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金色の塔

 ゴスペルは熱線の放射をやめなかった。

 巻き起こった爆風が周囲の小鬼たちを吹き飛ばし、ペッカトリアの街を削っていく。


 ――フルールズ・レイジ。


 フルールの怒りを買い、彼女の怒りを象徴するものとして名づけられた、この竜の名称だ。

 そして、あの魔女の中に怒りを引き起こす発端となったものこそが、この熱線の一撃。


 もともとこの竜は、ここより遥か東の街、竜都イステリセンに突如として現れた暴竜だった。

 その地で飼い慣らされていた地竜たちを全て支配下に置き、小鬼たちの生活を破壊しそうになった暴竜を見かねたフルールは、囚人たちからなる討伐隊を結成してその地に向かわせたのである。


 戦闘要員ではないと判断され、討伐隊から外れたゴスペルも、小鬼の姿で密かにそこに潜りこんだ。

 それほど力のある竜を保存する機会など、そのときを逃せば後にも先にも絶対に訪れないという確信があったからだ。


 結果として暴竜はフルールに敗れ、大地に倒れ伏すことになったが、すんでのところでその力が完全に失われてしまうことだけは回避できた。


 いまこうして、ゴスペルの中で保存されていることがその証拠。力ある存在を滅びから遠ざけ、身の中に保存することこそが、無貌種(シェイプシフター)である自分の使命ではないかと思っていたときの名残である。


(魔女フルールにすら傷をつけた一撃――たとえあの騎士にどれほどの力があろうとも、これを防ぎきることなどできますまい!)


 最大火力まで高められた熱線の一撃はこの暴竜の切り札であり、それすなわちゴスペルの切り札でもあった。


 ――しかし。


 いまだ放射され続ける熱線の先で、突如として金色の光が膨れ上がり、ゴスペルは巨大な目を剥いた。

 熱線が弾かれて分散し、周囲の建物に突き刺さる。


 周りにいた小鬼たちは、その地獄のような光景に逃げ惑った。

 地面に出現した金色の光は輝きを増しながらゆっくりと伸び、遥か天高くまで続く光の柱を立てた。


 唖然とその様を見守るうちに、光の柱がゴスペルの方に向かって凄まじい勢いで倒れてくる。

 咄嗟のことで躱すこともできず、ゴスペルは光の柱の激突を竜の身体で受け止めた。


「ぐう、うううぅぅっ……!?」


 衝撃はなかった。ただ膨大な喪失感とともに、身体の多くが消滅してしまったのを感じた。

 光りの柱に打たれた左半身のほとんどがなくなっている……。


 バランスを崩し、ゴスペルは地面に墜落した。

 地響きとともに、土煙が舞いあがる。


 もはや竜の姿を維持できずに、気づいたとき、ゴスペルは普段の人間の姿に戻っていた。


「……もう終わりか?」


 もうもうと立ち込めた土煙の向こうから、人影が近づいてくる。

 ゴスペルは冷や汗をかいた。


 金色の光を帯びたストレアルが、まったくの無傷でそこに立っている。


「ば、馬鹿な……」

「いい一撃だった。私も流石に肝を冷やした」


 そう言うと、ストレアルは自らの手に持つ剣にちらりと視線を落とした。


「……いま一度聞く。もう終わりか?」

「……え?」

「まだ戦う手段は残されているんじゃないのか? 無貌種(シェイプシフター)は多芸が売りだろう?」

「……いえ」


 ゴスペルは物欲しそうな表情を浮かべるストレアルを見て、こんなときのもかかわらず、思わず笑いそうになった。


「いまのがわたくしにできる最大の攻撃です。あれを防がれてしまっては、もうどうしようもありませんね……」

「そうか、残念だ」


 ストレアルは短く言ってから、剣を構えた。


(ああ、これが一巻の終わりというやつなのでしょうか……)


 どこか他人事のように感じながら、ゴスペルは自分の死を身近なものと感じた。

 不思議と恐怖はない。いや、むしろ喜ばしいものとすら思えた。


 ――無か。


 それは、ストレアルが無貌種(シェイプシフター)に下した結論だった。

 妥協的な答えであるが、それはそれで悪くないのかもしれない。


 目の前までゆっくりと歩いてきたストレアルが、剣を上段に構えたとき――


「――待って! 待ってください! その人を殺さないで!」


 悲痛を訴える声が響き、ゴスペルは眉をひそめた。

 ついと目を動かして声の方向を見ると、煤だらけになったミレニアがそこにいるではないか。


「――ミトラルダ!」


 ストレアルが大きく目を見開く。


「……ストレアル?」


 ミレニアの方も、そこにいる男が信じられないとばかりに、口をぽかんと開いた。

 どちらにとっても予想外の展開のはずだったが、その状況にすぐ反応したのは、ストレアルの方だった。


「――ああ、これは大変な失礼をいたしました。ミトラルダ殿下……フォレース王国第七騎士団団長ストレアル・ヴェスパー。御身の救出に上がりました」


 片膝をつき、胸に手を当てて言う。恭順の意を明らかにしようとばかりに……。


「ストレアル……ど、どうしてあなたがここに……?」

「リーシア! どうやら、あなたは混乱している様子ですねえ! あなたはわたくしの買った奴隷! こんな男のことなど知らないはずです!」


 ゴスペルは慌てふためきながら、物事を誤魔化そうと必死になった。


 どうして出てきたのだ! なぜ言われたように、地下に隠れていなかった……!


「黙れ、無貌なる者。もはや貴様の企みは、全て白日の下に晒されたというわけだ」


 ストレアルはゴスペルに、ニヤリと笑いかけた。


「た、企み? いや、そんなことは……」

「命拾いしたな。貴様にもう用はない」


 ストレアルは立ち上がると、ミレニアの方に近づいて行く。


「殿下、ご無事でよかった……陰謀により、あなたがここに送られたと知ったときの私の心中をお察しください。曇り、荒れる心を。しかし、その全てがいま晴れました」

「……ストレアル。本当に、あなたが……?」

「私が来た以上、もう何の心配もいりませんよ。もはやこれ以後、殿下に危害を加えられるものなど存在しないのですから。そんな不届き者がいれば、全て私の剣の錆にしてやります」


 ストレアルはミレニアの頬を撫で、優しげに微笑んだ。


「見違えましたね、殿下。本当に美しくなられました」

「ああ、ストレアル……信じられない……こんなことが……」


 ミレニアは緊張の糸が切れたかのように、ぽろぽろと涙をこぼした。

 ストレアルはそんな彼女の身体を引き寄せ、強く抱きしめる。


「……心配をかけました。ですが本当にもう大丈夫です、殿下」

「リーシア! その男からいますぐ離れなさい! その男こそ、アソーラム公の放った犬! あなたをここに送り込み、誰の目につかない場所で暗殺しようと企んだ張本人なのですから!」


 ゴスペルは叫んだ。

 しかしストレアルに、ぞっとするほど冷たい目を向けられて萎縮してしまう。とても敵わぬ相手だ……力では、どうにもならぬ相手……。


「……まだ抵抗する気か? 殿下をずっとたぶらかしていた不届き者……無貌なる者……貴様がその不遜な態度を改めぬと言うなら、ラヴィリントに代わり、いま私が天誅を下してやる」


 ストレアルの剣がまた金色の光を帯び始め、ゴスペルはさっと青ざめた。


「待ってください、ストレアル! この方は危険極まりない監獄世界の地で、ずっと私を守っていてくださったのです!」

「あなたを利用しようとしていたに過ぎません。高貴なるフォレースの血筋をね」


 抜け抜けとそんなことを言うストレアルを、ゴスペルは歯ぎしりしながら眺めた。

 彼女を利用しようとしているのは、お前たちの方ではないか!


 そのときストレアルが、ふっと笑みを浮かべる。


「……ですが殿下の情け深い御心に免じ、この者を手にかけるのはやめておきましょう。もうこんな世界と関わることもないのですから。さあ、殿下。私たちの世界に帰りましょう」


 ミレニアは後ろ髪を引かれた様子だったが、強引に肩を抱くストレアルの力に逆らえず、連行されていく。


「ああ、大変なことになってしまいました……メニオールに怒られる……彼女を本気で怒らせてしまう……」


 ゴスペルはおろおろしながら、厳しい現実から逃避するように物思いに沈んでいった。

 ……いつまでそうしていただろうか。


「おい……おい、ゴスペル!」


 初めてメニオールの魔法の支配下に置かれ、抵抗する間もなく無力化された日のことを思い出しているところだった。恐怖を知らない自分が、初めてそれに似た感情を得た日のこと……。


 その記憶と連続した風景が突如として目の前に広がり、ゴスペルは泡を吹いて卒倒しそうになった。


 不機嫌そうにこちらを覗き込んでくる、美しい女性の顔……。


「メ、メニオール……?」

「こいつはどういうことだ、ゴスペル? なんでてめえの屋敷が、こんなひでえ有様になってやがる……」

「ああ、大変なのです……あの騎士がやってきまして……もちろん、わたくしも必死に抵抗したのですが……」


 それを聞き、メニオールはハッと息を呑んだ。


「……まさかミレニアを?」

「わ、わたくしは地下に隠れていろと言ったのです! ですが、その……」


 メニオールはじっと黙っていた。しばらくしてから、彼女の肩口から流形状の膜が伸び、美しい顔を覆っていく。そこには、再びスカーの顔が形作られていた。


「……連れ戻す」


 彼女が言ったのは、それだけだった。


「あの騎士は恐ろしい相手です! あなたは賢い女性のはずですよ、メニオール! ダンジョンの攻略に、一国の姫が必要ですか!? いまこそ甘さを捨て、理性ある決断が求められるときです!」


 駆けて行くメニオールの背中に向け、ゴスペルは叫んだ。

 ……しかしその言葉は、いまのメニオールを止められるだけの力を持っていないようだった。


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