第二話 愛は見返りを求めない
コック服をたたむと枕代わりに頭の後ろに挟み込んだ。
肉を確保するのにコック服が汚れるのは憚られる。おかげで上半身半裸男だ。
もし目が覚めて半裸の男が目の前に居たらどうする?答えは想像に難くないだろう。
俺はそそくさと洞窟を抜け出して途方に暮れた。
腕の傷は筋肉を膨張させることで締めて止血することができたから掠り傷みたいなものだ。
だがふとした考えが思い浮かんでしまった。
「しまった!血の臭いを漂わせてれば何か寄ってきたかもしれないな!カッー!」
酔っ払ったオッサンのような叫びをあげて額を叩く。
だが下手に呼び寄せて洞窟が襲われては目も当てられない。
「仕方ない。周囲を探って見るしかないか」
出来れば水源の有無も聞いて起きたかったが言っても仕方ない。自力で探し当てるしかない。
となれば…
「トリュフ豚フォーム!」
トリュフ豚とは言ったが探すのはトリュフではない。そもそもそんな能力は持っていない。
探すのは野性動物の足跡。鹿なんかが好ましい。後は蟻や蜂と言ったところか。
見つける事が出来れば水源が近くにあると言ってもいいだろう。
鼻を鳴らしながら四つん這いでカサカサと地面を動き回る姿はさぞ滑稽だろう。だがそんな体裁はどうでもいい。既に上半身半裸で森の中に居る事自体がおかしいのだ。
そんな無様な格好を晒し、痕跡を探し回る。太陽はまだ高く焦る事はない。
料理をしていると自然と身につく能力に体内時計がある。三十分程度だろうか。道を忘れないように木にマーキング(傷のほうだ。動物のアレではない)をつけながら這いまわっていると鹿の足音を見つける事が出来た。
「よし、水源は近くか?」
水分を多く含んだ土は柔らかく、水を飲みに来た動物の足跡を残している。
目を閉じ意識を耳に向けると小さな音だが水音が聞こえた。
「焦るな…」
逸る気持ちを抑え付け、慎重に近づくと少しずつ温度が下がっていくのがわかる。
どのような動物が居るかわからない。まして季節も不明なのだ。異世界の熊だって居るかも知れない。油断はできない。
「見えた…!」
水音は澄んだ川だった。
川幅は十メートル程、水底も膝下くらいで流れも比較的緩やか。
「魚は居ない、か」
残念な事に魚は居なかった。
現代では煮沸しない水はバクテリアや菌の温床で飲めないなどと言われているが必ずと言うわけではない。
ただ自己責任で、と言うことなのだ。いい大人だし、ね?
何より元の世界でもこれほど澄んだ水は殆どないだろうと思うと体は無意識に水を掬い上げていた。
水は雪解けのように冷たく、臭いを嗅いでも問題ないように感じた。
一舐め。
頭からつま先まで一瞬で突き抜けるような爽快感。
「美味い…!」
他の雑多な装飾はいらない。その一言に尽きた。
川を飲み干してしまうような勢いで川の水に吸い付く。
魔力、そんな言葉が頭をよぎる。
「こんな美味い水は魔法みたいなものだ。何とか確保したいが、食料を洞窟に入れたらまた汲みに来るか」
食事は一緒に食べたほうが美味しい。自分だけ、なんて考えた事すらない。
「さて、どうするか…」
川に辿り着くまでに動物を見てはいない。どういう事だ?流石に異常だ。
その原因は恐らく少し離れたところにある気配のせいだろう。
二足歩行で重心が安定しているから人間…水を汲みに来た山賊か何かだろう。
だがいきなり襲ってきたりしていないと言う事は話しかければ穏便に済ます事が出来るかもしれない。
「なぁ、お前さんよ?教えちゃくれね…え、か?」
だがそんな淡い期待は見事に打ち砕かれた。
振り向いた先にいたのは体は豚、頭は猪、心はグラップラーのような生物だった。
突然のファンタジー生物との遭遇に呆気にとられる。
「なんだぁ?!」
その謎の生物はッシュッシュと蹄を打ち出しシャドウボクシングをしながら立っている。大きさは恐らく二メートル程。肉付が良さそうな体をしている為、蹄が打ち出される度に肉がプルプルと揺れている。
体が豚っぽいから多分有名なアイツだろう。だと思いたい…
「うそぉ…小説にあるようなオークでしょ?でもオークってそうじゃないでしょお?」
そのシャドーボクシングは威嚇か?なんでそんなにアグレッシブなんだよ。
ステップを踏みながら右へ左へと架空の敵と戦っている。
見ているとだんだん腹が立ってくる絵面だ。
そもそもなんで襲ってこないでアピールしてるんだ?ひょっとして求愛行動的なやつか?勘弁してくれ。頼む。
「一体何と戦っているんだよお前は…いや、これはチャンスか?」
にわか知識しかないとは言え、小説ではオークはよく食材として扱われている。実は目の前のこいつがオークじゃなくて食えなくても食えるようにするのが俺の仕事だ。…だが正直に言うとハーブも調味料も何もないから不安だ。
仮に彼女が知らない食材でも俺が先に食って見ればいいだけだ。
まずは目の前のグラップラーを倒すことに専念するとしよう。
「変な行動はやめてかかって来い、食材よ!食うか食われるかの勝負だ!」
左手を前に出し手招きして挑発すると理解しているのかオークは口から涎を撒き散らし、血走った目で突っ込んできた。
「プギィイイイイ!」
シャドウボクシングはただの威嚇行動だったようだ。
しなるように繰り出される蹄を飛び退きながらかわし様子を見る。
動きは非常に単調なのだが鋭く空を裂く音を聞けば威力・速さ共に申し分ないことがわかる。
恐らく岩なら簡単に砕くだろう。
そんな観察を更に挑発と受け取ったのか攻撃は激しさを増したが精細さを欠き始めた。
「ピギャアアアアア!」
仕留めると言う意思が丸見えな腰溜めからの大振りな正拳突き。
鋭い音が突き刺さる。
「振りが大きい!見え見えだ!」
オークの死角へ回り込み、腰溜めからの正拳突きを叩き込む。
「セェッェイイィ!」
捻りを加えた一撃は吸い込まれるように脇腹へ突き刺さり、きりもみしながら木々を薙ぎ倒して森の中へとオークを弾き飛ばした。
「ふぅぅ…筋力の差だったな」
まったく筋力は関係ない。観衆が居ればきっとそう言っただろう。
吹き飛ばされたオークの腹からは肋骨が飛び出し、心臓の動きに合わせてリズムよく噴水のように血を噴出している。
鹿などは一撃で仕留めないと攻撃を受けたストレスで肉の味ががくっと落ちる。
人の様な二足歩行の生物を仕留めた事がなかったので余計な痛みを与えてしまった…のだがオークの顔は満足した顔をしている。いいのか?これで?まぁやってしまったものは仕方ない。
「お前の命、美味しくいただく」
パンッといい音をさせて手を合わせて祈ると手刀で一閃、オークの首を裂いた。見える手刀だ、見逃さない。
動かなくなったオークの死体を担いで川に沈める事で肉が痛むのを少しでも遅らせる。
洞窟で眠る彼女はしばらく目を覚まさないだろうが時間は無駄にしないほうがいいだろう。
「血が抜けるまで火を起こすための物でも集めるかな」
必要なのは木の枝と木版。
材料は先ほどの戦いで薙ぎ倒された木から適当に拾ってズボンに突っ込んでおく。
食材や器材が揃ってくると一つの問題点に行きついた。
「そう言えば、風呂か…」
清潔は料理人の絶対なのだ。だが、ない物ねだりをしても風呂は現れない。余裕が出来たら自作するしかないだろう。
「しかたないか…」
諦めの境地。
ズボンを脱ぎ捨てた先に現れたのは見事な赤褌。
森の中、川辺に独りの褌男。とても危険な香が充満している。
眼前に広がるは澄んだ川。やる事は決まっている。
「はぁ~開放感すんごい」
その顔は恍惚としている。
露天風呂よりも高い開放感。戦いの高揚感が混ざり合い暴走寸前だ。
「ひゃっはー!」
世紀末のような声をあげて川に飛び込む。
冷えた川の水は先ほどまでの熱を奪うのには十分だった。
頭だけを川から出し体の力を抜いていく。
「あー。頭冷えた」
やっぱりあれ、オークだよな。美味いのかな?喜んでくれるといいが。
川にたゆたいながら仰向けに見上げた空は夜の帳を下ろし始めていた。




