神の加護者
巨人の宮殿を後にしたメニオールは、街に出て近場の入り口から地下水道に忍び込むと、そこを進んで無貌種のゴスペルの屋敷まで急いだ。
何度も通い慣れた道だ。特に最近は、ミレニアを迎えに行く際に、ずっとこの暗い水路を利用している。
しばらく歩いて屋敷に到着したメニオールは、すぐにゴスペルの書斎へと足を向けた。
「……これはこれは、メニオール……」
いつものように書斎でくつろぐゴスペルのすぐ近くに、女中用の服を着たミレニアが立っている。
「……なんだその服は?」
「着ろと言われて……」
メニオールが服をジロジロと眺めて言うと、ミレニアは恥ずかしそうに頬を染めた。
「わたくしの趣味ですよ。いけませんか……?」
「だったら、てめえが勝手に女に化けてそういう格好をすればいいだろ。こいつに変な趣味を押し付けるな」
「わたくしの奴隷を、わたくしがどう扱おうと勝手でしょう……? いいではありませんか。小汚い囚人服を着ているよりは、よほど華やかですし……」
「特別扱いのせいで、周りから不審に思われたらどうする?」
「やれやれ、あなたは小姑のようですよ、メニオール……リーシアのことが心配なら、ご自分で管理されればよろしい……」
そう言って、ゴスペルは意味深に笑った。
リーシア――ミレニアの偽名を聞き、内心でギクリとする。
「……まあいいさ、そんなことは。こいつがお前にどう扱われようと、オレには関係のねえことだ」
「そうそう。わたくしの屋敷の問題に、立ち入らないでいただきたい……して、メニオール。今日は何用です……?」
ゴスペルが訊ね、メニオールは本題を切り出した。
「いまから、てめえの手を借りたい。ちょっとついてこい」
「いまから……? 随分と急ですね……?」
「てめえにしかできねえ仕事だよ」
メニオールはちらりとミレニアに目をやった。
ゴスペルに計画を説明しようと思ったが、ミレニアに聞かせるような話ではない。
「……道中で説明する。ま、一言で言うと小鬼助けさ」
メニオールが顎をしゃくって扉の方を示すと、ゴスペルはわざとらしく嘆息した。
「やれやれ、あなたは本当に強引な人です……」
そう言いながらも、ゴスペルは安楽椅子から立ち上がった。
「……リーシア。留守を頼みます……誰かが来ても、わたくしはいないと言って追い返してしまえば結構ですから」
「はい」
「誰が来てもですよ。決して招き入れてはいけません。いいですね……?」
強く念を押すゴスペルに、ミレニアは少し戸惑ったようだった。
「わ、わかりました。あの、お気をつけて」
「ええ、わたくしに危険はありません。何せ、この人がついていますから……」
すると、ミレニアがメニオールの方を見て言った。
「メニオールもお気をつけて」
「……ああ」
と、短く言って、メニオールは踵を返した。
書斎を出て、すぐに地下水道に繋がる小部屋へと向かう。
「……実はわたくしの方も、あなたにお伝えしないといけないことがありましてね……」
鍵を鉄格子の扉に差し込みながら、ゴスペルが口を開いた。
「何だ?」
「仮面の男の正体がわかりました。あちらの世界に潜りこんでいる仲間が、上手く情報を探り出せたそうです……」
「……仮面の男? ああ、ミレニアを殺そうとしてたやつか?」
「そうそう。第七騎士団に所属するストレアル・ヴェスパーという男のようです。ミレニアとは因縁のある相手のようですよ……」
「因縁だと? 恨みでも買ってたのか?」
「いえ、逆です。ミトラルダ殿下は、昔その者に力を授けたとか……」
ゴスペルは自分の目を指差している。ミレニアの持つ輝きの目のことを言っているのだろう。
「まさか、マナコールか?」
「ええ。ご存知でしたか……」
「厄介だな。体外のマナを使えちまうってのは」
「その男がいま、この世界に舞い戻ってきています……」
それを聞いて、メニオールは眉をひそめた。そして、先ほどゴスペルがミレニアに誰も屋敷に入れるなと念を押していたことを思い出した。
「……何の目的があってだ? やつらからしたら、もう囚人どもに命令を出して『ミトラルダ殿下』はきっちり殺したはずだろ?」
メニオールはゴスペルを連れ、地下水道の暗がりへと降りて行った。松明をつけ、今度はスカーの家へと向かう。
「アソーラム公とヴェスパーの密談があったということは把握しています。しかし、そこで何があったかまでは……」
「死体が偽装だったと気づかれたか?」
「あるいは……」
それを聞いて、メニオールは頭を巡らせた。
「……じゃあこっちの件は、さっさと終わらせるか。それからしばらくは、てめえの屋敷にいることにする。その三流騎士サマがきたら、オレが対処すればいい」
「殺すのですか……?」
「必要があればな。騎士風情が、この世界で大きな顔をしているのも癪だ」
「流石のあなたでも手を焼く相手だと思いますよ……その男は小神の加護を受けているという話です」
メニオールは後ろを歩くゴスペルを振り返った。
「なんていう神だ?」
「確か、ホロウルンだとか何とか。女神ホロウルン……主神ラヴィリントの眷属という話でしたが……」
「主神の眷属っていうのは気になるな。どんな加護を付与されている?」
「そこまではまだ。わたくしも、その男の情報を聞いたのは昨日のことですから……」
言われてみると、あの仮面の男がこの監獄世界から帰って、まだ数日しか経っていない。
そのとき、ゴスペルが突然ぶっと噴き出した。
「どうした?」
「い、いえ……ただ、その女神については面白いことを聞きましてね……思い出して、笑ってしまいました……」
「てめえの感性はよくわからねえところがあるからな……」
メニオールは冷ややかな目で、腹を押さえてひいひいと苦しそうな声を漏らすゴスペルを見やった。
「その女神は随分と嫉妬深いことで知られているようでして……寵愛とともに加護を与えるのはだいたい見目麗しい男という話ですが、その者が女を知るのを許さない、とかなんとか」
「はあ?」
「つまりその加護を与えられた者は、童貞だということですよ……女を抱いてしまうと、たちまち女神の寵愛が消えてなくなってしまうという話です……」
ゴスペルは、これほど面白いものなどないと言わんばかりにニヤニヤと笑っている。
「ですから、いざとなればあなたが誘惑してやればいいのです……その汚らしい男の顔の下に隠した、あなたの美貌でね……」
メニオールはゴスペルを睨みつけた。そして短く言い放つ。
「――黙ってろ。殺すぞ」
「しかし、もし手を焼くようなら――」
「オレがそんなやつに負けると思うか? なんなら、いまからてめえを操ってそいつを殺しに行かせてもいいんだぜ」
まだ下卑た冗談を言おうとするゴスペルを、メニオールは脅しつけて黙らせた。




