第四話 御代の価値
ふっと鼻腔をくすぐる柔らかな香りで目が覚めた。
そういえば、昨晩は彼女が離れなくてそのまま…
そうだった!
徐々に覚醒する意識の中、視線を横に向けると彼女の顔があった。
その瞳はしっかりとこちらを見ている。
「あ~…えーっと…その。ごめんなさい…」
言葉が見つからず情け無い声を出してしまった。
寝るときに腕枕をしたのはいいが俺は仰向けに寝ており彼女の手は腹の上。そしてその手を俺ががっちり握っていた。
これでは起きたくても起きれないだろう。そして起こさないようにじっとしていてくれたのだろう。
「ふふっ。おはようございます」
「あ、はい。おはようございます…」
気恥ずかしさを隠すように飛び起きると彼女も起き上がってこちらを見ている。
なんでそんなに見ているんだ?
ひょっとして彼女の魅力に抗えず野獣と化して何かしたと疑われているのか?!
「あの、いや、これは違くて!何もしてないので!」
「何かされてもよかったのですよ?」
普通はたった一晩で体が見違える程回復するわけがないのだが恐るべきファンタジー要素。
昨日の血と肉祭りで彼女の体はだいぶ艶を取り戻している。
そんな事を知ってか知らずか挑発的な事を言ってきた。
「俺は誰彼かまわず手を出すつもりはない。俺は結婚してからでなければ手を出さないと自分に誓っている」
ラッキー助兵衛の神によって身に降りかかる幸運は享受しても最後までそれに甘んじるつもりはない。
据え膳食わぬは男の恥と言うが、だからと言って節操があるのと無いのは違う。喩え相手の同意があっても自分の貫く信念は揺るがない。
「そうですか…私に見込みは、ないのでしょうね…」
「何故?貴女はとても美しいし、街に行けば男は思わず振り返るだろう。そういうのは大切な相手の為にとっておきなさい」
「ですが…私は獣人種ですので、夢は見れないのですよ」
こんな洞窟に住んでるくらいだ。色々あるのはわかるが…立ち入るべきか。いや、恐らくこの世界の事を聞けば図らずも立ち入る事になるのだろう。
ならば…!
「悪いな。俺は遥か遠くから来た上にずっと山奥に住んでたんでね。獣人種が、とか言われてもよくわからないんだ。よかったら俺に教えてくれないか?昨日言った御代と言う奴だ。どうだ?」
「わかりました…私にわかる事でしたら何でもお答えさせていただきます」
こちらを見つめる瞳は力強い光を燈している。これは良い方へ転がるか否か…
「助かる。じゃあもう体を差し出そうとなんてしないでくれよ。食事の代金は情報で貰うってことだからな」
「それは、残念です…」
ふっと視線を逸らした彼女は本心で残念がっているように見えたが女とは平気な顔で嘘をつき、それを見抜けないのが男と言う生物だ。上手い事出来ている。
話が逸れたがとりあえずはこの世界の情報と街への行き方を中心に聞いていく事にしよう。街の情報はもちろん調味料などを求めてだ。
それに彼女の体力を慮りしてこなかったが二人とも自己紹介すらしていない。
「わかっているとは思うが俺は料理人だ。今更だが名前はフジ ミドウ、人間だ。ミドウと呼んでくれ」
「ミドウ様…申し訳ありません!私は飛鼠族のイリリと申します!」
「そうか、イリリさん。お願いなんだが様はやめてくれ…」
「そういうわけにはいきませんっ!それに私の名前などリリと呼びつけてください!さん、など恐れ多い!」
なんだろう。すごく強い反抗をされてしまった。彼女の中で譲れない何かがあるのだろう。
あまり呼び捨てるのは好きじゃないしどうやら何故か彼女は俺を上に見ているようだ。
だが、俺はそういった上下関係で何かを強要するのもされるのも嫌だ。だからこそ森の中に店を開いたくらいなのだ。しかし、彼女の意志は強いようだ…
「仕方ない、リリ…」
「はいっ!」
なんで嬉しそうなんだ!飛鼠って事は見たままコウモリなのだろうが、犬のような反応だ。
「とりあえず今は料理の対価としてリリから御代を貰っている。その一環として自己紹介をしたのだが俺の信条はお客と料理人は対等の立場だと言う事だ。だからその立場を取っている場合は上も下もなく、何かを強要し、されることを良しとしないと言うことだけはわかってほしい」
「わかりました!」
本当にわかっているかは不明だが今はそれでいい。
「それで、俺は食材を探しながらずっと森を移動していたからここがどこかもわからないし、出来れば街に行きたい。そしてこの土地の文化を知らないから教えてほしい。何も知らない赤ん坊だとでも思って説明してくれるとありがたい」
リリも知っている事は少ない、と前置きをしたが常識で普通は説明してくれないような話もしてくれた。
心中で思っていても口に出さないで居てくれるのはありがたい。
ここは滅魔の森と呼ばれる場所で曰く太古にドラゴンが大暴れした、曰く神々が戦った跡地など様々な話が伝わっておりこの洞窟がある浅層は魔物が弱いが中層から途端に強力な魔物が跋扈し始め深層に至っては生きて帰ったものが居ないことから未知の領域。
一番近いのは王国の王都であり、森を突っ切れば一日で着ける距離だとの事。
リリ達のような獣人種、ドワーフやエルフさらには魔族と呼ばれる亜人種も居るらしいが獣人種や亜人種はどこの国でも迫害されやすく、奴隷にされやすいらしい。流石はファンタジー世界だが、奴隷と言うのは胸糞悪い。
俺は様々な人たちが一堂に会して食事をする事を想像するだけで楽しみが増えると言うものなのに少し嫌な気分になってしまった。
その他にも冒険者という職業の人たちやダンジョンもあり、ステータスも存在し確認は冒険者ギルドか教会で鑑定してもらえるらしい。魔法等は自分の意思で発動するものと常時発動のものがあり、魔法スキルなどは一度鑑定してもらって認識しないと使えるようにならない。
しかし、後半の話はほとんど聞いていなかった。『魔法』その浪漫溢れる言葉に意識を持って行かれていたのだ。
「魔法!あるの!?…あ、いや。リリは使えるか?」
興奮して墓穴を掘ってしまった。流石に魔法の存在知らないなんて事は無いだろうに…
だがリリは黙って聞き流してくれた。どんどんボロが出てしまっている。
「ふふっ。使えますよ。私は風魔法と土魔法が少し使えます」
「へ、へぇ~そうなんだ。少しでいいから見せてもらえないか?」
「構いませんよ。では見ていてくださいね?」
一瞬たりとも目を離しません。
俺はどこを見たらいいかも聞かずにリリに熱い視線を送り続けた。
「あの…私ではなくて…いえ、嬉しいのですが…」
「え?ごめん。どこ見てたらよかった?」
リリは顔を赤らめてモジモジしながら視線を送るのをやめろと言ってきた。
そりゃそうだ。見ていてほしかったのは床だったのだ。
「では、いきます」
目を瞑り意識を集中し始める。
滑らかでほっそりとした指先が指揮棒のように振るわれながら呪文を唱える。
「『クリエイトアース』」
すると床からキノコが生えるように土が盛り上がり切り株のようになると一片だけを更に伸ばしていく。
目の前で起こる超常に釘付けになっていると腰の辺りでとまり、リリは息を吐き出した。
「ふぅ…ごめんなさい。杖も無いですし、私はそんなにスキルのレベルが高くないのでこれくらいしか…と椅子を作ったのでどうぞ、おかけになってください」
「あぁ、ありがとう」
面白いものが見れた。派手さは無いが勝手に盛り上がる土と言うだけでテンションはあがっていく。
しかし、そうとわかれば自分にも魔法が使えるかが知りたくなるのが男の性だろう。
今すぐ街に行きたい!だが、彼女はどうするのだ?それだけは聞いておくべきだろう。
情けない事だが切り出し方が決まらずそわそわしだした俺に気を使ったのかリリが話題を出してきた。
「ミドウ様は、その…私が弱っていた時に助けてくださいました。腹と心を満たしてくれるとも」
「あぁ。言ったな」
「おかげさまで久しぶりに感じる満足感でした。そして私は、欲深な女です。」
「生きるのに必死な時は多少の欲で満足だがそれが満たされれば次はもっと大きな欲が生まれる。それが人であり、生きていると言う事だ。恥ずかしいことじゃない」
「ありがとうございます…私は、ミドウ様と共に行きたいです。この心を満たすのは貴方と共に…」
「それは…」
「わかっています。私は獣人。ミドウ様と共に居れば迷惑をかけることも。ですが!私は貴方の事が!」
リリは絶賛ヒートアップ中だ。ストレートに気持ちを伝えられ、嬉しく恥ずかしく情けない。女性にそこまで言わせてしまった事が、だ。
だが俺は料理の事で心を満たすことを考えていても色恋で応える事はまた別問題だろう。
「ありがとう。だが落ち着いてくれ。一つずつ解決しよう。まず一つに俺は獣人とか人間とかを気にしない。だが、リリの気持ちに応える事は現状難しい。君が嫌いなんじゃない。リリは美人だし、頭の回転も早い。俺には勿体無い人だ。だがまだお互い出会って一日、しかも俺の国には吊橋効果ってのがあって、危機的状況下ではそういった感情を持ちやすいと言われている。だから一時の感情に身を任せるべきではない。言ってる事はわかるな?」
「はい…」
彼女は目に見えて落ち込んでいるが、それも仕方ないだろう。
だが譲れないものは譲れないしそのつもりもない。
「それでもと言うのなら一緒に来たらいい。俺は料理人だが食材は自給する事も信条としているから危険にも飛び込むだろうその結果、君は嫌な思いや辛いをするかも知れない」
「覚悟の上です」
「他の人を好きになるかも知れないぞ?」
「必ず貴方を振り向かせてみせます」
その目は決意が固い事を物語っている。
言っても聞かないんだろうな。
「ふぅー…わかった。じゃあ一緒に行こう。だが、無理はしなくていい。辛いなら辛いと言う、嫌なら嫌と言う。俺は人形師じゃない。人と旅をするんだ、よろしくな?」
「はい!これからも宜しくお願いしますっ!」
かなりの覚悟を持って挑んだのだろう。緊張の糸が切れたように涙を流し、胸に飛び込んできた。
いつの間にかとんでもない懐かれようだ。
旅の同行が決まった頃には洞窟に差し込んでいた光は無くなっており、日が落ちたのだろう。食料も無く、仕方ないので今日はさっさと寝て明日街を目指す他なさそうだ。
だがリリはまだ体力を付けなければならないだろう。
胸で泣いている彼女を抱き上げ膝の上に横向きに座らせると彼女の頭を首元に持っていく。
「明日は街に行くんだ。リリは体力を付けないといけない。もう肉は無いから今日は血を吸って腹を満たしてくれ」
「うっ…うっ…ありがとう、ございまず!」
彼女はいつも泣いているな、とそんな事を思いながら頭をゆっくり撫でていると泣き声も収まり始め熱い吐息が首にあたってくすぐったい。
昨晩で体力が戻ったからか彼女はいつの間にか首に小さな傷を付けチュッチュと粘液の音をさせつつ血を飲んでいた。
しばらくすると首から顔を離したと思うと腕を回してしっかりと抱きつかれてしまった。
柔らかいものを押し付けられながら今度は背中をポンポンと叩く。
「腹は膨れたか?」
「はい…」
抱き着いているリリの体温がとても熱い。
しかし、それ以上に俺の体温も熱いだろう。心臓の律動が皮膚を突き破るのでは?と思うほど大きく撥ねている。
「それじゃ、もう寝ようか。そろそろ離してくれないか?」
「嫌です」
「え?」
「嫌です」
嫌なら嫌と言えとは言ったが…まるで駄々っ子のような事を言っている。
無理矢理引き剥がしてもいいのだが、そんな事はしないとわかっているのだろう。
なかなかに強かだが俺が隙だらけなのが問題なんだろうな。
小説の主人公のように女と見れば誰彼構わず手を出し百戦錬磨のモテ男のように上手く相手を出来る程俺は手馴れて居ない。それどころか痛い目を見すぎて女性不信なんだ。ただ、困っている人や女の子には優しくしろと言われて育ったからそれを行っているだけに過ぎない。
「はぁ…仕方ない。しっかり掴まってろよ?」
「離しません!」
結局年齢は聞かなかったが彼女は俺の中ではいい大人だ。俺の女性に対する印象も苦手から普通になった程度だがそれは彼女に対してであり、好意とはまた違う。
それでも嫌な気持ちにならないのは今までここまでストレートに気持ちを表現してくる相手が居なかったから絆されているのだろうか?我ながらかなりチョロイと思う。
そんなリリをしっかり抱きかかえて昨晩過ごした寝室へ向かう。
「ほら、そろそろ離してくれ」
「このままじゃ、駄目ですか?昨日みたいに一緒に寝てくれませんか…?」
「昨日は仕方なくそうしたが、俺の信念の話はしたな?」
「はい…」
まったく…そんな悲しそうな顔をしないでほしい。
こんな洞窟で一人で生活していて久々に味わう人の温かさ、か…
あー!まったく!俺ってやつは!
「わかったわかった!だが、そういうのは無しだ!ただ一緒に寝るだけ、わかったな?!」
「はいっ!ありがとうございますっ」
先程までこの世の終わりみたいな顔をしていたのが嘘のような笑顔を向けてくる。
やっぱり女って生き物は…そしてそれに騙される男ってのはどうしようもない!
ゆっくりと体を横たえると昨日と同じように彼女は俺の腕を枕にし、腹の上に手を添えている。
握れって事か?残念だが握りつぶしてしまいそうなので今日は無しだ!




