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英雄と罪の意識

 やるべき工程が全て終了し、スカーは地下牢で自分の女神であるメニオールに祈りを捧げていた。胸には感動が溢れている。


「……俺はいまから、痛みとひとつになる。だが、それは幸福なことだ。生き物に与えられた第一義的なものが苦痛なのだから……」


 ぶつぶつと呟きながら、スカーは四本の『苦痛の腕』で尖った石器を握ると、自分の踵に叩きつけ始めた。

 途端に痛みが広がったが、構わなかった。


 何度も何度も力を込めて踵を砕こうとする。

 血が吹き出し、白い骨が露出しても、それをやめなかった。


「ああ、痛い……痛い……あんたのせいだぜ、メニオール……」


 涙で視界が歪み、激痛で身体が痙攣したが、二本の生身の腕で身体を抱き締めながら、必死になってスカーはずっと自傷行為を続けた。


 自分を拘束する足かせから足を抜くには、踵のでっぱりが邪魔に感じた・・・・・・のだ。


 こういうとき、魔法の腕は便利だった。スカーの意志のみを活力とし、ほとんど自動的に動いて『骨を砕く』という初志を貫徹しようとする。自分の神経と繋がった腕では、とてもこのような作業を続けることはできなかっただろう。


 痛みはいつか快楽に変わり、いつの間にかスカーは自傷行為に夢中になっていた。


 いったいどれだけの時間が過ぎただろうか。

 しばらくしてから、血だまりの中から砕けた踵の骨を取り除くと、自分の足が猫科の動物のようにほっそりしたもののように感じた。


 足かせの中で足を揺する。ぐらぐらしているのが金属の足かせなのか、自分の足首の関節なのか、もうわからない。

 ともかくとして確かだったのは、この拘束を抜け出せそうだということだけ……。


 力任せに足かせから欠損した足を抜き、ついに自由の身となったスカーは、無事な方の片足に全体重をかけて立ち上がった。


 血だまりに置かれた足かせを見下ろすと、自分がたったいま抜け出したそれが、虫たちにとっての繭や蛹のようなものではないかと思って恍惚とする。


 ――俺はいま、まったく新しい生物として生まれ変わり、この世にはばたくときがきた。


 足かせはこれまでの人生で犯してきた罪の象徴であり、いま自分はその全てから解放されたのだ。


 それからスカーは、自分がこの一か月以上もの間没頭していた作品と向き合った。

 そこには穴がある。暗闇の向こうからは水の流れる音が聞こえる。


 思わず溜息が漏れた。


「……さあ、メニオール……もう一度だ。俺はこんな足になっちまったが、もう一度俺と踊ってくれるよな……?」


 スカーは片足を引きずって穴に近づくと、行動を開始した。


 ――すなわち、脱獄を。



 ※



 日が昇ってくるにつれて、ノズフェッカの住民たちは昨夜の騒ぎの後遺症からようやく回復し、それぞれの活動を開始していた。


 そんな中、ギデオンは街の中央広場に腰を下ろし、レダースト商会とブラントット商会がそれぞれ持ってきた資料を見ながら、二人の商会主と鉱山の振り分けについて話し合っていた。


 周りには、それぞれの商会が雇っていると思しき鉱夫たちが溢れている。

 大勢の目に見られながら何かをひそひそとやっていると、別にやましいことをしているわけでもないのに妙な焦燥を覚えた。


「……ひとまずはこんなところじゃないか?」


 数字の上ではほぼ公平になるように振り分けると、ずっと困難な海底鉱山を掘っていたレダースト商会の方は諸手を上げて喜び、シャルムートに賄賂を渡して有利な鉱山を回してもらっていたブラントット商会の方は、渋々といった様子で腕を組んだ。


「――すばらしい! 流石はギデオンさまでございやんす!」

「ウィンゼ。あなたはこれをどう思う?」

「……わたくしめは、ただギデオンさまのご判断に従うまででございやんすので……」

「何だ、貴様! そんな嫌そうな顔をしおって! 粗野な顔にありありと不服感がにじみ出ておるではないか!」

「な、何を言う! 俺は嫌そうな顔などしていない! いまギデオンさまの英断に惚れ惚れしていたところだ!」


 ウィンゼはそれから、ギデオンの方をちらりと見ると、すぐに手を揉み合わせた。


「……そう言えば、ギデオンさまは、ペッカトリアでいま造幣所の管理をされているとか! 今後は、ミスリルを売却する際にできる限り勉強させていただきやんすよ……」

「貴様! そういう袖の下で痛い目を見たのをもう忘れたのか!」

「馬鹿者、これは袖の下などではない! ギデオンさまに対する敬意を表そうというだけのことだ! なにせ、ギデオンさまはリルパのアンタイオなのだからな!」


 それを聞いて、ギデオンは口をへの字に曲げた。


「……あれ、どうかされやんしたか?」

「……いや、何でもない」


 何もないと言いながら、ギデオンは、リルパと自分の距離感をはかりかねていることに気づいてますます渋面した。

 しかしすぐに気持ちを切り替え、象牙を手に入れる手段としてスカーの筋を手繰る決意を固める。


 もともとギデオンがこの街にきたのはペッカトリア貨幣に生じた問題を解決するためであり、すなわちドグマの評価を得るためなのだ。


 ドグマに認められ、その立場を利用してやつの亜空間からスカーの望みのものを取り出させる。それができれば、スカーが象牙を用意してくれるという話だった。


 そしてギデオンは、すでにペッカトリア貨幣に起きた異変の原因に、大まかな検討をつけていた。


 千剣のフェノムという男。

 ペッカトリアに戻り、話を聞かなければならない。場合によっては、小競り合いぐらいにはなるかもしれない――。


「……よし、何はともあれ、ひとまずはこの管轄で仕事を再開してくれ。もし看過できない問題があるようだったら、シャルムートを無視して俺に使いを出してくれればいい」

「かしこまりやんした、ギデオンさまのご意向のままに!」

「さあ、レダーストの諸君! 我々は今日正当な要求をギデオンさまに認められた! 今後はこの方のため、ますます力を入れて働くのだ! ブラントットを叩き潰せ!」


 周りに集まるゴブリンたちの一部が歓声を上げると、今度はウィンゼが対抗して声を張り上げた。


「俺はギデオンさまとリルパの戦いをこの目で見た! この街の英雄の戦いをだ! ブラントットは英雄に守られた誇りある商会――どこぞの馬の骨に負けるわけにはいかない!」


 すると今度は、また別のゴブリンたちが歓声を上げる。


「あくまで、公平な競争を心がけてくれ。お互いの血が流れたり、卑劣な足の引っ張り合いを俺もリルパも望んだりしない」


 そうやって、ギデオンが場を取りまとめようとしているときだった。


「――旦那さま。御用はお済みでありんすか?」


 背後から声をかけられて振り向くと、そこには女中のロゼオネが立っていた。


「ペリドラは、そろそろここを発つと言っておりんす。やるべきお仕事が終わったのなら、城に戻りんせ?」

「もう出発するのか? ミスリル掘りというものをやってみたかったんだが……」

「馬鹿なことを。そんなものは旦那さまのやる仕事ではありんせん」

「何をそんなに急いでいる?」

「いえ、急ぐも何も、もともと一日の滞在予定だったのでありんす。明後日にはフルールさまがお目覚めになる予定。となると、明日はドグマさまからフルールさまの眠りの呪いを解く象牙を受け取らなければなりんせん」

「……象牙を……?」


 その言葉を聞いて、ギデオンはハッとなった。

 思えばギデオンは、いまだにそれがどのようなものかすら知らなかった。


 象牙に関心を向けるとリルパは怒るが、見ることくらいはできるだろうか?


 いや、待て……いまリルパは妙な模様が浮き出てダウンの真っ最中だ。やりようによってはその象牙を手に入れられるかもしれない……。


 途端に心に活力が溢れてくるのを感じたギデオンは、レダーストとブラントットの商会主たちの方に向き直り、手を差し出した。


「……どうやら俺は、もう行かなければならないらしい。だが、ペッカトリアにいても、あなた方のさらなる発展を願っている」


 すると二人の商会主は顔を見合わせ、それから一人ずつギデオンと握手した。


「わたくしめは、ギデオンさまこそこの世界の王に相応しいお方だと思っております。ノズフェッカを救って下さったこと、この街の者は決して忘れやせん」

「リルパのアンタイオに永遠の忠誠を。ノズフェッカの英雄の進む道に、限りなき栄光が溢れておりやんすように」


 ギデオンがロゼオネを連れて広場を出ようとすると、鉱夫たちの人だかりがさっと割れて道ができた。彼らは通り過ぎるギデオンに向け、口々に歓声を飛ばした。


「またお越しになってください! ノズフェッカはいつでもギデオンさまを歓迎いたしやんす!」

「英雄に誉れあれ! 新しい時代に祝福を!」


「……これほどみなから慕われる方を旦那さまとしてお迎え出来て、わっちらも改めて鼻が高いというものでありんす」


 ロゼオネが、ひそひそと囁くようにして言った。


「君たちが言うと皮肉に聞こえるのはどうしてなんだろうな……俺は昨夜も、ペリドラに叱られたばかりだ」

「ペリドラも旦那さまを認めておりんすよ。しかし、それゆえ些細なところが気になるのでありんしょう。美しい珠ほど、その瑕疵が目立つものでありんす」

「そういうものかな」

「そういうものでありんす。旦那さまはすばらしい方でありんすよ。何より、小鬼をご自分と同じ人として扱っておりんす」

「俺たちの世界には、色々な人種がいるんだよ。きっとゴブリンがいれば、人として扱われていたはずだから」

「そのお考えには疑問を覚えなんす。同じ世界からきた他の囚人さまは、小鬼をそう扱いなさんすので」


 ギデオンはロゼオネの方をちらりと見た。彼女はむず痒そうな顔をしている。


「……わっちらは嬉しく感じなんすよ。旦那さまはどこまでも公平な方でありんす。しかし、リルパまで同じように扱おうとしてはいけなさんす」

「彼女のことは特別扱いしているよ」

「いえ、差し出がましいようでありんすが、旦那さまがいまリルパに向けている感情は、わっちらの望むものではありんせん。畏怖や驚嘆の念ではなく――きちんと愛情をもって接してもらいたいのでありんす」

「俺は恋愛を知らない。そもそも人を好きになってはいけない人間なんだ」

「なぜ?」


 そう訊ねてくるロゼオネに、ギデオンは肩をすくめて答えた。


「俺が囚人だからだ」


 ギデオンの心には、ずっと罪の意識がこびりついていた。

 自分は、人並みな幸せを手に入れていい人間ではない。


 ずっと先を行く妹の才能を憎んでいた。

 彼女が歩を止めてくれればいいのにと思っていた矢先、彼女は時間の渦にのみ込まれた。


 そのとき、ほんの少しでも安堵の念を覚えなかったと言えるだろうか?

 瞳術師のキャロルが、妹に呪いが張り付いていると言って以来、ギデオンの頭の中にはずっと恐ろしい考えが浮かんでいる。


 ――妹を呪った・・・・・のは・・俺かもしれない・・・・・・・、と。


「……ペッカトリアに戻ろう、ロゼオネ。あの囚人たちの街が、やはり俺には相応しい」


 ギデオンは言った。


 降り注ぐノズフェッカの歓声は、いつまでもやまなかった。


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