Episode.5 安全な場所などあるのか
俺とその女の子は森の中を歩いた。
女の子は進むことを決めてくれたが足取りが重そうだ。だが、泣き止んでおり少しは落ち着いたようだ。
話しかけてみるか?
俺が話しかけようか迷っていると、女の子の方から喋りかけてきた。
「ねえ・・・あなたの名前って何?」
女の子はおそるおそる訊いてきた。俺のことを怖がっているのだろうか。やはり無理に黙らせるべきではなかったか・・・。
「俺の名前はラッセルだ、君は?」
「・・・私は、ノゾミ・・・ラッセルって外国人の人・・・?」
女の子は俺のアバターネームに疑問を問いかけた。
俺はそれほどのめりこんではいなかったがネットゲームをプレイしていたことがあったため、ネットゲームでのマナーを頭の中で無意識に働かせてアバターネームを名乗った。しかし、その常識が通用しないためノゾミという女の子はネットゲームをプレイしたことがないのだろうか?
「The end world of the dead」をプレイしている人の理由はおそらく1つか2つ持っていると思われる。1つは全プレイヤーに共通する仮想世界を体験することだ。2つの理由を持つ人は、仮想世界を体験することに加えて「The end world of the dead」を存分に楽しむことだろう。俺はこの2つの理由を持つプレイヤーだ。だから、仮想世界を体験することしか理由に持たないプレイヤーはネットゲームをまったくプレイしたことが無い人もいるだろう。ましてやゲームをすること自体が初めての人もいるだろう。
おそらくノゾミは仮想世界を体験しに来ただけだろう。それを確認するため、俺はノゾミに疑問を投げかけた。
「俺は日本人だ。君はオンラインゲームをプレイしたことはあるか?」
「ううん・・・私、普通のゲームしかしたことない・・・」
普通のゲームというと、携帯ゲーム機だったりスマートフォンのゲームアプリだろうか?
例外はあるが基本的に一人でプレイするゲームの方が多い。まったく知らない人とコミュニケーションをとり協力しながらプレイするオンラインゲームは知らないようだ。
「ラッセルっていうのはこのゲームの中での名前なんだ。オンラインゲームでは顔も見えない赤の他人に本名を名乗るのはご法度だ。あと現実世界のことについて詮索するのもマナー違反だ。ノゾミという名前は本名だろう?」
「・・・うん」
「気を付けた方がいい。現実世界のことについて詮索するのはマナー違反って言っておいてなんだが、ノゾミについて最低限のことを教えてほしい。もちろん俺のことも教える、」
ノゾミは首を前に振った。
「まずは俺から言おう。17歳の高校生でバスケットボール部に所属している」
「私は中学2年生の14歳・・・部活は吹奏楽部・・・」
14歳か。酷なものだな。思春期真っ只中で人格はまだ形成段階だ。本当ならば休日を仮想世界を体験することに費やして平日になると学校へ行き、吹奏楽部で仲間と共に切磋琢磨するのだろう。俺も似たようなものだが。
俺はバスケットボール部に所属はしているが、練習の時に足を骨折してしまい最近は練習に参加できていない。落ち込んだが、仮想世界へダイブできる時間が増える、と前向きに考えた。なのに、本当に、まさかこんなことになるとは・・・。
やり場のない不平に心が苦しくて気分が晴れないまま会話を続けた。
「そうか、わかった。こんなことになってしまったんだ、ともに協力した方がいい。とにかく今は寝る場所を見つけよう」
「・・・うん」
静かな返事が耳に届いた。
さて、武器を持っていないからアンデッドは脅威だ。道中で出くわすと気づかれないように身を潜めるか走って逃げるかだな。寝る場所は天井がある建物がいい。武器になりそうなものもきっとあるだろう。それにタブレットにはマニュアルがあるとチュートリアルで言われた。安全な場所で色々と情報収集して整理したい。
俺たちは森の中を歩き続けた。
危惧していたアンデッドには出くわさなかった。他のプレイヤーにも。
―――――そして、森の中でひっそりと建つ一つの建物を見つけた。
それは建物というにはあまりにもお粗末なものだった。
プレハブ小屋というのだろうか?
1階しかない小屋で薄い壁に、三角屋根が乗っている。壁は細い柱の間にひとつひとつ繋げただけの簡易なもので茶色く錆びている。屋根から雨が壁に重力によって垂れて下側ほど色濃い錆び方だ。
窓は無く、外側からは中の様子がまったくわからない。
俺は壁に耳をあて先客がいないか探る。
―――――多分いないだろう。
だが何事にも万全を期すべきだ。
労働災害における経験則であるハインリッヒの法則というものがある。
それはある工場で発生した労働災害5000件を統計学的に調べたところ災害について現れた数値は1:29:300だった。
300件のヒヤリ・ハット―――――事故には至らなかったもののヒヤリとした、ハッとした事例と29件の軽微な事故・災害があった場合、1件の重症以上の事故・災害が生じるという法則だ。ひとつずつ危険を排除していけば事故・災害は起きないのだ。
さきほどから日差しの量は変わってはいないが、1,2時間歩いてようやく見つけた小屋だ。まだまだ森は続いており先が見えない。このまま何も持たず、わからず行動するのは賢い選択ではない。
今日はここで一夜を明かそう。
「ノゾミ、俺が中にアンデッドがいないか確認する。外で待機してくれ。俺に何かあれば大声で叫ぶからその時は逃げろ」
「そ、それって・・・ダメだよそんなの・・・」
ノゾミが切なく、悲しみを誘うような声で言った。
「気にするな。誰かがやらないといけない。君も小さな勇気を持ってくれ」
小さな勇気というのはノゾミにはそのままの意味で言った。だが、俺の中ではただのエゴに過ぎないかもしれない。ノゾミを助けたいという気持ちはあった。けど俺が小屋の中を確認するのは、もし俺がノゾミに出会わずにこの小屋を見つけ、ドアを開けて背中を向けている間にアンデッドが俺を襲う、しかし、今はノゾミがいるからその身代わりになる、という卑しい考えが脳をよぎったのだ。
まただ。こんな利己的な自分が悔しい。心の奥底では俺はそんなことを思ってしまうのだ。
俺は両手をぎゅっと握りしめてドアを開けた。
ドアから差し込む光で手前の方はよく見えるが、奥の方は暗く何も見えない。
小屋の中には高さ1mほどの金属であるアルミニウムの棚が並びスコップなどの道具が置かれていた。
斧は―――――あった。しかし、木の柄の部分はボロボロになって腐っており、刃は刃こぼれを起こしていた。このままではアンデッドの頭部を破壊することは出来ない。刃の部分は砥石ややすりで研げば何とかなるかもしれないが柄の部分は新調しないと使えなさそうだ。
棚のほかには埃でまみれた机に木箱があった。机には鍵がついた引き出しが付いていた。
引っ張ってみるが鍵がかかっており開く気配は無かった。
次に木箱の蓋を開けると、2つの缶詰があった。チキンスープの缶詰とミックスビーンズの缶詰だ。
いつどこで手に入るかわからない大切な食料のため、毎日3食食べることはできないかもしれないな。
俺は小屋が絶対に安心であることを見極めるために暗くて見えない場所に立った。数十秒経っても物音がしなかったため、
―――――いないか
そう一息をついて安心した瞬間、
何かに左腕を掴まれた。