いざ、日本へ
オークに絡まれた所為で遅くなったんですと必死に訴えたが、工房長は認めてくれずタラプは夜遅くまで残業をするはめになった。
戦時中という事もあり、工房をフル活動させても追いつかないくらい依頼が来ているのだ。
「タラプさん、遅くなったのでうちでご飯を食べていきませんか?」
話し掛けてきたのは、タラプの同僚のカンテイロ。カンテイロが夕飯に誘ったのは、この時間に開いている店がないからだ。
「お邪魔虫になるのは好かん。カンテイロ、スゥのクアットロ王宛の手紙じゃ。これを持って行けば粗略にはされぬだろう。家族で平和に暮らせ。それでは失礼する」
スゥには魔族以外の民も多く暮らしている。カンテイロの妻は猿人で、数か月後に産まれる子供は魔族と猿人のハーフだ。この家族が平和に暮らせるのはスゥしかない。
◇
帰宅中のタラプに一匹の狼が話し掛けてきた。四メートルはゆうにある巨大な狼だ。毛皮は月光のように青白く、牙は槍のように鋭い。
「主、お久し振りでございます。頼まれていた物を持って参りました」
狼はそう言うと一輪の花を恭しくタラプに差し出した。タラプは大事そうに受け取ると、花を持ったまま空中に手を突きだす。すると花を持った手が虚空へと飲み込まれていく。
タラプの手が戻ってきた時には花は消えていた。
かつてタラプが友人に頼まれて作り上げた魔法『倉庫』である。作った当時なら無限に物を仕舞えたが、今は一メートル四方の魔法空間を制御するのがやっとだ。
「シャアガーすまんの。しかし、これでようやく儂の悲願が達成できる。憧れの地二ホンに転生できるのじゃ」
この光景を町の者が見たら驚きの余り、腰を抜かすかもしれない。シャアガーは普通の狼ではなく魔狼の高位種『金剛石狼』である。魔狼は強力な魔物で、気位も高い。相手が誰であろうと、自分が認めない限りは決して頭を下げないと言う。その魔狼が見るからひ弱そうなタラプにかしづいているのだ。
「今日も随分多くの魔族が死んだようですな」
シャアガーが夜空を見ながら、寂しそうに呟く。その目線の先には、何百体もの魔族の霊魂があった。それはリュミエールとの戦でなくなった魔族の魂。彼等は、家族に最後の別れを告げに向かっているのだ。
「くだらぬ理由で始めた戦の所為で、魔族や猿人の若者が死んでいく。儂の様な老いぼれを残して死におってからに」
戦死した者の中にはタラプの知り合いも混じっていた。親にしかられ泣いていたのを慰めたオーガもいれば、せがまれて竹とんぼを作ってやった狼男もいる。タラプの胸にたとえようのない哀しみが広がっていく。
「主が出れば戦局が変わるのでござらんか?」
「許可が降りないわい……異世界召喚を行ってまで、築き上げた平和だと言うのに」
異世界から召喚されたのは二人の少年だった。勇者コウガとヒーラーのマナブ。
タラプは異世界二ホンから召喚された勇者コウガと友達であった。そしてコウガから聞いた二ホンに行ってみたいと思っていたのだ。
しかし、二ホンには猿人しかいないという。そこでタラプは研究に研究を重ね、異世界に転生する術を開発したのである。
「主、某も二ホンへ連れて行っては下さらぬか。最近、西の魔王が軍門に降れとうるさいのござる。一族の者は軍門に降るのを了承したが、某は耐えられぬ。犬のように尻尾振る気はありませぬ」
「お主ならそう言うと思ってもう準備しておる。儂と契約はすんでおるから、問題はない」
タラプが二ホンに転生する目的は二つあった。一つはコウガの遺品ケータイデンワを、遺族に渡す事。そしてもう一つは家族を得る事であった。タラプはある事情により、産まれて直ぐに親と別れたので家族という物を知らない。
しかし、コウガに見せてもらった家族のシャメは見ているだけで心が暖かくなり、いつしかタラプの憧れとなっていた。
他人に話せば、嫁を貰えば良いと言われるであろう。しかし、タラプは元神官なのだ。現役を退いたとは言え、女犯や恋は禁止されていた。
タラプは、転生しても戒律は守るつもりである。しかし、一度で良いから技術や戦闘力ではなく、自分自身を必要とされてみたかったのだ。
◇
激しい爆音が鳴り響き、天井からほこりが落ちて来る。リュミエールが早朝からオエステ城に一斉攻撃を掛け始めたのだ。オエステ軍も必死の抵抗を見せたが、勇者パーティーの戦力は凄まじく、もう落城寸前である。
そんな中、タラプは揺れを物ともせず、工房で転生の準備をしていた。
非戦闘員の同僚達はとっくに避難しているので、心残りはない。
むしろ異世界二ホンに対する期待で、タラプの胸は張り裂けそうになっていた。
タラプは儀式に使う杖を持ち、狼の魂を封じ込めた珠を懐にしまい込んだ。他に持っていくのは、コウガの携帯だけである。
全ての準備を終え、転生を行おうとした瞬間、工房のドアが乱暴に開け放たれた。
「邪悪な魔族よ。邪神復活の儀式をするつもりだな。しかし、天が悪事を見逃しても、このジゼル・エクレールは見逃さないぞ」
工房に入って来たのは金髪碧眼の少女。虫も殺さぬような優しい容姿をしている。しかし、手には血塗られた鉄塊のような剣を持っていた。
「お前が当代の自称勇者か……やれやれ、勇者の質も落ちたものよの。いや、こんな小娘にしてやられるとは、魔族の質が落ちたと嘆くべきか」
タラプはジゼルをちらりと見たかと思うと、軽く溜め息を漏らす。
「お、老いた魔族だから命乞いの時間を与えたと言うのに……ほへっ?」
ジゼルは、怒りに任せて剣を振り下す。しかし、一瞬何が起きたのか、理解出来なかった。
今まで幾千もの魔族や魔物を一刀両断してきた剣が、枯れ木のように細い腕をした魔族に軽々と受け止められていたのだ。
「契約で得た加護に頼りきった猿人など怖くはないわ……なぬっ?術が発動したじゃと?」
転生の術は高度な魔法なので、制限がいくつかあった。異世界二ホンには魔法がないので、残っている魔力が皆無に等しい事。タラプは転生の術に魔力を注ぎ込む事でクリアした。
(ここに来たと言うことは、既に魔王と戦っておるな。魔王戦で魔力を使い果たしたのか)
タラプの予想通り、勇者パーティーは魔王トレスに勝利していた。かなりの接戦でジゼルは魔力を殆んど使い切っていた。
そんな状態であったが魔法使いのシオが怪しい波動を感じたと言ったのを聞いて、ジゼルは工房に猪突猛進してきたのだ。
(しかし、問題は生まれ変わりたいと言う強い気持ちじゃ。魔王を倒した勇者には栄光が待っていると言うのに)
転生に最も必要なのは、生まれ変わりたいと言う強い願望である。
「検証は今度じゃ。娘、儂の近くに来い」
タラプがジゼルを抱き寄せると同時に転生の術が発動した。二人を淡い光が包みこんでいく。
「は、離せ……はふぅー」
ジゼルの頬が朱色に染まる。幼い頃から人外的な戦闘力を持っていたジゼルは、女性扱いされた事がなかった。パーティーのリーダーである王子に憧れを抱いていたが、手を握られた事すらない。他のパーティーメンバーも女性で、全員王子の御手付きであったが、ジゼルだけは相手にされていなかった。正義のお題目を唱えれば、どんな魔物でも倒す便利なアイテム。それがジゼルの現状であった。
普通なら勇者が照れていると気付くのだが、タラプは産まれて三百年恋と無縁だった男である。魔王との戦いで、疲れて微熱が出たしか思っていない。
そしてこの世界から一人の魔族と狼、そして勇者が消えたのだった。
◇
日本のとある病院で男女の赤ちゃんがほぼ同時刻に誕生した。奇しくも二人の家はお隣同士であったのだ。
こうして工房に勤務していたちょっと訳ありな魔族と女勇者は幼馴染になったのだった。