姉弟
コアタの背中に乗っての空の旅は快適そのものであった。空は青く澄み渡り、眼下には手つかずの大自然が広がっている。どこまでも続く広大な草原、多種多様な生き物達。どれも日本では見る事がかなわない物ばかりである。
「千鶴姉、あそこ見て!すごく大きいライオンが沢山いるよ」
そんな中、雀は大きいなライオンを見つけて興奮していた。まるで観光に来たかのような、はしゃぎっぷりだ。
「この世界のライオンは随分と大きいんだな。それに肌が青白い」
雀達が見ているのはライオンでなくケルベロスである。10頭のケルベロスが眼下を駆け抜けていく。距離が離れているから千鶴も安心している。もし距離が近かったら、こんな風には話せていないだろう。この時、幸守もケルベロスを見ていたら違和感を抱いていたであろう。
「竜也、あっち見てみろよ。あの木のでかさやばくね?」
昴が見つけたのは遥か遠くに霞んで見える巨大な木。高さも太さも地球では考えられないサイズである。
「ここは本当に異世界なんだね……凄いや」
自然と竜也のテンションも上がっていく。そんな中、幸守と陽向は周囲を警戒していた。
特に幸守は眉間に皺を寄せ、はるか彼方を見つめている。
「コアタ坊、あの川を超えればワーカミだぞ」
幸守の言葉を聞いてみなが下を見た。そこにあったのは海と見間違うような太河である。流れが激しく、空を飛ぶしか渡る手段がない。
「ゆー君、来たよ……大丈夫?」
川を渡った瞬間、陽向が警戒を促してきた。何かをとんでもない物を見つけたらしく、陽向の顔が強張っている。千鶴や雀も同じ方向に目を凝らしてみるも、何も見つらけれない。
「大丈夫だよ。しかし、随分大勢で来たな。まあ、王子様が行方不明だから仕方ないか」
唯一、幸守だけが何が近付いて来ているのか何か分かっていた。こちらは陽向と違い、余裕がある。
「兄貴、何が来るの!?きゃっ?」
雀が何が来るのか聞こうとした瞬間、コアタのスピードが一気に上がった。顔には満面の笑みが広がり、尻尾を左右に大きく振っている。
「コアタの仲間がこっちに向かって来てるんだよ。これだけ多くのドラゴンを一回に見れる事は、こっちの人間でもなかなかないぞ」
それは異様な光景であった。空一面をドラゴンが覆い付くしているのだ。どのドラゴンも五メートルを超す巨体である。しかもきちんと陣形を維持しており、統制がとれている事が分かる。
「おい、ゆっきー……なんか、雰囲気やばくね?皆様、激おこって感じじゃん」
昴の言う通り、ドラゴン達の目には殺気が宿っていた。誰か一匹がブレスを放てば、全員後に続くであろう。
それを警戒したのかこげ丸は千鶴達姉妹の前へと移動した。
「コアタ坊は王子じゃ。向こうから見れば儂等は身代金をせしめにきた誘拐犯なんじゃぞ。怒って当然じゃ」
流石の幸守も素のままでは仲間を守れないので、全身に魔力を流して魔人と化す。自然と声はタラプ時代のしわがれた物へと変わる。
「儂?じゃ?ゆーき、どうしたのって……目が紅いよ」
竜也だけでなく、皆が魔人と化した幸守の事を見て驚いていた。全員顎が外れんばかりに驚いているが、陽向だけはなぜか憮然としいる。
「前に言うたじゃろ。儂の前世は魔族じゃ。力を使うと、自然とこうなるんじゃよ……ワーカミの軍とお見受けする。汝らの王子コアタ様は儂等が保護した。それとレイア様にお目通りを願う。タラプが来たと伝えてくれ」
幸守の言葉を聞いて、一匹のドラゴンが出て来た。緑色の鱗を持った巨大なドラゴンである。
「タラプ様、お久し振りでございます。コアタ様を保護して頂き、感謝にたえません。それと今は非常時ゆえにこのような形でのお出迎えになった事をお許し下さい」
ドラゴンの名はギリガ、ワーカミに永年仕えている騎士で、幸守とも顔見知りである。
「おー、ギリガ殿か!壮健そうでなによりじゃ……王子の事もそうじゃが、ちと気になる事があっての」
半魔、アンデット、それにワイバーン。幸守には確認した事が山のようにあった。
「ますは私の背中に移って頂けますか?さすがに王子の背中に乗ったままでは、ますいので」
ギリガの言う通り、いくら恩人と言えど王子の背中に乗って現れたらワーカミの国民は幸守達に対して怒りを抱くであろう。
◇
ワーカミは農業王国である。国民の殆んどが農業や畜産業に従事しているのだ。工業製品は鬼王が治めるマーカオヤから輸入しているし、衣服はシ・カータの国から来ている。
ギリガは幸守達を乗せたまま、町の前へと降り立った。他のドラゴン達もギリガに続いて降りていく。そして降りると、同時に人の姿になる。
ギリガは白髪の老爺へとなり、コアタは子供へと姿を変えた。色の白い小さな子供で、とても幸守達を乗せて来たとは信じられない。
「リュミエールより発展しているな……あれって、お城に来た人じゃないか?」
昴の視線の先にいたのは赤髪の少女ニーベモイ。コアタの姉で、千鶴の契約相手である。
コアタはニーベモイの姿を確認した途端、目に涙を浮かべながら一気に駆け寄って行った。
「モ、モイ姉ちゃん……ごべんなざい、ひどりでおさんぽ行ってごべんなざい」
ニーベモイは泣きじゃくるコアタを優しく抱きしめた。ぎゅっと抱きしめ、優しく頭を撫でる。
「こら、勝手にお城から出たら駄目でしょ……でも、よく頑張ったね。えらいぞ。さあ、お母様の所に行きましょう。ギリガ、お客様の事、お願いします」
ニーベモイはそう言うと、コアタを抱き上げて城へと向かって行った。
「我慢していたようだが、姉と会えた事で安心したんだな。昔幸守も昔遊園地で迷子になった時“お姉ちゃんー”って泣きついて来た事があったんだぞ」
それは記憶が戻る前の話。プラータ時代から数えて三百数年、唯一幸守が子供らしかった時である。
「姉上、それは昔の事であろう。ここには古馴染みも多いのだ。勘弁してもらえぬか」
魔人となっても姉は姉。力が戻っても、幸守は千鶴には頭が上がらないのだ。
「タラプの昔話ですか?私も興味がございますわ。よろしかったら、お城でゆっくりお聞かせ願いますか?」
幸守達に声を掛けて来たのは黒髪の美女。彼女を見た騎士や国民が一斉に跪いた。ワーカミの皇妃レイア・イディーである。
「レイア様、ここにいるの庶民でしかも猿人でございます。城に呼ぶには手続きが必要かと」
レイアに意見したのは幸守である。本来なら不敬罪に問われてもおかしくはない行為である。
しかし、レイアは幸守の無礼を咎める事なく話を続けた。
「貴方達は息子の恩人ですし、そこにいる少女は娘の契約相手ですわ。なにより友人がお世話になったお方ですから、お城にご招待しない方が、王家の名折れになりますのよ……それにこの年になっても好きなのよねー。コイバナが……身分を気にしない女子会なんて滅多に出来ないのよ」
レイアはそう言うとニヤリと笑った。
幸守をプラータの時から知っているレイアにしてみれば、堅物で愛想の欠片もなかった魔族が恋をしていると分かって興味津々なのだ。しかも相手は元勇者で幼馴染みだと言う。
それだけでも美味しいのに他人に心を許した事のない男が姉に甘え、妹にデレデレなのだ。根掘り葉掘り聞きだすつもりなのである。
「ここがドラゴンの城か……凄いな」
千鶴が驚くのは無理もない。ワーカミの建物自体ドラゴンの姿になっても大丈夫な様に大きく造られている。大勢の騎士やメイドが働く城は人の想像を超える大きさであった。
「ドラゴンは空を飛べるし、力も強い。そして長命な生物だから建築技術が発展しているのじゃ……千鶴姉、行くの止めない?みんな、疲れているだろうし」
幸守は修羅場や権謀には慣れている。しかし恋話や甘えん坊だった昔の話を聞かれる事には慣れていない。
「幸守、招待されたのに行かないのは失礼にあたるのだぞ。それに悪い事してないなら、何も恥じる事はないだろう」
千鶴の返しに幸守は思わず黙りこくってしまった。その隙を付いて、レイアは一同を城へと招待した。
◇
男性陣には騎士の演武が披露され、昴と竜也は荒々しくも流麗な演武に魅了されていた。
しかし、幸守にとっては児戯に等しい動きである。それより自分のいない所で何を言われているか気が気ではなかった。
(最近、陽向の様子が変なんだよな。なんか素っ気ないし……まさか魔族の姿にドン引きした?)
戦いに関してはプロフェッショナルの幸守であるが、恋愛に関してはネガティブである。レイアに勘違いされて困ってるんですとか、相談されていたらと一人悶々としていた。
「幸守様、レイア様がお呼びでございます」
かつての仲間に呼ばれた幸守は重い足取りで歩きだした。




