを見ても、このメニオールが只者ではないということくらいはわかっている。
何度か繰り出した剣の攻撃も、すんでのところで躱されてしまう。
だが、相手も打つ手がない様子だった。素手のときと比べ、ストレアルの間合いは圧倒的に長い。自分の距離に持ち込むのは、先ほどよりも遥かに難しいはずだ。
距離とタイミングを測り、呼吸を探り合い、お互いがお互いに最大の攻撃を直撃させようと意識を集中させている。
そんな戦いに身を置くにつれ、ストレアルは興奮で頭がおかしくなりそうだった。
これこそが快楽だ。何よりも生を実感する瞬間だ。
対峙するメニオールの目に覚悟の光が宿った瞬間、ストレアルも即座に決断した。
――勝機はここだ!
剣を握るのと逆の手を伸ばし、意識を集中する。
マナ寄せ。
それは、ストレアルがミトラルダの瞳の力を借りて手に入れた奥の手。
自分のマナを撒き餌にして、大気のマナを呼び寄せる戦闘技法だ。結果として、本来の自分が所有する以上のマナを扱うことができるようになる。
ストレアルは、集めたマナをメニオールに向けて勢いよく伸ばした。
突然、膨大なマナに当てられたとき、生き物は畏怖を感じて身体が硬直するものだ。これはいわゆる、マナ中毒と言われる状態である。
マナとはあらゆる力の根源。生き物がマナとともに生きている以上、避けられない反応だった。
その想定通り、未現なる力の奔流を浴び、メニオールの身体が一瞬硬直する。
「――この勝負、もらったぞ!」
ストレアルは思い切り地面を蹴り、一気に敵との距離を詰めた。
力を込め、必殺の一撃を見舞う。
金色の光を帯びた剣が、敵を捉えた。
確かな手ごたえを感じ、ストレアルは勝利を確信した――
――しかし。
大きな傷のある顔が切り裂かれた刹那、その顔面が不自然に弾け飛んだ。奥から液体が吹き出し、ストレアルの身体にこびりつく。
一瞬、返り血か何かだと錯覚した。
しかしそれは、流形状になった男の顔それ自体だった。弾けて顔のかたちをやめたそれは、うねうねと動きながら集まり、ストレアルに覆い被さろうとしてくる。
「甘いな、これはすでに見た手だぞ……!!」
少し前に相手にしたゴスペルも、何度か似たようなことをした。
ストレアルが、自分の周りに虚空の力を発生させ、無貌種の細胞群を消失させようとしたとき――
死角から飛んできた掌底が、ストレアルの顎を捉えた。
目の前に火花が散り、思わずたたらを踏む。
「……ようやく捉えたぜ」
近くで響いたその声に、聞き覚えはない。少なくとも、たったいままで対峙していた低い男の声ではない。
ストレアルはハッと息を呑み、声の響いた方に目をやった。
五歩は離れた場所――そこに、艶やかな長い金髪をたなびかせた女が立っている。
女が指をクイと動かすと、ストレアルの身体にこびりついていた無貌種がボトボトと地面に落ち、すっと溶け込んで消えてしまう。
「どうだ? これも、さっき見せた手品だが」
「貴様がメニオールか……」
ストレアルは、ずっとスカーという男の皮を被っていた女をまじまじと見つめた。
胸中には、興奮と興味が渦巻いている。
確実に仕留めた攻撃だと思ったにもかかわらず、こいつはそれを切り抜けて見せた。いや、切り抜けたというより、最初からこれを狙っていたのだろうか? わざと隙を作り、こちらを誘い込んだのかもしれない……どちらにせよ、すばらしい機転だ。
「……なるほど、あの男が執着するのもわかる気がするな」
「あの男?」
「貴様がたったいままで擬態していた男だ。あのスカーという男に、貴様の話を聞いた。やつは、貴様のことを随分と熱っぽく話していたが」
「まったく、しょうがねえやつだ。アタシの好みは、死人のように静かな男だってのに。気に入られたいのなら、ずっと黙っているべきだった」
メニオールは飄々とした態度でそう言った。
「……おかげで計画は一から組み立て直しだ。手間ばかりかけさせやがって」
「貴様の心配事はわからんが、私にもちょっとした慰みの言葉くらいはかけてやることはできそうだ。何も憂うことなどない、とな。今日、この場で貴様は死ぬからだ」
「――残念ながら、死ぬのはてめえだ」
メニオールの瞳が光る。
その瞬間、ストレアルは大きな違和感を覚えた。
身体が動かせない……?
「っ……?」
「もうとっくに勝負はついた。アタシの勝ちだ」
両足から力が抜け、ストレアルは大地に膝をついた。
何が起こったのかわからなかった。身体が言うことを聞かない。マナを発することさえできない。
まさか、先ほどの掌底だろうか?
いまのストレアルにできるのは、頭を巡らせることだけだった。
あの瞬間に、何か魔法を張り付けられたのかもしれない。これまでにもストレアルは、生物を操作する付与魔法使いと戦ったことがあった。
術者がその魔法を発動させる条件は様々だが、メニオールのそれが「直接的な接触」だった可能性は十分にある。
となると、いま自分の顔にはメニオールの魔法が張り付けられているわけか。
身体の支配を奪われたいま、自分の体内からマナを発し、空間ごとそれを削り取ることは不可能だった。
――しかし、ストレアルは先ほど自分の身の回りに大気のマナを呼んでいた。
そしてマナコールの本質は、自分の外にあるマナを操作することにある……。
削れ。
と、ストレアルは、それらに向かって短く命じた。
その瞬間、周りに漂う大気が、ぼんやりと金色に光り始めた。




