混乱の渦中
ドグマを丸め込み、リルパに向けて伝書鳩を放ったあと、メニオールは地下牢に向かった。
地下への階段の途中で、ぬっと大きな身体が現れ、行く手を阻まれる。
ドグマの息子、ソディンだ。
「よお、ソディン」
「あ……スカーの兄貴……」
ソディンは顔に脂汗を浮かべ、目を泳がせた。彼がスカーの前でおどおどするのはいつものことだと知っていたメニオールは、その態度を特に珍しいものだと思わなかった。
「何を運んでる? そいつは何だ?」
ソディンは藁で出来た袋を肩に担いでいる。
彼は、慌てふためいた様子でパクパクと口を開閉してから、ようやく声を絞り出した。
「り、竜の餌だよ。親父の竜は特上の餌しか食わねえ。まったく、困ったもんだ……」
「世話役の小鬼はどうした? どうしてそんなもんをお前がわざわざ運んでいる?」
「な、なんでも、祝い事があったとかで、休暇が欲しいとか抜かしやがってよ」
「それを許可したのか?」
甘い性格のソディンは、いまにも泣き出しそうな顔をしていた。
「い、いけなかったかい? たまにはあいつらにも骨休めが必要だろ……?」
「いけねえってことはねえがよ。てめえはもっと偉大なボスを見習って、堂々としているべきだと思うがな」
言いながら、メニオールは宮殿の中が随分と静かなことに気づいた。
「おい、ソディン。なんで小鬼がこんなに少ない? いつもは頼んでもないのに、そこら中に沸いて雑用をしてやがるだろ」
「だから、祝い事で」
「その祝い事ってやつは、小鬼全般に関係する話なのか?」
「そ、そうみてえだ」
ソディンは何度も頷いた。
「俺も詳しいことは知らねえが、リルパのことですげえことがあったらしい。ノズフェッカからの知らせが届いたとかで」
「……ノズフェッカだと?」
メニオールは眉をひそめた。ギデオンとリルパはいまそこにいるはずだ。
「や、やつら、リルパのことになると目の色を変えやがる……俺だって、リルパのことは何より優先すべきだって思う。だから、あいつらの要求を呑んだ」
「……そうか。それはまあ、そのとおりかもしれねえが」
そう言って腕を組むと、メニオールはソディンの顔をちらりと見上げた。
「呼び止めて悪かったな、ソディン。仕事に戻ってくれ」
「あ、ああ」
ソディンはほっと安堵した顔になって、廊下をズシズシと歩いて行った。
気を取り直して、メニオールは宮殿の地下牢へと向かった。
牢番を務める若い小鬼は、他の小鬼たちから貧乏くじを引かされたのか、いかにも不平っぽい顔つきで立っていたが、『スカー』の姿を見るとにっこりと笑顔になった。
「これはこれは、スカーさま!」
「精が出るな。てめえは祝い事とやらに参加しなくてもいいのか?」
「小鬼の領分は仕事であり、本分は勤労でございやんす! 浮ついたことを言っているやつらは実に愚か! まったく愚か者でございやんすよ!」
「何があったんだ? 他のやつらから、何か聞いてるか?」
すると、小鬼はたったいま自分で言った言葉に反し、途端に物欲しそうな顔になった。
「実はリルパが婚約されたとか。そしてその旦那さまと、ノズフェッカを訪れたという話でございやんす……」
「な、何?」
「しかも、ノズフェッカにちょうど壊滅的な危機が迫ったとかで、リルパと旦那さまがそれを撃退したようなのでございやんす。天変地異に匹敵する魔物の襲撃を受け、あの北の都市が滅びようとしているのを、リルパたちが救ったのだと!」
「旦那さまというのは、まさかギデオンのことじゃねえだろうな……?」
「おお、ご存知でございやんしたか! そうでございやんす! リルパが見初めたアンタイオは、確かにギデオンさまという方でございやんすよ!」
それを聞き、メニオールは激しく混乱した。
いったいどういうことだ……? あのリルパが婚約……? しかも、その相手がギデオンだと……?
わけがわからない。
「英雄の誕生に、ペッカトリアの通信所はいま、上を下への大騒ぎという話でございやんす! ノズフェッカから伝書を運ぶ鳥がひっきりなしに届くと言うことで。ここの小鬼たちはみな、その情報の真偽を確かめに出かけてしまいやんした……本来ならわたくしめもそうしたいところではありやんすが……」
もはや強がりを言う余裕もないのか、牢番の小鬼は悄然とした様子で肩を落とした。
「……てめえも行っていいぞ。しばらく、ここはオレに任せておけ」
メニオールがそう言うと、小鬼は目を見開いた。
「い、いえ。わたくしめには仕事が……」
「リルパの幸福はオレたちの幸福さ。わかち合わねえとな。そうだろ?」
「おお、寛大なるスカーさまにリルの加護がありますように!」
小鬼はひざまずき、床に頭をこすりつけると、一目散に廊下を駆けて行った。
……これでいい。これで、ユナグナのやつを外に連れ出しやすくなるというものだ。
リルパに何が起きたのか正確なところを知る必要があったが、いまはとりあえずこの状況に感謝しなければならない。
メニオールはスカーの顔を大きく歪め、暗い地下牢に歩を進めた。
少し最初の計画と変わってしまったが、このどさくさに紛れてユナグナを連れ出してしまおう、と。
あの小鬼には、まだ利用価値があるはずだ……。
そう思って暗がりを進むメニオールは、しかし牢の前でピタリと動きを止めた。そして、全部が全部自分の思惑通りに進むわけではないと悟って、奥歯を強く噛みしめた。
牢の中にある光景を見て、本日二度目の「もぬけの殻」を体験する――
「――あの野郎、どこに行きやがった!?」
ユナグナの姿は、消えてなくなっていた。
スカーの家での一件のように、壁に穴が開いているわけではない。
では、どこから抜け出した?
そう思った次の瞬間には、メニオールは目ざとくユナグナが繋がれていた枷の鍵と、牢自体の鍵が開錠されているのを見つけた。
(あの野郎は、入り口から堂々と出て行きやがったんだ! いや……というよりも、誰かが牢を開放した!)
この場所への出入りを許されている者は色々といるが、牢の鍵を持つ者に絞って考えると、小鬼逃がしの犯人として挙がる候補はそう多くない。
そのときメニオールは、先ほど地下に来る途中にすれ違ったソディンが、妙な袋を担いでいたのを思い出した。ちょうど、小鬼ぐらいの大きさの「何か」が入っていた藁の袋……。
まさか、と生唾を飲み込む。
(……あいつは竜の餌を運んでいるとか言っていやがった! だが、地下からどんな餌を運ぶってんだ……?)
メニオールは踵を返すと、地下牢から飛び出した。
あの中身は竜の餌なんかではない――生きた小鬼だ!
いまとなって、メニオールは先ほどの牢番に自由を与えたことを強く後悔した。ソディンが少し前にこの牢に入っていたのか、聞くことができたというのに。
それにしても、もしソディンが担いでいた袋の中身がユナグナだったとしたら、なぜあいつはあの小鬼を外へと連れ出そうとしたのだろう? 動機は何だ?
ユナグナはドグマから象牙を盗み出した小鬼であり、ドグマの息子であるソディンにとっては、やつを逃がすメリットなど何もないはずなのに……。
思考を巡らせてみても、何もわからなかった。
――ペッカトリアはいま、混乱の渦中にある。




