メニオールの一手
裏路地に残して行った無貌種を回収したメニオールは、改めてギデオンの姿に化けると、ドグマの宮殿に向かった。
あのストレアルという男は危険だ。ギデオンのかたちに象った無貌種の全神経を通し、あの男と対峙して感じたのは、あまりにも底知れない力だった。
このままでは、ミレニアが危ない――あのストレアルは、可及的速やかに排除しなければならない。
しかしあの男はフェノム同様、直接やりあってはいけない存在だとも思った。
となれば……。
――そう、メニオールにはまだ切り札が残されている。
ストレアルはミスを犯した。
それは、彼がフェノムの陣営にいるということ。いま、これほどの悪手はない。
宮殿に辿り着くと、メニオールはマスクをスカーに変え、息も絶え絶えといった演技をしながらドグマの部屋に飛び込んだ。
巨人はベッドの上でくつろぎながら、奴隷女たちに身体をマッサージさせている。
「ぼ、ボス! 大変だ!」
メニオールがスカーの声色で叫ぶと、ドグマは勢いよく上半身を起こした。
「――何だってんだ、騒々しい! って、スカーじゃねえか……」
「そんなことやってる場合じゃねえぜ、ボス! 馬鹿なユナグナが、盗み出した象牙の在り処をやっと吐きやがったんだ!」
「な、何だと!?」
ドグマが驚愕に目を見開くのを見て、メニオールは内心でほくそ笑んだ。
「……フェノムだ。フェノムが全部裏で糸を引いてやがった!」
「フェノムが……?」
「ほ、ほら、見てくれ。こいつが証拠だ……」
言いながら、メニオールはこれ以上恐ろしいものはないとばかりに、震える手で腰の袋から象牙を取り出した。
それを見て、ドグマの顔が一瞬のうちに真っ赤になる。百いる人間の誰に訊ねても、全員それが怒りとはっきり答えるに違いない――それほど明確な怒りの表情だった。
「――カルボファントの象牙! そいつは全部、俺の手の中にあるべきもんだぜ!」
「いま、オレはユナグナの言葉が本当かどうか、確かめに行ってきたんだ。そしたら、隠し場所の一つって言いやがった場所に、これがちゃんとあった。間違いねえ……」
「許せねえ! 従順な小鬼が俺様に刃向うなんて、おかしいと思ってたんだ! フェノムの野郎……さては、俺がフルールから街を任されたことを根に持ってやがったな!」
「ボス以上にここの王として相応しいやつなんていねえよ……フェノムのやつは身の丈に合わねえ服を着たがってる……」
「あの野郎……ただじゃおかねえ!」
ドグマはイライラした様子で立ち上がったが、しかしすぐに露骨と思えるほど寛大そうな顔を作って、メニオールの方に向き直った。
「……あいつには王に相応しい人望がねえ。人を従える能力がな。それにしても、てめえは俺に忠実だな。え、スカー? てめえの働きっぷりはいつも評価してるんだぜ……」
「そんなことはいい! オレがペッカトリアとボスのために働くのは、当たり前のことなんだからよ!」
メニオールは頭上のドグマを見上げ、抜け抜けと嘯いた。
「いいから、フェノムに報いを受けさせるんだ……ボス、リルパだ」
「リルパ?」
「あの怪物に言うことを聞かせられるのはボスしかいねえ。そうだろ?」
するとドグマは大きな身体を揺すり、鬚の奥で嬉しそうにくぐもった笑い声を出した。
「てめえの言葉を借りるなら、それこそ『当たり前のこと』だぜ!」
「いまリルパはギデオンと一緒に、ノズフェッカにいるんだろ?」
「相変わらず抜け目のないやつだな、てめえは! そんなことまで知ってやがったか!」
「伝書を持たせた鳥を飛ばして、呼び戻そう。リルパがその気になれば、すぐペッカトリアに戻ってこられる」
「わかった。なんて書く?」
ドグマはこういう細々としたことが苦手だ。いつもは意思を伝えるために手紙などでやりとりせず、用のあるものを直接呼びつけるか、使いを走らせて自分の命令を伝える。
「オレが文章を書くから、ボスは印璽を用意してくれ。それがあれば、リルパは信じる」
「なるほど、わかった」
そう頷いて、ドグマが自分だけの亜空間を開くのを、メニオールはしばらくの間じっと見つめていた。
あの中に、フルールの魔導書があるのだ、と思いながら。
いつか必ずそれを手に入れて見せる。しかし、いまはそのときではない……。
「どうした、スカー?」
かつてはフルールも使っていたという噂の印璽――ペッカトリア印を、『おもちゃ箱』から取り出すと、ドグマは不思議そうに訊ねてきた。
自分が物欲しそうな顔をしていることにハッと気づき、メニオールはすぐに気持ちを切り替えた。
それから奴隷女に命じて、ペンと用紙を持ってこさせた。
「……リルパには、フェノムが象牙を奪おうとしているって伝えてやればいい。正確には、フェノム一派ってことだがな」
「一派? ああ、小鬼どもか」
「いや、それだけじゃねえ。フェノムには、ノスタルジアから来た仲間がいやがる。騎士団のよしみってやつで引っ張ってきたらしい。名前はストレアル・ヴェスパー」
「それもユナグナのやつが言っていたのか?」
「そうさ」
メニオールは咄嗟に頷いた。
そして、このあとユナグナのところに行かなければならないと思い至った。口裏を合わせるように脅すか、あるいは付与魔法を張り付けて、身体の支配を完全に奪うか……。どちらにせよ、あいつをそのままにはしておけない。
「……あとユナグナのやつは、フェノムの仲間に、身体を自在に変化させる能力を持ったやつもいるとか言ってたな。そいつが、フェノムの諜報員として情報をかき集めているんだと」
「何だと?」
「ボス。これから近づいてくるやつは、絶対にすぐ信用しちゃいけねえぜ。見知った顔のやつのふりをして、ボスを騙そうとするかもしれねえ……」
メニオールは、単純なドグマが他の人間の思惑に乗せられないよう、言葉に毒をふくませた。
いま『スカー』はこの街に二人いる。こうしておけば、本物の方を偽者として排除できるかもしれない。
「そういう魔法を使うやつがいるってことか?」
「そうさ。そいつを始末しちまうまでは、安心できねえ。誰が来ても、まず疑ってかかるべきだな」
「どんな姿にもなれるってのなら、どうやって本物かどうか確かめる?」
「たとえば、そいつしか持ってねえものを提示させるとかどうだい?」
言いながら、メニオールは象牙を示して見せた。
「あとで絶対にボスに渡すから、こいつはオレに預けておいてくれ。そうすれば、オレだけは信用できるだろ? もし仮にオレに化けたやつがいても、この象牙を持ってない時点で偽者ってわけだ」
「何とも、厄介この上ねえ話だな……」
「すぐ見つけて始末するさ。とりあえず、いまはオレだけは信用してくれ。自分でこんな心にもないことを言うのも嫌な話だが、オレはこいつを持って逃げることだってできた。隠しておいて、他の利用方法を考えたりもできた……でも、ボスのところに持ってきただろ? 誰よりも忠誠心を示したかったからだ」
「もちろん、そうだとも。てめえだけは信用できる。俺の一番の部下だ」
ドグマはどこか不安そうな顔をしていたが、かろうじて威厳を保ってメニオールの肩に巨大な手を置いた。
「安心してくれ、ボス。オレはいつでもボスのために動く。それに、知らせを受けてすぐリルパが帰ってくる。そうすりゃ、ボスの地位は安泰だ」
「そうだな……その妙なやつを片づけるまで、俺もしばらくあの恐怖の城に寝泊まりでもするかな」
そう冗談を言って、ようやくドグマは鬚を揺らして笑った。




