進学の悩み
幸守は神選学院の理事長室で二百年振りの旧交を暖めていた。
「まさかプラータ殿も転生していたとは……いや、懐かしい」
プラータが転生前の幸守の本名である。いや、本名というには語弊があるかも知れない。正確に言うとプラータはコードネームの様な物なのだ。タラプは市井に溶け込む為に、プラータを並び替えただけなのである。
「今は大空幸守と言います。姉と妹が神選学院でお世話になっています」
幸守はみんなの幸せを守れる人になって欲しいと、父幸次郎により付けられた名前である。ある意味初めて付けてもらえたこの名前を幸守は、とても気に入っていた。
「大空……千鶴さんと雀さんですね。なるほど、彼女達に掛かっている加護はプラータ殿による物でしたか。夏海さんにしては設定が細かくて、気になっていたんですよ」
幸守が自分の姉妹に与えた敵意減少・嫉妬減少・欲心減少等の加護である。これは姉妹に向けられた敵意や嫉妬を害のない程度に減らす効果がある。あくまで減少であって解消ではない。解消にしてしまうと悪意に対応出来ない人間になる恐れがあるからだ。
「神選学院が発展出来た理由は理事長に与えられた加護“鑑定”があったからなんですね」
神官となった学は怪我や病気を治す為に鑑定の加護を求めた。理事長となった学は鑑定を使い生徒の才能を見つけ出し、伸ばしていたのだ。また朝礼で鑑定する事により、教員のストレスや生徒の不調にも即座に対応している。
「さすがは五英傑の一人ですね。プラータ殿、神選学院に入学する気はありませんか?理事長権限で特待生としてお招きいたします。それと敬語は、止めていただけませんか?」
まだ幸守がプラータと名乗って神官をしていた頃、邪王シウメースが現れ破壊の限りを尽くした。様々な種族の英雄が邪王退治に名乗りを上げたが、傷を与える事すら出来なかった。多くの犠牲を払った結果、シウメースは異世界の力を取り込んでおり、異世界人の力がなければ倒せないと分かったのだ。
種族の枠を超えて召喚術の研究が行われ、結果幸牙と学が召喚された。
学はエルフの大神官の下で治癒術の修行をし、幸牙は各部族の代表と修行の旅に出た。
竜族の少女カハラ・ノード、精霊の青年カ・シーダ、鬼族の王子ジョウ・シュロス。そして魔族の神官プラータである。
そして幾多の苦難を乗り越え、邪王シウメースを倒したのだ。学は陰から五英傑を支えた影の功労者であるが、最近までその活躍が一般に知られる事がなかった。
「儂は工業高校に行こうと思っておる。五英傑か……猿人の国では、儂を除く四英傑になっているそうじゃ」
学が自ら英傑に数えられるのを回避したのは、日本へ帰る為である。もし、幸牙の様に活躍が認識されていたら、国に取り込まれて日本へ帰る事は叶わなかったであろう。
「陽向さんから猿人と魔族が戦争をしていた事を聞いていましたが、そこまで、こじれていましたか……それと君の事も陽向さんから聞いていますよ。貴方は工業高校に進学したいのでなく、早く独立したいだけじゃないですか?もっと正確に言うと親御さんの世話になっている現状が心苦しいから逃げたいのではないですか?」
学は陽向の記憶が戻る前から転生者であると見抜いていた。そして記憶が戻ったのを確認すると、折に付けて色々な話を聞いていたのだ。
「さすがは教育のプロじゃの。十五を過ぎて親の世話になるのは、心苦しいんじゃよ」
「そんな姿勢で工業高校に進学しても、何も身に付きませんよ。私は貴方にお願いしたい事があるんです。一つは生徒を悪意から守る事。こちらが指定した生徒の咎を狩る事。協力して頂けるなら、特待生枠を幸守君の他にもう一つ設けますよ」
そこにいたのは慈愛の満ちた神官ではなく、酸いも甘いもかみ分けてきた経営者である。
「考えておく……そうじゃ、これを頼めるか。届け先も分からぬし、充電しようにも充電器を見つけられないのじゃ」
そう言うと幸守は倉庫から一台の携帯を取り出して学に手渡した。幸牙と学はかつてクラスメイトだったと言う。見知らぬ少年から手渡されるより、元クラスメイトの学の方が遺族に信じてもらえると思い託したのだ。
「これは幸牙の携帯……彼奴は幸せでしたか?」
陽向から幸牙が百年以上前に死んだ事は聞いている。
「子、孫、ひ孫に囲まれながら安らかに逝きおった。転生の魔術の開発に魔力の充填……なんやかんやで百五十年も掛かってしまったわ。ちょっとしたトラブルで十年近いズレが出てしまったがの」
もっとも、そのトラブルの原因が今の幸守にとっては大事な存在となっているのだが。
(今の学なら色んな情報を集められる……この間の死霊の事を相談してみるか)
幸守が口を開こうとした瞬間、理事長室の電話が鳴った。
「ああ、私だ……分かった。ご案内しろ……プラータ殿、急な来客が見えたので、勝手ですが話を終わらせてもらいます。うちに進学しなくても又懐かしい話をしたいので、いつでも遊びに来て下さいね」
そう言って学が笑顔で話し掛けてきたが来客の名前を聞いた瞬間、眉間が刻まれたのを幸守は見逃さなかった。
◇
家に帰ってからも、幸守は悩んでいた。学が提示してきたもう一つの特待生枠は、絶対に昴の事を言っている。特待生なら金も掛からないし、学の提示しきた条件を承諾すれば咎を集められる回数が増える。
問題はどうやって両親に伝えるかだ。
(たまたま神選学院の理事長に会って気に入られた。そして特待生として勧誘されたんだ……信じてもらえる訳がないのう)
幸守と学の関係を知れば納得するかも知れないが、両親に前世の事を話す訳にはいかない。もし、話したとしても、こんな都合が良すぎる話は誰も信じないであろう。
何しろ神選学院高等部の倍率はかなり高いのだ。一般入試もあるにはあるが合格ラインはかなり高く、幸守の成績ではお話にならない。
成績重視されない特待生枠でも話はそう変わらない。学が欲しているのは、幸守の持つ咎狩りの力。しかし、それは他人には決して明かせない物である。
「幸守、ちょっと良いか?」
声を掛けて来たのは父親の幸次郎だ。いつもは明るい幸次郎であるが、声のトーンがどことなく暗い。
大空幸次郎、テレビ局のプロデューサーで、主にアイドル番組を作っている。その所為かコミュニケーション能力が高く、誰とでも直ぐに仲良くなれるタイプだ。
特に若い芸能人からは、友達感覚で話せるプロデューサーだと慕われている。
しかし、ドキュメンタリー番組を作っているスタッフや局のアナウンサーからは、軽薄過ぎると陰口を叩かれていた。原因は普段の言動もあるがテレビ局で着ている服装にある。テレビ局での幸次郎は、流行の服を着たちょい悪系親父なのだ。
しかし、家では真面目で子煩悩な父親である。流行の服を着るのも、くだけた話し方も出演者を緊張させない為なのだ。
「父さん、どうしたの?」
年齢で考えれば幸守の方が、ずっと上である。しかし、幸守は幸次郎を父として尊敬し心の底から慕っていた。泣いた時に、頭を撫でてくれた大きな手。歩き疲れた時におぶってくれた広い背中。幸次郎の近くにいるだけで、安心して自然と警戒心が緩んでしまう。
「今日、竜也君の事務所から、局に電話が掛かってきな。お前を神選学院に進学させて欲しいと言われた……いや、何でもない。気にするな」
それは肺腑から絞り出すような声であった。
親としては神選学院に進学して欲しい。神選学院に行けば、エレベーター形式で進めて良い会社に入れる。そうすれば、幸守の人生は安泰だ。
同じ男としては自分で選んだ道に進ませたい。幸次郎自身も親の反対を押し切って故郷の青森から東京に出て来たのだ。若さと夢への情熱でなんとかなったが、親となった今では故郷の両親の気持ちが痛いほど分かる。
電話があってから幸次郎は、幸守の為にどうするのが一番良いのかと考えていた。しかし、その度にもう一人の自分が“結局は仕事の為なんだろ”と幸次郎に囁いてくるのだ。
一方の幸守も自分の浅はかさを悔やんでいた。自分と竜也の関係を考えれば、事務所が動くのは自明の理だ。今や竜也は事務所の稼ぎ頭である。その竜也を支えているのが両親と幼馴染みの幸守と昴なのだ。そして心霊番組のロケで怖がりの竜也を助けたのは他ならぬ自分なのである。
「今日、神選学院の理事長と話す機会があって、その時に言われたんだ。“貴方は工業高校に進学したいのでなく、早く独立したいだけじゃないですか?”ってね。良く考えてみたら、自分が何になりたいのか、きちんと考えた事がなかったんだ」
前世では物心がつく前から神殿に預けられた所為か、幸守は将来についてきちんと考えた事がなかった。
「お前はまだ中学生だ。今から何になりたいか無理に決める必要はない。でも、良く考えて決めろ。父さんはお前に後悔だけはして欲しくないんだ……父さんの従弟で、皆に好かれる奴がいたんだ。でも、そいつはある日突然行方不明になった。父さんはそいつを探したくてテレビの世界に入ったのさ。行方不明者を探すなら報道関係なんだけど、今はアイドル番組に携われて良かったと思っている。あまり難しく、そして急いで考えない事だ」
◇
幸守はこげ丸を散歩させながら、ゆっくり考えてくると言って家を出た。正確にはこげ丸に話を聞いてもらう為だ。
『さすがは父上殿ですな。一家の長だけあり、言葉に重みがある。父上殿は、主に幸せになって欲しいのですぞ。父上殿……いや、大空家の誰もが主に家を出て行って欲しいと思っておりませぬぞ』
『儂は怖かったのかもな。前世の様にまた親から捨てられるのが……それが怖くて早く独立しようとしてたのだろう』
幸守が自嘲気味に呟く。こげ丸はそれをじっと見守っている。なぜなら幸守の前世を良く知っているから。ただ黙って幸守に付き添っていた。
◇
幸守が退室した後の理事長室で学は二人の男性と対峙していた。
「理事長。誰にも、もう防げませんよ。我々に協力した方が、自分の為ですよ」
一人の男がにやけながら学に話し掛ける。彼は神選学院高等部の校長だ。
「好きにするが良い。でも、私は生徒を守る為なら、なんでもする」
戦闘に参加した事は少ないが、学は何度も修羅場を潜りぬけてきている。生半可な脅しには負けない。ましてや今は力強い旧友がいる。
「戦闘経験の少ないお前になにが出来る?治癒術もマナがなければ使えまい」
学の決意を嘲笑う男の口からは、血で汚れた牙が覗いていた。