迫る包囲網
スカーが語ったのは、驚くべき内容だった。
メニオールという女が、ずっとスカーの振りをしてこのペッカトリアの街を我が物顔で歩いていたということ。
そして、スカーはようやく囚われの身からいま解放されたという話だった。
彼の足首は、牢に繋がれていた足枷から抜け出すために自分で砕いたという。
「……どうやら、私はとても複雑なときに来たようですね」
そう言って、ストレアルは嘆息した。
その脇で、なぜかフェノムは瞳を輝かせている。
「ということは、スカー? 最近までぼくたちが君だと思っていた『スカー』は、全部そのメニオールという女性が演じていたと言うんだね?」
「そうだ」
「すばらしい……まったく、見事と言うほかない! 彼女は、ぼくたち全てを出し抜いていたんだ。そこまで度胸の据わった女性というのは、フルールくらいしか知らないね!」
「そうとも、メニオールは俺の女神だ……」
虚空を見つめ、うっとりと呆けた顔をするスカーに、ストレアルはまた声をかけた。
「……あなたが地下で囚われている際、そのメニオールが一度ミレニアを連れてきたと言う話は本当ですか?」
するとスカーは目だけを動かし、ストレアルの方をじっと見つめた。
「……黒髪で、左目が金色に輝いた女。違うかい?」
それを聞き、思わず息を呑む。
「そう! そうです! ……やはり……」
「あんたが、どうしてその女のことを知りたがるのは俺に関係ねえ。だが、もしそいつが生きているってのなら、居場所にはちょっとした心当たりがあるぜ」
「どこです?」
「メニオールをここに連れてくれ。そしたら教えるよ」
ストレアルは、おもむろに剣を振るった。男の肩に、ピッと赤い線が走る。
「……私は交渉をしているわけではありませんよ。いいから、その心当たりとやらを話してください」
「ああ、痛えぇ……アッハッハ! あんたも俺と痛みのやりとりをしたいってのかい? いいぜ、それなら本当の苦痛ってやつを教えてやる!」
「――待て待て! いまはそんなことで争っている場合じゃない!」
気色ばむ二人の間に、フェノムが割って入った。
「ねえ、スカー。メニオールに関しては、ぼくに任せてくれないか? というのも、彼女はずっと君の振りをしてぼくの周りを嗅ぎ回っていてね。結果として、知ってはいけないものも知ってしまっている。そんな存在を野放しにはしておけないから」
「……メニオールは俺の女だ。いくらあんたでも、譲る気はねえぜ」
「わかっているとも。捕まえて、連れてくるだけだ。だからここはぼくの顔に免じて、ストレアルに情報を話してやって欲しい。どうだい?」
スカーは胡乱げにフェノムを見つめた。
「……あんたがそこまで言うなんて珍しいな。この騎士さんはそんなに偉いってのか?」
「まあ、ぼくの後輩にあたるんだけどね。とても強いし、野心にも満ちている。ぼくに殺気を向けてくることもしばしばだ」
フェノムは楽しそうに言った。
「実際、生きた心地がしないんだよね。早く目的を達成してもらって、ノスタルジアへとお帰り願いたいというのが本心かな」
「へえ……?」
スカーが、興味深そうにストレアルをじろじろと見つめる。
「君は賢い男だろ、スカー? はっきり言うが、君ではストレアルに敵わないよ。物事には、相性というものがある」
「……何だと?」
「彼はそういう加護を受けている。とある女神からね」
「加護か……そういうものがあるってのは聞いたことがあるが……」
「ずるいよねえ、まったく。神に愛された人間ってわけだ」
それを聞き、スカーは不平っぽく目を細める。
「あんただってそうだろうが。老いもせず、ずっと若さを楽しんでるくせに」
「その特権を神に与えられた覚えはないけどね。ぼくは錬金術師だよ? 不老不死は一般的なテーマさ」
「……まあいいか。ところでこいつはちょっとした興味なんだが、この騎士さんとあんたと、どっちが強いんだい? こんなまだケツに卵の殻が刺さってそうな青二才と、ペッカトリア随一の使い手と言われるあんたが戦ったとしてだぜ?」
スカーは、また大きく顔を歪めてそう言った。
「焚き付けるようなことは言わないでくれよ。ストレアルがその気になったらどう責任を取ってくれるんだ!」
フェノムは大きな声を出して笑った。
「あるいは、それが君の狙いかもしれないけれどね! でも、無駄ってものさ。ぼくたちはいまのところ、たいへん仲良くやれているから。ねえ、ストレアル?」
ストレアルは掴みどころのない元騎士の態度をじれったく思いながらも、冷静さを欠いてはならないと自制した。
「……フェノムさまと争う気はありません」
もちろん、いまのところは、と注釈が付くが。
「私には、何よりも優先すべき任務があります。それは責務と言ってもいい。女神ホロウルンと、その主である主神ラヴィリント……その庇護下にあるフォレース王国を守護するという仕事が」
「そのミレニアとかいう女を探すのが、王国のためになるっていうのか?」
「そうです」
すると、スカーはちらりとフェノムの顔を見た。
「俺は王国のはみ出し者だ。そんなことに手を貸す義理はない――が、フェノムがそうしろってんなら、話は別だよな。え? そうだろ、フェノム?」
「わかってる、これはぼくへの貸しにしておいてくれ。近いうちに、必ず返す。君の女神を連れてくると言うかたちでね」
「よし」
スカーは満足げに頷くと、部屋の隅でぽつんと置いてけぼりにされている小人の老人、トバルに向き直った。
「トバル、いままでの話を聞いてたのよな?」
「も、もちろんじゃとも。お前さん、災難じゃったのう……その……」
「ボスに伝えに行ってくれ。ここ最近の俺は偽者だったとな。帰ってきたら、俺が歩けるようにしてくれ。新しい右足を作って欲しいんだ」
「わかった。それはわかったが……」
「どうした?」
「お前さんのふりをしておった偽物のスカーと、ちょっとした約束をしてしまったんじゃが……それ、やっぱり無効?」
「ラスティのことだな?」
スカーがそう言うと、トバルは驚いた様子で、口をぽかんと開けた。
「何をそんなに驚いてる? あんたはずっとあいつを欲しがってたろ? ちょっと前にメニオールがあいつの話をしたとき、きっとあんたにやるんだと思ったのさ」
「あ、相変わらず頭の回転の速いやつじゃのう、お前さんは……」
「いいぜ。足を作ってくれれば、その礼はきちんとする。あいつを解放しようじゃねえか。それがメニオールの考えでもあるわけだしな」
「ほ、本当か!?」
「もちろん。さ、行ってくれ」
言いながら、スカーは工房の出入り口を指差す。
トバルが喜び勇んで走り去る様子を、ストレアルはじっと静観していた。
「……さて、人払いは済んだ。あんたの目当ての女がどこにいるかだが――」
瞳に異様な輝きを湛えながら、スカーは語り出した。




