転移
神選学院の合宿所の近くにある運動場で、朝日を浴びながら魔法陣が明滅していた。中心に作られた円の中には十人の男女が緊張した面持ちで待機している。
彼らはこれから日本を離れ異世界リュミエールに転移するのだ。
リュミエールには夏休み期間滞在する事になっている。しかし、その荷物は驚く程少ない。彼等は王国のゲストとして扱われるので、手荷物は少なくてよいと聞かされていたのだ。
「陽向、凄い荷物だな」
しかし、一人の少女だけは、かなりの荷物を持っていた。
「千鶴さん、おはようございます。枕が変わると眠れないんですヨ」
彼女は転移する世界がどんな所か知っていたし、なぜ連れて行かれるのかも分かっているのだ。
転移者の中には彼女の幼馴染みの姉妹もいる。真相を伝えたいのだが、誓約で縛れており伝える事が出来ずにいた。もし、伝えたら前世の家族が殺されるし、幼馴染みの姉妹も危険に曝されてしまうのだ。
(ゆー君、千鶴さんと雀ちゃんは私が守るからね。日本で見守っていてね)
陽向はまだ寝ているであろう幼馴染みに誓う……その幼馴染みが、近くの茂みに潜んでいる事を彼女は知らない。
魔法陣の外円では三人の男女が転移の準備を進めていた。
一人はリュミエール王国からきたリーリオ・カナルである。
リーリオは焦っていた。異世界から連れて行く人間が二人行方不明なのだ。その上ヴァンパイアの力を貸し与えた現地人は時間を過ぎても顔を出さない。
転移に使用する魔法陣の準備は既に整っている。リーリオも目を閉じ詠唱に集中していた。
「秘密裏に行動する為、少人数で動いたのが災いしたな。捜索に割ける人間はいない。転移を始めて良いのではないか?」
リーリオに話し掛けて来たのは、神選学院高等部の校長神谷栄。今回の異世界旅行の引率責任者である。彼もまた目を閉じて、魔法陣に魔力を送り込んでいた。
「しかし、人数が揃わないと魔力が……なっ?魔力充填率がオーバーしている。あの二人が来たんですね……時間がありません。転移を行います」
答えたのは魔法陣の調整をしている女性。彼女も複雑な術式を調整する為、魔法陣から目を離せずにいた。
ゆえにリーリオ達は魔力が充填されたのは、馬路と巴が戻って来たからだと判断したのだ。
気付いたのは、ただ一人陽向だけであった。
(ゆー君、なんで?……私、もうゆー君と戦いたくないのに)
魔法陣から光が溢れ出し、待機している人間を包み込んでいく。光が納まった時には、誰もいなくなっていた。
◇
そこは上下左右全てが真っ白な空間であった。その空間に招き入れられたのは二人。幸守と陽向である。
「あら?強い反応があったからチェックしてみれば、見知った魂が二人もいるなんて驚きましたわ」
聞こえて来たのは、神々しさと優しさに満ちた声。声の主は淡い光を放っている美女である。金色の髪は自ら光を放っており、染み一つない純白のドレスを身に纏っている。
「ソゥ様、お久し振りでございます。プラータ、戻って参りました」
いち早く目覚めた幸守が声の主に深々と頭を下げた。ソゥはかつて幸守が仕えた闇の神エスクリダオンの妹神で、光を司っている。
ここはソゥの神域。通称、純白の神域と言われている場所である。転移してきた二人を心配してソゥが招いたのだ。
「プラータ、久しいですわね。この度は我が世界のゴタゴタに巻き込んでしまった様ですわね。貴方がジゼル・エクレールの転生者と戻って来るなんて、皮肉な運命ですわね。昔の様に争ってはいけませんよ」
ソゥが優しい顔で幸守をたしなめる。女神であるソゥといえども、日本に干渉する事は出来ない。彼女の中で幸守と陽向は、命を懸けて戦った敵同士のままなのだ。
そして幸守に続いて陽向も目覚めた。陽向は目覚めると同時に幸守に詰め寄る。
「ゆー君、なんで付いて来たの?信じられない……あれ?ソゥ様……はしたない所をお見せして申し訳ありません」
ソゥの存在に気付いた陽向が恭しく平伏した。陽向が契約していた光の神ルスはソゥの眷属なのだ。
「ゆー君?……あら、お二人は知り合いなんですか?」
ソゥの額がほんの少しだけピクリと動いた。しかし、幸守も陽向も顔を伏せているので気付いていない。
「はい、幼馴染なんです。ソゥ様聞いて下さい。昔の事もあるから、ゆー君に内緒にしていたのに、勝手についてきたんですよ」
陽向は一端幸守の方を見た後、頬を膨らませながらプイッと向こうを向く……ソゥは、陽向の口元が僅かに緩んでいるのを、見逃さなかった。
「千鶴姐さんや雀だけじゃなく、昴や竜也の名前もあったんだぞ。心配だからに決まってるだろ?それに陽向がいないと寂しいし……」
幸守が、頬を赤くしながら反論する。最後は聞こえるか聞こえないか位の小声だったが、ソゥの耳にはしっかり届いていた。
ソゥの眉間に大きな皺が刻まざれる。
「はーっ?なんですか、このイチャラブ劇場は?転生した二人が幼馴染み!ラノベ?漫画?やってらんないっての。独身神の神域でいちゃつくなんて、私を馬鹿にしてるんだろっ!」
ソゥは両手を激しく叩きながら、盛大に愚痴りだす。ソゥは光の他に乙女の純潔の守護者でもある。正確に言うと彼氏や伴侶を作らないでいたので、信者により勝手に押し付けられただけの役割なのだ。
「えっ?いちゃついていませんよ。俺達、いつもこんな感じですよ……陽向、そうだよな」
幸守がいつもの調子で陽向にアイコンタクトを送る。幸守とて元神官だ。神の不興を買ったままにはしておけない。
「う、うん……私達まだ付き合っていないし」
陽向がすぐさま反応する。その頬は赤く染まっていた。
「出ましたっ!幼馴染みの以心伝心。このままじゃ純白の神域が、ピンクの神域になっちゃいますー」
そしてますますやさぐれるソゥ。明らかにさっきより不機嫌である。
気まずい空気の神域に赤い光が出現した。光は徐々に人の形になっていく。
現れたのは月光を連想させる銀色の髪の女性。ショートカットで活発そうな印象を受ける美女である。
「ソゥの神気が乱れたから心配してきてみれば、なにやってんだか……よぉ、久し振りだな」
銀髪の美女が親し気に幸守に声を掛けて来た。幸守も赤髪の美女の顔を見て目を潤ませる。
「アイリーン様、おひさしゅうございます。エスクリダオン様はお元気でしょうか?」
銀髪の女性の名はアイリーン。月の光を司る女神で、ソゥの友人でもある。そしてエスクリダオンの妻であり、幸守も神殿にいた時は随分と世話になったのだ。
「ああ、元気だぜ。ソゥ、贅沢言わないで結婚すりゃ良いだろ。位が高く、イケメンで信者も多い神なんていないっての。おまけにお見合いや合コンじゃなく、偶然の出会いじゃなきゃ嫌なんて、乙女かよ……全く、鬼王のとこの漫画と恋愛小説にはまったら、症状を悪化させやがって」
アイリーンの容赦ない駄目だしが、ソゥに炸裂する。同じ神で友人ともなれば、遠慮がない。
「この年まで純潔を守ってきたのよ。その辺の三流神なんかじゃ絶対に妥協しないわよ。ルスとか眷属に自慢出来る神じゃなきゃ嫌なの!……なに見てるのよ。さっさと行きなさい」
ソゥが軽く手を振ると、光が現れ陽向を包んでいく。陽向の姿が見えなくなったのを確認してから、アイリーンが幸守に近付いていく。
「プラータ、良い顔になったじゃねえか……ジゼル達には正体を隠しているんだろ?昔のよしみで、小細工しておいたから安心しな」
アイリーンが幸守の頭を撫でると、幸守も光に包まれ神域から姿を消した。
「さて、俺等も動かなきゃな……いくらプラータが強いとはいえ、現役を離れて大分たつ。何より、あいつは本来の力を失っている状態だ」
「お兄様も今回の騒動を把握出来なかったのね。召喚術に手を貸した神をとっちめてやりましょう」