プロローグ1
違法薬物大量所持の容疑で逮捕されたギデオンの裁判は、公判としてフォレース王国の首都にある円形闘技場で行われていた。
通常の裁判と違い、極めて重大な罪を犯した者は、このように民衆の前で裁かれる。見せしめとして晒し上げ、同じことが起こらないようにするためだ。
「自分の罪を認めるということだな、被告人ギデオン・アゲルウォーク。では最後に聞く。お前はあれほど大量の違法薬物を使って何をするつもりだった?」
黒衣をまとった審問官が、ギデオンに向け厳格な口調でそう言った。
「もちろん、この国に平等をもたらすつもりだった。お前たちのような無能がのさばる腐った体制を滅ぼすためには、金と下僕がいる。薬物はその二つの問題を解決してくれる」
「では国家転覆を図ったというのか?」
「そのとおりだ」
ギデオンが頷くと、聴衆がどよめく。ところどころから、「あんなガキが……?」「なんて恐ろしい!」と、驚愕する声が上がる。
先日十八の誕生日を迎え、ようやくこの国で定められた成人になったギデオンは、態度こそ大人びていたとはいえ、まだその顔つきに少年の面影を残している。
自分のような、まだ世間的には青二才と見なされがちな若輩者が『監獄』へ入るためには、よほどの罪状が必要だった。加えてギデオンの裁判で判決を下す裁判官のペテロは、下調べによると、温情派であるということに自信を持っていさえする。
ゆえに今日、自分は悪そのものとなり、重い枷をはめられなければならない。ギデオンは今日という日のため、念入りに質疑応答の準備をしてきたのだ。
「俺はガキのころ、売人をやっていた。金にはなったが、結局利用される立場に過ぎなかった。利用する立場にならなきゃいけない。そのために、自分の帝国を持つ必要があった。俺を頂点とする帝国。そこを治める法が薬物だ」
「見下げ果てた下劣漢だ、貴様は。もうそれ以上、しゃべらなくてもよい」
不快そうに言うと、審問官は今度、参考人台に立つ男性に目をやった。
片眼鏡をかけた彼は、ギデオンにずっと魔法薬学を教えていた師であり、この国で最高の魔法薬師として名高い魔術師だった。歳は初老を過ぎ、頭には白い物が混じり始めている。
名をマテリット・ミクロノミカという。
ギデオンがこの世でもっとも尊敬する人であり、この八年もの間、どうしようもなく困難な問題にぶつかっていた自分に、道を示してくれたのも彼だ。
「ミクロノミカ師、あなたはこのことにどのような見解でおりますかな? アゲルウォークは明らかに、あなたの教えた魔法薬の知識を悪用したものと思われるが」
「……さよう、師である私がしっかりと監督していれば、今回のような事態は避けられたことでしょう」
「この国はあなたから多大な恩恵を受けている。いや、この国だけではなく、世界中があなたへの称賛を惜しむことはないはずだ。最近では、長く不治の病とされてきた『ツリーフォーク症』の根絶に多大な貢献をしてくださった。そのことには、国を挙げて報いたいと思っている」
「何をおっしゃりたいのです?」
「そうですな、たとえば木の話をしましょう。無垢なる種が、その栽培者の失敗で悪意の幹を育て、邪悪の実をつけたのなら、その責任は栽培者にあるでしょう。しかし、その種がもともと邪悪だったとしたら……」
言いながら、審問官はギデオンを一瞥する。
「ミクロノミカ師、我々はあなたまで裁こうとは思わない。あなたとアゲルウォークの関係はどのようなものだったのです?」
「ギデオンは……いや、アゲルウォークは貪欲な弟子でした。ときに師である私のやり方よりも、自分の信じたやり方が正しいと言って譲らないところがありました」
いま目の前の師は、審問官に迎合しつつも、ギデオンにだけわかる冗談を言っていた。
というのも、ギデオンの頑なな態度が新薬の開発につながったことが多々あるからだ。
そしていまも師の反対を押し切り、監獄へと入ろうとしている。そういう意味では、確かに自分は師匠泣かせの弟子だったかもしれない。
「つまり、あなたの手に負えない弟子だったということですね?」
「そうなるでしょう。才能だけならば、私よりも遥かに優れているはずです」
「才能の有無は問題ではありますまい。問題なのは性質。教えを乞う立場の弟子が師を軽んじるなど、あってはならないことだ。違いますか?」
「……それは場合による、としか」
「いえ、いえ。この邪悪なる男は、ずっとあなたを利用してきたのです。自分の野心のため、教えを乞うふりをしながらあなたの知識を吸収し続けた。しかし、本来の性質というものは隠しきれるものではない。それがときに反抗的な態度となって現れた……」
「審問官殿、ここは推測ではなく事実を照らし合わせる場所のはずですが?」
「事実と事実を繋ぎ合わせているだけですよ、ミクロノミカ師。やはりあなたは優れた人格者のようだ。このような事態になっても、まだ弟子を庇おうというのだから」
理解者ぶった酷薄な笑みを浮かべると、審問官は裁判官のペテロに向き直った。
「裁判官殿、いまのやりとりで全てが明らかになったはずです。被告人ギデオン・アゲルウォークは仁徳者である師に恵まれながらも、その邪悪なる性質を更生することができませんでした。加えて、才覚だけはあるという話。逆に言えば、そのような人間が野放しになっているのはこのフォレースにとって大きな危機でしょう。ゆえに私は、ギデオン・アゲルウォークに五十年の迷宮刑を求刑いたします」
迷宮刑!
その言葉を聞いた途端、ギデオンは強い興奮が胸中に渦巻くのを感じた。
それこそが、自分のもっとも欲していたものだったからだ。
迷宮刑の言葉に反応した聴衆が歓声を飛ばし、いまや円形の闘技場は勝ちどきを上げる闘士を称えるかのような、異様なムードに包まれていた。
迷宮へ落とせ! 迷宮へ落とせ! 迷宮へ落とせ!
「静粛に! ここは神聖な裁きの場である!」
その空気に難色を示したのは、裁判官のペテロだった。
「……審問官殿の言わんとするところは理解できる。しかし、その刑罰はあまりに重すぎる。まだ若い被告人の将来を絶つに等しい」
「国家に仇なす意志のある邪悪です。この世界にいる価値のない人間と思われますが」
「私は、罰は魂をより良い方向へと導くべきものだと考えている」
裁判官と審問官のそんなやりとりを、ギデオンはハラハラしながら見守った。
重すぎるということはない! これ以上ない求刑だ! 素直に迷宮刑にしてくれ!
「……うるさい観客たちだ。なぜ俺の裁判は公判なんだ? 黙らせろ」
内心の焦りを必死に抑えながら、ギデオンは不遜ぶった態度でそう言い放った。
「貴様こそ黙れ、アゲルウォーク。もうしゃべるなと言ったはずだぞ」
「俺が黙らせてやろうか? 俺ならこの場にいる全員をすぐに始末できる」
「反省の色がないようだな、え? この場には王国の騎士がいる。お前を取り押さえた者たちだ。また痛い目に遭いたいのか?」
審問官の言葉に従うように、この場の秩序を保つべく控える二人の騎士が剣を抜いた。
こんなやつらは問題にならない。捕まったのも狙いがあってのことだし、いまも逃げようと思えば逃げられるだろう――が、それでは行きたい場所へと行くことはできない。
これはポーズだ。自分は、慈悲の心をかける価値もないほど見下げ果てた罪人だという。
後ろ手に拘束されている右腕に力を込めると、二の腕から細い植物の茎が生えてきた。
これが、ギデオンの力だった。
植物の細胞や種子を活性化させ、自在に操る魔法。
これらの『武器』は全て、皮下や血液中に取り込み、不活性状態を維持して保管している。
不穏な動きを見せたギデオンに、二人の騎士が飛びかかってきた。
地面に顔を押さえつけられ、腕をねじ上げられると、意図せずくぐもった声が漏れ出る。
地面近くから、裁判官の顔をちらりと盗み見た。彼の表情は陰っており、いまのギデオンの愚かしい態度に失望したのは明らかだった。
「……求刑は重すぎる。五十年の迷宮刑というのは、な。私は二十年がふさわしいと考える」
五十年も二十年も同じだ。どうせ、そこに行ったものは、ほとんど生きて帰ってこれないのだから……。
裁判官のペテロがガンガンと木槌を鳴らし、場が静まり返った。
「――被告人ギデオン・アゲルウォークには、二十年の迷宮刑を言い渡す!」
一斉に聴衆が沸くのと、ギデオンが砂利の混じった口を歪ませて笑ったのは、同時だった。
(やっとだ。やっと俺は、その場所へ行くことができる……)
唯一の家族にして最愛の妹を救うため、ギデオンは地獄へと落ちるのだ。