亡国の姫君
屋敷のカーテンを少し開き、ゴスペルは自分の屋敷の庭でいま繰り広げられている大活劇を見て、ぶるぶると身体を震わせていた。
「おお、あれこそ王国騎士の力! 何という力強さ! 何という技のキレ!」
「ご、ゴスペルさま……?」
メイド服姿のミレニアが、こわごわと声をかけてくる。
「おっと、あなたは見てはいけませんよ、リーシア。大丈夫、いまあの無礼な侵入者を、わたくしの可愛いペットたちが……ペットたちが……き、切り刻まれている!」
カーテンを閉じ、部屋を歩いて専用の安楽椅子に座ると、ゴスペルはしばらくそこでゆらゆらと揺られるに任せた。
「……これはどうやら、危機的状況のようですね……」
「……え?」
「あなたには避難してもらいます、リーシア……」
ゴスペルは立ち上がり、いそいそとミレニアの手を取った。それから、足早に自室をあとにする。
「な、何が起こっているのですか?」
「アソーラム公の使いが強襲を仕掛けてきました。狙いはもちろん、あなたです……」
すると、ミレニアがハッと息を呑むのがわかった。
「お、伯父さまの使い……?」
「大丈夫、あなたは守って差し上げます、ミトラルダ殿下……というよりも、守らなければわたくしがメニオールに殺されてしまいますよ……」
「メニオールはいまどこに?」
「彼女らしくないミスを犯し、その尻拭いに奔走していますよ……ただ、すぐに逃げ出した男を捕まえてここに戻ってくるでしょう……あなたには、特にご執心のようですからね」
「どうしてメニオールは、ここまでして私を守ろうとするんです? 彼女は打算的な態度だと言いますが、それにしては度を過ぎています」
「きっと、あなたに自分の妹君を重ね合わせているのでしょうね……」
ゴスペルはミレニアの方を振り返らず、廊下を急いだ。
「妹? メニオールには妹がいるのですか?」
「正確には、『いた』という表現が相応しいのですがね……さらに正確を期すなら、妹と言っても半分しか血がつながっていない腹違いの妹ですが……」
これはメニオールにも伝えていないことだ。ゴスペルはノスタルジアにいる同胞たちの協力を得て、メニオールの過去を探ったことがある。
「彼女の妹の名前はリーシア。純粋なエルフですよ。半分人間の血が混じったメニオールとは違ってね……」
「リーシア……?」
「そう……メニオールがあなたに与えた名前の、本来の持ち主です。エルフたちの言い伝えですよ。名前にはそのものの魂と力が宿る、と。ゆえにエルフは、自分の身の回りにあるものを大切な人の名前で呼び、そこに祝福を付与するのです……」
「どうして私に、そんな大事な人の名前を与えたんですか……?」
「ですからあなたの境遇に、妹君を重ね合わせたのでしょう……帰るべき国をなくした姫君……といっても、リーシアは国を追われたのではなく、国自体が亡びてしまったのですが……」
「亡びた……?」
「そうです。それも、つい最近ね……」
「……まさか、その国というのはティターニアのことですか……?」
エルフたちの故郷、黄金のティターニア。
そこは十年ほど前に突然現れた「呪いの茨」と呼ばれる巨大な瘴気植物によって、人の住めない地獄と化した。
結果、そこで生活していたエルフたちは難民となって他国に押し寄せ、大きな国際問題となったという話だ。それから少しずつエルフたちの受け入れは進んでいるらしいが、いまだに問題は完全な解決を迎えていない。
「……そうです。亡国のティターニア……」
と、ゴスペルは深く頷いた。
「メニオールは、かつてのティターニア王の娘……つまり、王女の一人ですよ……半分人間の血を引いているため、正当な王位継承権は与えられませんでしたけどね……」
「そ、そんな人が監獄に……?」
「あなたもここにいるではありませんか、ミトラルダ殿下!」
そう言ってから、ゴスペルは何だかおかしくなって、ぶっと吹き出してしまった。
「メニオールは甘い性格をしています……口では何とでも言いますがね……打算やそんな類の感情でメニオールが動いていると思っているといるのなら、あなたは彼女を見誤っています……その甘さが彼女をこの監獄に連れてきたのですから、良し悪しはあるでしょうがね……」
「ど、どういうことです?」
「……さて、おしゃべりは終わりですよ、リーシア」
ゴスペルが向かっていたのは、地下水道へと続く小部屋だった。
扉の鍵を開け、彼女を暗がりにぐいと引きずり込む。
そして床の格子を開き、地下へと続く階段を指差した。
「しばらくの間、地下へと逃げていてください。できるだけ、色々な方向へと進むのです……きっと迷うことになるでしょうが、大丈夫……わたくしは人間以外の姿にもなれます。嗅覚や聴覚を駆使してきっとあなたを探し出し、また日の下へと連れてきてあげますよ……」
「あ、あなたはどうするんです……?」
「この屋敷はいま、侵略を受けています……ので……ここの主として、敵を排除しなければなりません……気は進みませんが」
言いながら、ゴスペルは自分が苦笑いしていることに気がついた。ひょっとすると、自分もメニオールの甘さに感化されているのかもしれない。
「危機を取り除いてから、必ず迷えるあなたを迎えに行きます。大丈夫、わたくしは来た道も行く道もわからぬ無貌種……死ねないのです」
最高に冴えた冗談を言ったつもりだったが、ミレニアの反応は薄い。
気まずくなったゴスペルは、ミレニアの返事を待たずに小部屋から出ると、巨大な虎型の魔物へと変化した。
四つん這いで廊下を駆け、騒々しい物音がする方向へと飛ぶように走る。
現場に到着したゴスペルが見たのは、すでに屋敷の中に入り込むことに成功している騎士が、彼自身を取り囲む魔物の群れの一匹をいままさに両断したところだった。
二つに分かれた肉片の一方が、脇にある窓ガラスを突き破って外へ出ていく。もう片方の肉片は、廊下に落ち、ぴくぴくと痙攣した。
ストレアルが周りの魔物に気を取られているうちに、ゴスペルは魔物たちの作った輪に音もなく忍び寄ると――それを一息に飛び越えて騎士に躍り掛かった。
「――っ!!」
流石と言うべきか、ストレアルは攻撃に反応し、剣で爪の一撃を食い止める。
「今度は虎……この屋敷は見世物小屋か」
「……では、見物料金はあなたの命で」
ぼそりと人間の言葉で呟くと、騎士の片眉が上がった。
「しゃべる魔物とはな! 虎と人間のキメラか……」
「……さて、どうでしょうね?」
ゴスペルは前足に力を込め、剣ごとストレアルを押しつぶそうとする。
「ラヴィリントの創造物を捻じ曲げる悪魔の所業……許すことはできんな!」
言いながら、ストレアルが強引に腕を振るう。
剣と唾ぜり合いを演じていた爪が吹き飛び、ゴスペルは咄嗟に後ろへと飛び退いた。
まさか、この姿で力負けするようなことがあろうとは!
着地したときには、すでに騎士は目前に迫っている。
「貴様の存在は、神に対する不敬だ!」
「――ほう、なんという凄まじい速さ!」
そう叫び、今度ゴスペルは目を見張る。
化け物じみた力だけではなく、この俊敏性。
これが王国騎士団の一つを任される者の強さか!
感心している間に、金色に輝いた剣が魔物の巨体を切り裂いた。
「……言葉を話せる割に、最後の台詞はくだらんものだったな」
ストレアルが血塗れた剣を振るうと、赤いしぶきが回廊に飛び散った。




