一度目の激突
「――フェノムさま! ここは私が!」
ストレアルは瞬時にそう叫ぶと、逃げ出した男を追跡した。
あの男は絶対にミトラルダのことを知っている!
先ほど言った「下調べ」など、もちろん口先だけのでまかせだ。調べる必要もなく、ストレアルはあのギデオンという男のことを知っていたからだ。
仮面を被り、とある商会の使いと身分を偽ってやってきた一回目の訪問時――
滞在した門近くの商館で、ミトラルダとともに都市に入ってきたあの男を見た。
ミトラルダはその後スカーに買われ、さらにそのスカーはギデオンと行動をともにしていたという話だ。全てが結びついている気がした。
――逃がすわけにはいかない!
男はものすごい速さで走り、狭い裏路地に入っていく。
ストレアルはその姿を見失うまいと、全力で食らいついた。
幸運なことに、男が逃げ込んだ先は袋小路の行き止まりだった。
「……逃げたと言うことは、何かやましいことがあるということですね?」
言いながら、ギデオンに近づく。
「ミレニアの居場所を教えてください。彼女は間違ってここに入り込んでしまいました。私はフォレース王国の第七騎士団団長を務めるストレアル・ヴェスパーというもの。騎士の栄誉にかけ、彼女の救出に来ました」
「彼女は死んだ。それ以上のことは知らない」
「ご同行願います。先ほどのスカーと一緒に、あなたの話も聞きたい」
「……オレから話すことなんて一つもない」
頑ななギデオンを前に、ストレアルはすらりと剣を抜いた。
「そういう態度を取っていては、後悔することになりますよ。私はあなたが生きて話せる状態なら何でもいい。邪魔な手足は切り捨てて差し上げましょうか?」
「できるかい? 三流騎士さんよ」
ストレアルは一直線に踏み込むと、袈裟懸けに剣を振り下ろした。
身じろぎした男に、咄嗟のところで一撃を躱される。しかし、
「――遅い!」
突進の勢いをそのままに、今度は剣を切り上げる。
パッと赤い血が吹き上がり、男の右手首から先が宙を舞った。
ストレアルはなおも攻撃の手を緩めなかった。異常者の集うこの場所では、相手の戦意を喪失させるダメージには至っていないと思ったからだ。
逆の腕目がけて振り下ろされた剣の一撃は、またもや命中する。
男は今度、左腕の肘から先をなくした。
「ぐっ……!!」
と、くぐもった呻き声が上がる。
そうして敵がひるんでいるうちに、ストレアルは剣の柄頭で相手の顔を思い切り殴りつけ、強引に石畳へと叩き伏せた。
「……まだやりますか?」
男の頭を踏みつけ、その目の先に剣を突きつける。
両手を失わせ、いますぐにでも首を切り落とすこともできる。
勝負は決した――少なくとも、ストレアルはそう思った。
「さあて、どうするかな……」
しかしそう言いながら、男がストレアルの足首を掴んだ。
思わず目を剥く。斬り落としたはずの手が、元に戻っている。
「な、何だと……?」
「まだやろうかな……いや、やめとこうか……」
男は不敵にニヤリと笑った。
「き、貴様、なぜ――!?」
「……残念ながら、オレは不死身でね」
ギデオンはストレアルの足の下から頭を引き抜くと、軽業師のような身のこなしで水平方向に回転した。
敵の踵がこちらの脛にヒットする。
足元を狙ってきた攻撃――ストレアルは一瞬バランスを崩されたが、咄嗟に片手をつき、石畳を強く押し返して跳躍する。
宙で回転して体勢を整えると、少し離れた場所に着地した。
不気味な敵だ……いったいどんな魔法を使う?
そう思いながらストレアルが振り向いたとき――ギデオンの姿は消えていた。
目を見張り、周囲をぐるりと一望する。
どこに行った?
何らかの魔法で身を隠し、こちらの隙をうかがっているのか?
しかし、まったく気配を感じなかった。
たったいままで戦っていた相手は、突然、煙のようにして消え去ってしまった。
まるで狐にでも化かされた気分だ……。
ストレアルはしばらくの間周囲の警戒を怠らなかったが、結局それから敵の攻撃はなかった。
いつまでもそうしているわけにもいかず、剣を収めてその場を離れることにする。
「……何とも不気味なやつだ。流石は、この世のあらゆる負の念が集う場所。あんなやつもいるわけか……」
一人呟き、ストレアルは奥歯を強く噛み締めた。
あの男には、まんまと逃げられたことになる。こんなことになるくらいなら、最初から本気を出すべきだったか……しかし、いまの自分の任務はミトラルダの居場所を突き止めることであり、囚人を殺すことではない。
何はともあれ、忸怩たる思いでトバルの工房に戻ることになったストレアルは、フェノムにそのことを報告した。
「……消えた? 人一人がいきなり?」
フェノムは片眉を上げ、興味深そうに訊ねてくる。
「ええ。跳躍して袋小路を抜け出したというわけでもないようです。まったく気配もなく、音もなく消え去ったのです」
「驚きだね。ギデオンか……彼はどんな魔法を使うんだろう?」
そのとき、作業台の方からクツクツという笑い声が聞こえた。見ると、先ほど目覚めたばかりの男――スカーが、傷のある顔を大きく歪めていた。
どうやら、笑っているらしい。
「……何がおかしいのです?」
「気に障ったなら謝るよ……でも、さっきから見当違いのことを話しているもんだからさ。そりゃあんた、最初から目星と戦えてなかったんだぜ」
「……何?」
「あんたが戦ってたのは、メニオールの外面を覆っていたアイテムだよ。彼女は、そいつを自在に操る。どんな姿にも変えることができるのさ。自分はさっさと逃げ出して、そいつにあんたの相手をさせていたってわけだ」
外面を覆うアイテム……? どんな姿にも変わる……?
そこまで考えて、ストレアルは一度自分が無貌種で作られた死体に出し抜かれたことを思いだし、ハッと息を呑んだ。
そうだ、敵は無貌種を使うのだ……ということはやはり、先ほどの敵がミトラルダを匿っている相手と見て間違いない!
「そいつは突然消えたわけじゃねえ……壁や石畳の振りをして、あんたがいなくなるのを待ってたんだ。ま、いまとなっちゃあ、すでにメニオールに回収されちまっているだろうがな」
「……なかなか頭が回るようですね? そのメニオールという方も、あなたも」
「そうかい?」
「スカー、と言いましたか……」
ストレアルは剣を抜き、静かにその男に詰め寄った。
「……あなたの知っていることを、全て聞かせてもらえますか?」




