霊を操るモノ
うす暗い廊下を歩く度に足音が木霊する。幸守と竜弥は殺人事件が起きたという客室を目指していた。
「ゆーき、今なにか聞こえなかった?……女の人の声が聞こえるよ」
(おかしいな……陽向が浄化したはずなのに、もう霊が集まっている)
廊下には老若男女様々な霊が集まってきており、幸守と竜弥の歩みを邪魔しようとしている。
普通なら霊に足を掴まれて先に進めなくなるのだが、霊は幸守が張った結界に阻まれて近付く事すら出来ない。
「よく分かったな。今話し掛けてきているのは二十代前半の女性……だった霊だ」
竜弥を脅かすのは幸守の本意ではないが、ここまで霊が集まってくると何かが起きる可能性が高い。いきなり恐怖体験をするより、少し身構えておけば、竜弥のダメージが少ないのだ。
「嘘?もう嫌だ!僕、帰るー」
しかし、刺激が強すぎたのか竜弥の涙腺が崩壊してしまった。
「カメラのスイッチ入れるぞ……3・2・1・キュー!」
流石はプロと言うべきか、竜弥はカメラのスイッチが入った途端、人が変わったかの様に堂々とし始めた。
「こちら現場の竜弥。もう少しで事件が起きたって言う部屋に着く。今の所おかしなことは起きていないが、何が起きてもおかしくない不気味な雰囲気だ」
一見、冷静にリポートしている竜弥だが、彼は大事な事に気付いていない。カメラを回している友人が一度も後ろを振り向かずに歩いている事を。
事件があった部屋には幸守が先に入った。安全を確認したら廊下で待機している竜也に合図をおくる手筈になっている。
幸守が部屋に入るなり、十数体の悪霊が一斉に襲い掛かってきた。その虚ろな目に浮かぶのは生者に対する憎しみと嫉妬。
「本来なら一人ずつ話を聞いてやらないと駄目なんじゃが、あまり待たせると竜也が、泣いてしまうんじゃよ……収穫」
銀色の手が悪霊の咎をむしり取り、次々と成仏させていく。
「ゆーき、まだ?窓から人影が見えるんだけど。早くしてよー」
自分の影が窓ガラスに影が映っているだけなのだが、今の竜也に気付く余裕はなかった。
「大丈夫。何もないよ」
幸守は魔力を弱めて、目の色を黒に戻す。
「本当に何もないんだね。嘘ついたら千鶴さんに言い付けるからね……ここが事件のあった部屋らしいです。暗くて何も見えませんが、なぜか悲しい気持ちになりますね」
竜弥はそう言うと一度拝んでから部屋に入って来た。ドアが閉まった瞬間、この場に似つかわしくない幼い声が聞こえてきた。
「りゅーやだ。プリエ・アムールりゅーやだ。りゅーやはナイトだから、私を助けにきてくれたんだね」
声の主は五歳くらいの幼女。お約束の様に、その身体は透けている。幸守はどんどん青くなっていく竜也の顔を見て、素早くカメラの電源をきった。
「良かったね、本物の竜也だよ。ところで、お嬢ちゃんのママはどこにいるのかな?」
幸守の問い掛けを聞いた少女の目が潤む。
「あのね、私びょーいんで寝ていたのに、いつの間にかここにいたの。ママにもパパにもずっと会えていないの。こわい人がどこにも行かせてくれないの」
少女の霊はそう言い終えると、火が付いた様に泣き出した。幸守は少女の霊に近付くと、優しく頭を撫でた。
「竜也、お前はファンの騎士様なんだろ?少しだけ、その子の側にいてやれ」
幸守は怒りに打ち震えている。この少女だけでなく、多くの霊をホテルに集めた存在に気付いたのだ。
「僕が泣いてる子供を放っておく訳ないだろ」
竜也は優しい性格で、昔から小さい子供の面倒を見るのが得意だった。アイドルにスカウトされる前は、大きくなったら保父さんになろうと考えていたくらいである。そんな竜也だから、強引に両親から引き離された子供を見捨てる気にはなれなかった……相手が苦手な幽霊であっても。
「やっぱり竜也は竜也だ。普段はヘタレな癖に、ここぞって時は肝が据わっているよな。お前は本物の騎士だよ……それじゃ俺は俺の仕事をするか」
竜也の弱い者を守る為に、勇気を振り絞っている姿は騎士道に通じる物がある。幸守はそれがたまらなく嬉しかった。
幸守は転生して、本当に良かったと思っている。転生して今の家族に巡り合えた事も幸せであったが、素晴らしい友を二人も得れた事が堪らなく嬉しい。
(竜也に何かあったら、昴に合わせる顔がないな。何より雀にどやされる)
いつも竜也の事を心配している妹の顔を思い浮かべながら、幸守は親友と少女の霊を素早く結界で包み込んだ。
これで二人が悪霊に襲われる心配がなくなったし、正体がばれないで済む。
「えっ?うん、分かった。ゆーきはどうするの?……ゆーき、どうしたの?何も聞こえないよ」
結界の効果で竜也の耳に周囲の音は届かないし、幻しか見えなくなる。
竜也の問い掛けに応えず、幸守はバスルームへと近付いていく。
「霊を操って、悪さをしている痴れ者を滅する……良い年して、かくれんぼか?早く出て来んかい」
幸守の声がしわがれた老人の様になり、目は紅く輝きだす。
「人間の癖に私に気付きましたか。大勢の手下を消した償いはうけてもらいますよ」
現れたのはぼろ布をまとった骸骨。その目には濁った光が灯っている。
「殺人事件が起こる三年前、近くの小屋で一人の僧が餓死しているのが見つかったそうじゃ。小屋には怪しげな儀式を行った痕があったと聞く……小僧、どこで霊動の術を聞いた?いや、誰から聞いたのじゃ?」
日向が見せられたファイルには、この世界では解読不能な文字が書かれていた。それは前世で幸守が使っていた魔法文字である。
「教える義理なんてありませんね。多くの霊を吸収して私はリッチになりました。ここは私の城、私は王なのです。さあ、貴方も私の僕になりなさい」
骸骨が両手を掲げると、何十体もの悪量が現れた。老若男女様々であるが、共通しているのは錆びた鎖で骸骨に拘束されている事だ。
「なぜ、あんな幼子まで下僕にしたのじゃ?あの霊力では、なんの役にも立たないじゃろ」
幼女の霊は力が弱く泣く事しか出来ない。人を脅かす事は出来るかもしれないが、他の霊の方が上手く驚かす事出来るであろう。
「私は霊の王リッチですよ。王にかしずくのに、年齢は関係ありません」
骸骨はそう言うと、尊大にふんぞり返った。元魔族の逆鱗に触れた事も気付かずに。
「リッチ?自分の体を捨てて霊体になった餓鬼が何を言う?お前はリッチじゃなく死霊じゃよ。他の霊から力を奪っている質の悪い死霊じゃ。あまり長引くと撮影スッタフが来るし、一刻も早くあの子を家族の所に返してやりたい……何よりお前さんに後悔の時間も与えたくないんでな」
いつの間にか、幸守の左手の爪が鋭く長く伸びていた。幸守が爪を一振りすると、霊と骸骨を繋いでいた鎖が消し飛んだ。
その目は紅く光っており、どう見ても人間ではない。
「凄い魔力ですね。貴方を狩れば、私は本物のリッチになれるのではないですか?凡百の霊を使うより、貴方を使役した方が王国の建設が早まりますね」
骸骨はそう言うと、幸守に向かって右手を振り下した。今までこの一撃で多くの霊能者を葬ってきた。しかし、右手は虚しく空を切る。
「霊動の術は戦場や旅先で死んだ者が家族との最後の別れをさせてやりたいとエスクリダオン様がお作りになれた術じゃ。それを改悪するどころか私利私欲に使いおって!」
闇神エスクリダオンは太陽神ソゥの兄に当たる。優しい性格のエスクリダオンは、死者が無念を残さずに成仏して欲しいと霊動の術を作りあげた。
霊動の術を使うと、死んで魂となっても数時間だけ自由に動ける。
幸守が前世でシャアガーと見た死者の行軍は、家族に最後の別れを告げに行く所だったのだ。
骸骨は他の霊を吸収する事で、動ける時間を延ばしていたのだ。無論、彼の知識では魔術を改造する事は出来ない。第三者が意図的に骸骨に教えた事になる。
骸骨は、利用されているだけかも知れない。それでもかつてエスクリダオンの神殿で神官をしていた幸守にとって許せる事でなかった。
今度は幸守が骸骨に向けて左腕を振り下ろす。無音のまま、骸骨の腕が闇へと溶けていく。
「あ、悪魔……悪魔とリッチは仲間だろ?なんで、こんな事をするんだ!」
「阿呆、命を弄ぶリッチやレイスは神官の敵じゃ。それに王様、王国滅亡の原因を作った王は死刑台に送られるのが定めなんですぞ。さあ、王様。死刑の時間でございます。エスクリダオン様の顔に泥を塗った罪は重いぞ」
幸守の爪が骸骨を紙切れの様に切り裂いていく。同時に拘束されていた霊の咎を外して、成仏させていく。
本来、咎狩りはさ迷える霊を安らかな眠りにつかせる術であった。生者から取れるのは、極一部の神官だけである。
「ゆーき、なにがあったの?空気が穏やかになっているけど?」
結界から飛び出した竜也が幸守の元へと駆け寄っていく。
「竜也、その子為に歌を歌ってもらえるか?俺はその子の迎えを呼ぶからさ」
幸守はさっき集めたばかりの咎を握り潰して、術を発動させる。名前も素性も知らない霊の身内を探すのには、途轍もない魔力を使うのだ。
やがて二人の老人の霊が姿を現した。男女の霊で、優しく暖かな笑みを浮かべている。
「おじいちゃん、おばあちゃん!」
幼女の霊が抱きつくと、祖父母の霊は優しく抱きしめた。今まで寂しい思いをさせ事を詫びるかの様に、優しく暖かく包み込む。そして三体の霊は幸せそうな笑みを浮かべながら、闇に消えて行く。
「ゆーき、幽霊ってなんなの?あの子も幽霊だけど怖くない」
結果の中にいる時、竜也は女の子の霊と色々な事を話をした。プリエ・アムールの中でどの曲が一番好きか。ハンバーグが好きだけど病院ではめったに出なくて残念だ。早く退院して友達と遊びたい等々。どれも普通の女の子がする話ばかりで恨みつらみは一切なかった。
「人間だよ。身体がないだけで、俺達と何も変わらない。あの子のように自分が死んだ事に気付いていなかったり、心残りがあって上手く先に進めないんだ。早い話が迷子だよ。それを勝手にやってきて心霊現象だなんだって騒ぐ。怒りもするだろ?」
幸守は昔取った杵柄で説法を始めた。口調は違えど昔は辻に立ってよく説法をしていたのだ。
「やっぱり幸守は幸守だ。優しくて困っている人や泣いてる人を放っておけない。幸守は大切な友達だよ」
親友のむきつけの賞賛が照れ臭く、幸守は顔を赤らめる。そして何かを誤魔化すようにカメラの電源を入れた。
「さて、竜也撮影再開だ。もう霊はいないけど、演技でカバーしてくれよ」
結果、出来会った番組は色物の心霊番組とは一線を画す出来となった。死者に真剣な思いで相対する竜也の姿に、男性ファンも増えたそうだ。
「ゆーき、夜中誰もいないのに、音がする時があるんだけど、お化けじゃないよね?ゆーき、霊が見えるんでしょ?教えてよ」
ただし、竜也の怖がりはそのままであった。