廃ホテルの怪
山の中腹にある目的地を目指してロケバスが峠道を上っていく。峠道は目的地である廃ホテルの為に作られた物である。利用者が激減し補修される事がなくなった道路は、荒れ果て一抹の寂しさを感じさせた。
「ゆーき、この辺なんか怖くない?」
竜也が蚊の鳴く様な声で呟く。口を殆んど動かしておらず、隣に座っている幸守でなければ気が付かないだろう。
道路の両脇には木が鬱蒼と茂っており、異様な雰囲気を放っている。その所為か竜弥の様に口数が少なくなる者と、虚勢を張り大声で話す者に別れていた。
前者の代表は竜也である。彼はバスに乗ってからずっと台本を読んでいた。竜也はテレビ用のキャラと違い、仕事に対する姿勢は真面目その物だとスッタフの評判が良い。そんな彼だから移動のバスで台本を読んでいても、誰も疑問に思わないのだ。竜也が台本を読んでいるのは仕事に対する責務もあるが、窓を見たくなという理由が大きかった。
それでも何かの拍子に目線が窓に移ってしまい、外の異様な雰囲気に怯えてしまう。
「それじゃ、バックレるか?」
幸守にしてみれば竜也の頼みで来ているのだから、撮影現場に執着はない。
「ぼ、僕はファンのナイトだから、仕事から逃げる訳にいかないんだよ」
竜也はデビュー曲の『キミだけは守らKNIGHT』の時に“俺がお前達のナイトになってやるから、他の男なんて見るんじゃねえぞ”と宣言したのだ。
幸守や昴は散々からわれたが、何も知らないファンからの反響は凄まじく、竜也は退くに引けなくなっていた。そして根が真面目な竜也は、世間から期待されているキャラをきちんと演じているのだ。置糸の様に楽しめれば良いのだが、竜也にとっては負のスパイラルでしかない。
「大丈夫、大丈夫。明るい話をしていれば幽霊は寄って来ないって話だよ」
そして後者の代表は置糸である。置糸は、おどけながら女性アイドルを励ましていた。励ましながらも、ちゃっかり女性アイドルの肩に手をまわしている。
そんな置糸の肩には小女の生霊がしがみついていた。さっきまで少女の生霊は嫉妬に狂った表情をしていたが、今は何かに怯え必死に置糸の肩を掴んでいるのだ。
(おかしい……こんなに自然が豊富なのに妖精や精霊が一体もいない。置糸に憑いていた霊も減っているし、浮遊霊の類も見えない……こりゃ、なんかあるな)
幸守が力を使えば、何があるか直ぐに分かる。しかし、狭いバスで魔人に変身すれば、確実にバレてしまう。
やがてバスがゆっくり停車した。既にロケの先発隊が準備しており、真っ暗な駐車場を撮影用のライトが照らしている。
ライトの灯りが闇夜に廃ホテルを浮かび上がらせ、不気味な姿を見せていた。窓はひび割れ、壁には蔦が絡んでいる。
「二階の窓に女性が見えます」
「複数の人影が、屋上からこっちを見ておる。我の経で成仏するのじゃ」
ロケバスから降りた霊能者達は先発隊がカメラを構えているのを確認すると、ここが見せ場とばかりに一斉に喚きだす。
確かに二階にも屋上にも霊はいた。正確に言うと、そこら中に悪霊が漂っているのだ。
(おいおい、マジかよ。置糸や歩良達なんか比べ物にならない極上品ばかりじゃねえか……問題はどうやって周りの目を誤魔化すかだ)
既に十体を超える悪霊が待機所の近くに寄ってきている。どれも置糸や歩良達より強い咎を持っており、幸守は興奮を抑えられずにいた。ここは幸守にとって高級フルーツのバイキングと同じくらいテンションの上がる場所なのである。
幸守が、どの悪霊から咎を取るか迷っていると、待機所に一台の高級車がやって来た。降りて来たのは現場にいるアイドルをかすませるような美少女。
「皆様、お疲れ様です。今日はうちの新人がお世話になりますので、少しですが差し入れを持って参りました……大空さん、配るのを手伝って頂けますか?」
美少女は、その場から離れようとする幸守を素早く確保する。
「陽向、なんでお前が撮影現場にいるんだ?あ、悪霊が……咎が離れていく」
強大な光の力を持つ陽向に恐れをなしたのか、悪霊達は蜘蛛の子を散らすように逃げ去って行く。
「うちの期待の新人に悪い虫や霊がつかないように来たのよ」
陽向の両親は芸能活動のかたわら芸能事務所も経営している。陽向は芸能人になる気はなかったが、両親への恩義で事務所の仕事を手伝っているのだ。
「離せ。あれだけ強力な咎には、滅多に巡り合えないんだぞ」
幸守の言う通り、あれだけ強力な咎なら一体だけでも一年分の魔力をまかなえる。年中、魔力のやりくりに苦労している幸守にとって千載一遇のチャンスなのだ。
「ふーん、我命ず。光の精よ、我が意志に従い、悪霊を浄化せよ……操る・光」
陽向が呪文を唱えると小さな光が現れた。大きさや明るさが、丁度蛍と同じくらいである。誰かがその存在に気付いても、気に留める事はないであろう。光は点滅しながらゆっくり移動すると、次々に悪霊を成仏させていった。
マニュピリ・リュミエールは陽向が日本に来てから作ったオリジナル魔法である。倉庫で歩良達を包み込んだのも、陽向のマニュピリ・リュミエールであった。
その用途は幅広く監視・伝言・浄霊と色々な命令を組み込む事が出来るのだ。
「なっ……なんて事をするんだ?咎が……霊がいなくなったら、撮影がお蔵入りになるだろ?」
光はそのまま建物の中入って行くと、次々に悪霊達を成仏させていく。それに気付かない霊能者達は、必死に祈り続けている。
「ゆー君、分かってないな。この手の番組で欲しいのは、本物の霊魂じゃないんだよ。可愛い女の子怯えて泣く姿と、強気な男の人がお化けに怯えているヘタレな姿なんだから。本物の霊魂なんて、流したら苦情が殺到して大変な事になるんだよ」
幸守の父も霊を映しにきたのではない。霊よりも、各事務所から頼まれている芸能人の新たな一面を撮りたいのだ。夏だから心霊番組にしただけで、秋ならグルメスペシャルになるし、冬なら温泉にするだけである。
しかし、ここには本物の悪霊がいるのだ。普段の陽向はスタッフを押し退けてまで現場に来る事ないが、大事な新人が悪霊や遊び人アイドルに潰されるのを防ぎたかったのである。しかも撮影現場に幸守も来るのだ。陽向が撮影現場に行かない理由はなかった。
「趣味が悪いな。人の泣く姿を見て面白いか?俺は、人の不幸なんて見たくないな」
元神官だけあって幸守の頭は固い。飢える恐れがないのに人から金を奪ったり、他人の不幸を喜んだりする者を毛嫌いしている。転生前は陽向も同じであった。そう転生前はなら女を馬鹿にするなと怒っていただろう。
「不幸?芸能人にとって一番の不幸は忘れられる事よ。泣き顔がテレビで放映されれば、ファンの庇護欲をそそるの。アイドルにとってはむしろ美味しいのよ。自分の不幸を糧に出来なきゃ、やっていけない世界なんだから」
彼女を大きく変えたのは厳しい芸能界を生き抜いてきた両親である。陽向の両親は惜しみない愛情を彼女に注ぎ、英才教育を施した。
芸能人にならなくても二世として、世間から好奇の目で見られてしまう。特に悪い男に騙されぬよう、甘い話に引っ掛からぬように世間の厳しさを教えたのだ。
「それで情報通のお嬢様は何を掴んだんだ?」
事務所の運営に携わっているだけあり、陽向の情報網は学生レベルを超えている。
「今回企画を考えたプロダクションは、ネットの情報だけでここを選んだみたいね。裏を取ってみたら、面白い事が分かったのよ……これは私よりゆー君の方が詳しいでしょ」
日向はそう言うと一冊のファイルを幸守に手渡した。
◇
陽向は廃ホテルに姿を消した幸守と竜也を見送ると、待機しているマネージャー達に近付いていく。
「あの新人、帰りは事務所の車で送っていくから……せっかく才能があるのに馬鹿アイドルのつまみ食いで潰されるなんて冗談じゃないわ。撮影が終わったら、速攻帰るわよ」
まずは自分の事務所のマネージャーに指示を出す。
そして踵を返して、置糸のマネージャーに近付いていく。
「貴方もマネージャーなら、アイドルの手綱くらいしっかりと握ってもらえませんか?……あいつが消し飛ぶ情報くらいは、しっかり掴んでおりますので、お忘れなく」
置糸のマネージャーに釘を刺すと、竜也のマネージャーの元へと移動する。
「いつもお世話になっております。竜也君の事で損にならない話があるんですよ。お力添えを頂ければと思いまして……竜也君の親友大空幸守の進学先についてなんですが、彼が一緒なら竜也君も安心して神選学院に通えると思うんです」
陽向が今回の撮影現場に来た一番の目的は、幸守を神選学院に進学させる外堀を埋める為であったのだ。
(ゆー君も、あの人に会えば神選に進学しようと思うはず。高校は同じ学校に通うんだから)
陽向の夢は幸守と同じ学校に通う事であった。中学では失敗したが、高校は諦めていない。その為に、様々な力を蓄えたのだから。