ペッカトリアの王
これは一般的に知られていないが、監獄の中に入ってくる人間は、何も罪を犯した囚人だけというわけではない。どんな物事にも、例外が存在するものだ。
この場所における人的例外は、フォレース王に認められた交易商人であり、あとは彼らが労働力として売りに出す奴隷たちだった。
ドグマがこの監獄世界を牛耳るようになってから、もといた世界――最初の統治者、魔女フルールのやり方を借りれば、それは帰るべき故郷と呼ぶべき場所だが――そことの交易が特に盛んになった。
こちらには、ノスタルジアにない品物が溢れている。それらを提供し、ノスタルジアから相応の報酬を得る。その報酬が金貨であり、物資であり――奴隷だった。
奴隷はドグマの生まれであるギガントローテの文化であり、彼はそのやり方を上手く心得ていた。
特に自分が巨人種だからと言って、巨人種の奴隷を優先的に仕入れるということはしない。様々な人種を混ぜ合わせるのが、彼らを団結させないコツだ。
いまもドグマは、三メートル以上はあろうかという特大の身体を特注品のベッドの上で惜しげもなく広げ、様々な人種の女奴隷たちにマッサージさせていた。
枕元には、歌を歌わせるだけに買った巨人種の女奴隷がいて、麝香を焚いた部屋に綺麗な声を響かせている。
「――ボス、大変だ」
せっかく気持ちよくうとうとし始めていたというのに、ドスの利いた男の声で叩き起こされ、ドグマは苛立って身体を起こした。
「……なんだ、いまは昼寝の時間だってのに!」
「新入りたちの件だが、失敗しちまった」
見ると、顔に大きな傷跡のある男、スカーが相変わらず表情のつかめない顔で立っている。
「何? 失敗した?」
「やつらの中にヤバいやつがいる。とんでもないバケモンだ」
「それで、てめえはすごすごと帰ってきたってのか? え、スカー?」
言いながら、ドグマはベッドのへりに座った。ベッドは低く作らせていて、座っていても両足をつくことができる。巨人種は巨大な上半身に比べ、下半身が異様に短いのだ。
思わず、顔をしかめた。自分が座っている姿を「可愛い」などと言った奴隷をミンチにしたこともあるほど、ドグマは自分の『絵になる』座り姿が嫌いだった。
「ラーゾンはどうした?」
「やつらに捕まった。助けたかったんだが」
「死んだのか?」
「わからない」
「わからないで済むか、てめえ!」
カッとなって大声を出すと、そばに侍らす女奴隷たちが震え上がるのがわかった。
「……カッカしないでくれよ、ボス。ラーゾンと一緒に犬死にしてくりゃよかったってのか?」
「てめえが死ぬ気でやれば結果は変わったかもしれねえだろ! さては手を抜きやがったな!」
「これは由々しき事態だと思ったんだよ、ボス。ビジネスの話だ」
ビジネスという言葉を聞いて、途端にドグマは勢いを失った。
ノスタルジアとの交易は、あの魔女フルールですら上手く扱えなかった分野だ。そこで巧みに立ち回ることができれば、彼女を超える為政者になれる……。
昔、フルールの『荷物持ち』に過ぎなかったドグマは、彼女が手をつけなかったことをやることで、みなに自分の能力の高さを認識させようと躍起になっているところがあった。
「……ビジネスだと?」
「そうさ。人払いしてくれ」
部下であるスカーの言いなりになるのは癪だが、この監獄にきてから作った自分の子どもたちよりも、彼はよほど頼りになるところがあった。力自慢だけが取り柄のやつらとは違い、こいつは特に頭が切れる。
女奴隷たちを部屋から追い出すと、ドグマはひそひそと切り出した。
「……どういうことだ、スカー?」
「思うに、今回のことは割りに合わねえ仕事だ。オレたち吹っかけられたんだよ、ボス」
「何だと?」
「例のやつが依頼してきた内容は、今週入ってくる新入りの皆殺しだろ? 大したことねえ仕事だっていうからボスは引き受けちまったが、殺すリストにヤバいやつがいた。あの野郎、オレたちを騙しやがったんだぜ。この調子じゃ、報酬もちゃんと払うかわからねえ」
新入りの皆殺しは、ノスタルジアのとある商会からの依頼だった。
たった一人でここまでやってきたというその男は、顔をすっぽりと隠す仮面をつけ、聞いたこともない商会の代理人だと自己紹介した。持っていたフォレース王の許可証は、確かに本物だったはずだが……。
「やるなら報酬の上乗せと、あとはきちんと仕事の前金を貰うべきだぜ。あんな端金じゃ、とても割りに合わねえ」
「……お前がいうほど、その新入りはヤバいのか?」
「間違いなくバケモンだ。戦うならこっちにも相応の犠牲がでる。……あと、正直を言うと、殺しちまうのは惜しい」
「なんでだ?」
「オレたちの抱えてる問題は山積みだろ? ここは監獄ダンジョンだぜ。下層のやつらは、層を突破するために、強力な助っ人を喉から手が出るほど欲しがってる。それに、この層にいる小鬼たちも知恵をつけてきて、昔ほど従順じゃねえ。ボス、あのアイテムはまだ見つかってねえんだろ? あのユナグナとかいう、馬鹿な子鬼が三つもくすねやがった特級品の象牙は?」
「まだだ。あの野郎、まだどこに隠したか吐きやがらねえ……」
「じゃあ、のんびり昼寝なんかしてる場合じゃねえよ。あのアイテムは、ボスがここのボスでいられるために必要なものなんだぜ。あの象牙を独占しているからこそ、神の子はボスの言うことを聞く。そうだろ?」
「たった三つだろ……?」
「その三つでリルパは納得しちまうかもしれねえ。ボス以外の人間でも、カルボファントの象牙を持ってこれるってな。そうなったら、リルパはボスの言うことを聞くかな?」
ドグマは眉をひそめた。
「……お前の言う通りだ、スカー。馬鹿なユナグナは、もっと締め上げてやらなきゃな」
「ユナグナだけじゃねえ。小鬼たち全員に、もう一度立場をわからせるんだ。そこで話が戻るのさ。馬鹿なことを続ける小鬼たちの手綱を握り直すためにも、オレたちの仲間に強力なやつがいた方がいい。最悪、小鬼の反乱なんてふざけたことになってみろ。使える戦力は一人でも多い方がいいからな」
「なるほどな、確かに」
ドグマは顎をさすって考えた。スカーの言うことは、いちいちもっともだ。
「なんならいっそ、断っちまうか? あの仮面野郎の依頼をよ」
あの男はいまペッカトリアの商館に滞在していて、今日もこのあと、依頼の達成状況について話を聞きに来る約束だった。そのときはっきりと、ノーを突きつければいいだけの話だ。
「いや、それも早計だぜ、ボス。あまりにも、もったいねえ。三十二人いた新入りの内、生き残ってるのは八人だ。獄吏の作った目録書はあるかい?」
ドグマはベッドから立ち上がると、自分のサイズに合わせて作らせた巨大な棚まで歩き、そこから囚人リストの束を取り出した。
「えっと……ほらよ、これが今週入ってくるはずだった囚人たちのリストだ」
目録書には、人相描きも記載されている。それを見ながら、スカーは束を二つにわけた。
「こっちのリストのやつらはラーゾンの三頭犬が殺した。よくやってくれたと思うぜ」
「生き残りはこの八枚か……どいつがお前のいうバケモンだ?」
スカーは、『ギデオン・アゲルウォーク』と書かれた目録書を、指で示した。
「……こいつだ。植物を使う」
「罪状は違法薬物の大量保持。そいつを使って国家転覆をはかったってか。イカレてやがるな!」
「ボス、まずは仮面野郎に、こっちのすでに殺したやつらのリストを渡すんだ。オレが思うに、やつは新入りのうちの誰か一人を殺したいのさ。その殺しの痕跡を目立たなくするために、他のやつらもまとめて殺せって言ってきてやがる」
「なるほど。木を隠すなら、森の中ってやつだな」
「そうさ。仮に殺したやつらの中に仮面野郎の目当てがいるなら、もうこの依頼は完了してもいいはずだ。対象を目立たず殺すっていうやつの目論見は完了しているはずだしな。ただ、目当ては十中八九、このギデオンってやつだろうとは思うが……」
「とりあえずリストを渡して依頼完了ならそれでよし。もしまだ殺しを続けるように言うんだったら、断るってことだな?」
「それがペッカトリアのためには一番だ。結局ノスタルジアのやつらとは、信用し合うことなんてできやしねえ。無茶な要求は突っぱねるのも手だ」
「そうだな」
ドグマは大きく息を吐き、生存者のリストを眺めた。
「こいつらはいまどうしてる? 森を彷徨ってるなら、使いを出すか?」
「いや、このギデオンって野郎はペッカトリアのことを知ってやがった。多分、自力でこの街までくるはずだ」
「なら、来たら一番にここに通せ。誤解を解いておかなきゃな。お互いのために」
「わかった。ああ、あと新入りたちのことで一つお願いがあるんだよ、ボス……」
「なんだ?」
スカーは、傷のある顔を歪めていた。どうも、笑っているらしい。彼の手には、『ミレニア・フィリス』と書かれた別の目録書が握られている。
「……この女をオレにくれ。森で一目見て気に入っちまった」
「なんだ、お前、おねだりか? この前やった女はどうした?」
ドグマは、優秀な子分に寛大な態度を示そうと、柔らかで威厳ある声を出した。
「この前やった? あのメニオールとかいうハーフエルフのことか? あいつはもう殺しちまったが……」
「違う、違う! 一年前くらいに別の奴隷をやっただろうが! 忘れたのか?」
「……あ? ……ああ、あいつももう死んだよ。いつの話をしてるのかと思ったぜ……」
「まったく、てめえってやつはすぐ玩具を壊しちまう! 新しい玩具を用意する俺の身にもなれってんだ!」
ドグマは豪快に笑い飛ばし、スカーを信頼の目で眺めた。
「いいぜ、その女はやるよ、スカー。俺はここの王だ。思い通りにならねえことなんてねえ」
「……そうこなくちゃな」
スカーはそう言うと、また大きく顔を歪めた。
「週」や「メートル」などの単位は、読みやすさ優先で現実に即しております。




