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1:人前で帽子はとりたくない

 魔女の髪には秘密がある。


 魔女は目ぼしい子どもを見つけると、その毛髪におのれの髪をこっそり結び、目印にするという──それは大抵夜更かしで、大人の言うことを素直に聞かない“悪い子”だ。

 そして夜中に攫って行く。

 攫われた子どもの末路は決まっていて、男の子はよーく煮込んだ美味しいスープに、女の子は生まれ変わって魔女の仲間に、それぞれ変えられてしまうのだ。

 そうして行方知れずの子どものことは……だれもかれも皆、忘れてしまうのである。


 ◇◆◇


 ある町に一人の司祭がいた。

 名前はエーリク。

 歳は二十二。

 ほどよく賑わう地方の都市の、ほどよく静かな小さな町が、彼の教区だ。


 信仰を説いて回るべく、また信徒たちの心に寄り添うべく、彼は教区の見回りをかかさない。

 とくに小さな子供のいる家、老人のいる家には日を置かずに顔を出す──ようするに、真面目な若者というわけだ。


「それでねぇ、司祭様……あたしたちだって同じように言われてきたんだから、やっぱり同じように言うじゃないですか」


 さて、今現在エーリクの目の前にいるのは若い母親だ。

 腰に手を当て溜息をつく、その後ろには小さな男の子。祖母の膝に抱っこされ、ぐずぐずと泣いている。


「悪い子は魔女に連れて行かれるぞって。だけど実際こうして大人になって、ちゃんと生きてるわけですよ。司祭様だってそうだったでしょう?」

「ええ、そうですね」

「だからあたしもそう言ったんです、悪い子は魔女に連れて行かれるぞ、って──だって連れて行かれやしないですもの。実際は」

「ええ、まあ……そうですね」

「そしたらもう! 今朝からずーっとああなんですよ!」


 まったく、とんだ怖がりなんだから! と母親はもう一度溜息をついた。

 すると即座に坊やが唇を尖らせ、膨れっ面の泣きっ面で言うことには、こうだ。


「だって魔女が来てスープにされちゃうもん。こわいもん」

「大丈夫だよ、坊や。されないよ」

「魔女に連れて行かれたら、みんな僕のこと忘れちゃうもん。だから魔女がやったってわからないもん」

「そんなことないよ、安心しなさい」


 エーリクは苦笑いで子どもの前にしゃがみこんだ。

 そろそろ6歳になるこの坊やは、特別に怖がりで甘えん坊なのだ。


「おばあちゃんに髪を見てもらったんだろう?“目印”は無いって言ってもらったんだろう? それなら大丈夫だよ」

「大丈夫じゃないもん。魔女くるもん」

「おや、坊やはそんなに悪い子なのかい? ちゃんと『ありがとう』と『ごめんなさい』が言えないような、悪い子なのかい?」


 すると坊やは頬を膨らませ「……言えるもん」と呟いた。

 よしよし、と頭を撫でてやる。


「大丈夫、魔女がいたのは昔のことさ。坊やが生まれるずっと前。私が君と同じくらいの頃に、魔女は地上から消えたのだから」

「……じゃあスープにされない?」

「されないよ。悪い魔女はどこにもいない」


 だから、おばあちゃんのお膝から下りようね。

 すると子どもは「うん」と頷き、静かに微笑む祖母の膝からピョンと下りた。


「坊やはもう大きいんだから、あんまり長いこと泣いていてはいけないよ。少しならいいけどね」

「うん」

「お母さんやおばあちゃんを困らせてはいけないよ。助けてあげるくらいでないと」

「うん」

「でもね、どうしても我慢できなくなったらお寺においで。いつでも来ていいからね」

「うん」

「じゃあ約束だ。司祭様と指切りしよう」


 小指をからめて指切りしたら、なんとなく満足したのだろう。子どもは「おなかすいたー!」と母親の方へ駆けていった。

 やれやれ、とエーリクはもう一度苦笑いだ。

 調子のいいことであるが、自分も小さい頃はそうだった……いや、そうだったかな。もっとずっと心配性だったような気もするな。

 だから母にも「しょうもないことでグズグズしてると、魔女が髪を結びにきますよ」とまた脅されて──


「助かりましたよ、司祭様……もうね、抱っこもずっとじゃアチコチ痛くって」


 子どもの祖母がよっこらせ、と立ち上がる。ぽきぽきと音が聞こえてきそうだ。


「皆に忘れられる、っていうのが余程怖かったみたいでねぇ。ま、母親が脅しすぎたのもありますけども」

「ふふ、私が子どもの時も、その部分が一番怖かったように思います」


 自分がよーく煮込んだ美味しいスープの具にされてる時に、親も兄弟も誰もそれを知らないなんて……知らないどころか、自分のことを忘れてそのまま暮らしていくなんて。

 そんな恐ろしいことってあるだろうか!

 幼かったエーリクもあれこれ想像しては枕を濡らしたものである。

 だが実際にそんなことは起きなかったし、これからも起きやしないのだ。

 大丈夫。

 悪い魔女などいないのだから。


「──そう、いないんですよ。悪い魔女なんてねぇ」


 小さくこもる呟きにそちらを向くと、目が合ったのは子どもの祖母だ。


「いないんですよ、悪い魔女なんて。ずーっとずっと、昔っからね」

「……ずーっとずっと?」

「あたくしが娘の頃だって、悪い魔女なんてものはいなかったんですよ、司祭様」


 そう言って老女は微笑んだ。


「賢い女がいただけです。みんな燃えちまったけど……でもね司祭様。あたくし信じてるんですよ。

 火の手を逃れた賢い女が、今もどこかで、ひっそり暮らしているってね」


 ◇◆◇


 その夜のこと。


「“悪い子”は魔女の髪に絡めとられて攫われますよ……か」


 エーリクは小さく溜息をついた。

 寺院の僧坊の片隅にある自分の部屋、そのガラス窓におのれの姿を映しながら。


 自分だって今日の坊やと同じで、散々脅されながら大きくなったものだ。

 信心深い彼の母は、寝る前のお祈りを済ませて子どもたちの額に口づけすると、決まってこういった。


「さあ、遅くまで起きてる“悪い子”は、魔女の髪に絡めとられて攫われますよ──もしくは、絡まった髪だけ引っこ抜かれて、父さまみたいになりますよ」

「おいおい、それはないだろう」


 そう言って苦笑いする父の声を、エーリクは今も覚えている。その広すぎる額の輝きも。


「それじゃあまるで、悪い子だったから髪が薄いみたいじゃないか」

「あら、大人になるまでに一切の悪行をしなかった人間がいるでしょうか」

「だが私は悪党ではないはずだよ。信心深き哀れな子羊さ。いつだって神のお導きが必要だ」

「ええ、だから魔女のスープにされず、髪の毛だけで助かったのです。悔い改める心があなた自身を救ったのですよ──さあ、だから子どもたち。早く寝なさーい!」


 号令と同時に寝台に飛び込み、布団から顔を出す。

 母は子どもたちにもう一度キスをして、最後に父の広いおでこ──というか頭頂部──に口づけた。それからようやく明かりを消して眠りにつくのが、エーリクの育った家庭の習慣だ。

 すっかり大人になった今だって、寝る前の家族の儀式を懐かしく思うのは変わらない。


 懐かしく、そして恨めしく。


 窓に映る自分のおでこをさわり、嘆息する。

 まったく“悪い子”ではなかったのに。

 怖がりの泣き虫の心配性ではあったかもしれないが、比較的良い子だったと思うのに。

 もちろん、魔女に髪を結ばれたことなどなかったのに。


 この生え際ときたら郷里の父そっくりじゃないか──眉から下は母親そっくりなのに!


「いや、私が寺院に入ったのは迷える人々に寄り添うためだ。決して、決して」


 頭髪のためではない……ッ!


 誰に向けての主張かはともかく、エーリクは決意も新たに顔を上げた。そして司祭の帽子をかぶる。

 年々父に似てくるのは、親子だからもう仕方がない。

 それに人前に出るときは帽子をかぶるのだから、どこからどこまでがオデコかなんて些細なことだ。

 おりしも季節は秋の中頃、うだるような暑さは遠くへ去り、帽子の中が蒸れることもなく──いや、蒸れたからといって、それがなんだというのだ。気にしていたらますますハゲるぞ!


 司祭エーリク。歳は二十二。


 大柄でもなく小柄でもない、若き司祭だ。

 説教は丁寧で上品、身だしなみは常に整っている。

 詰襟の司祭服の首元が緩んでいるのも、かぶった司祭帽を外しているのも、見たことのある信徒は一人もいない。

 教区の若い娘の中には「エーリク司祭様、どうして司祭様なの?」とか「早く還俗なさればいいのに」などとのたまうものもいる──眉から下だけは、母親ゆずりの美形に生まれついたのだ。


「しかし、私は信仰の徒だ……つまらぬ煩悩は捨てなくては」


 自分に言い聞かせながら部屋を出た。つまらぬ煩悩と広すぎるオデコは帽子の中だ。


 向かう先は同じ僧坊の別の部屋。

 彼の上司である、司祭長の居室である。


 ◇◆◇


「賢い女?」


 寝巻姿の司祭長は、上から下まで完全装備の──まあようするに、司祭服と司祭帽の──エーリクの報告に眉をひそめた。


「あそこのうちのおばあちゃんが、そんなことを。君も知っているだろうが最後の魔女は十六年も前に、聖都で火あぶりになったのだ──どこにも、いるはずはないのだよ」


 口髭を蓄え紳士然とした司祭長は、エーリクの両親と同じような年齢だ。魔女討伐の時代を身をもって知っている。

 すなわち魔女のおそろしさについても身をもって知っている。その表情はどことなく不安げだ。


 悪魔と交わり暗黒の力を手に入れた女──魔女。

 黒い服に黒い帽子、長く縮れた黒髪を振り乱し、箒に乗って空を飛ぶ。カラスや黒猫を従えていることもあるという。

 風紀を乱し、人心を乱し、男を堕落させ、子どもを攫う。“悪い子”入りの美味しいスープは、悪魔への供物である。

 太古の昔から闇に潜んでいたものを、この百年で絶滅に至らしめた。

 最後の魔女を処刑したのは十六年前、当時、苛烈なまでに魔女狩りを押し進めた法王アレクサンダー猊下はまだ現役だ。


「司祭長。このこと、聖都には報告するのですか。法王猊下はどのようなことでも逐一報告せよと仰せなのですよね」


 それこそ風の噂レベルでも。

 司祭長の顔はますます深刻だ。


「報告か……しかし、あのおばあちゃんは何故そんなことを言ったんだろうね。“賢い女”だなどと」


 魔女を擁護するものも魔女の一派であるとして、軒並みしょっぴいては異端審問にかけ、火刑台にくくりつけた時代もあったのだ。

 滅多な発言はするもんじゃないと、あの老女もわかっているはずなのだが……

 すると司祭長はうっすら青ざめた顔を上げ、心なしか震える声でこう言った。


「もしかしたら──本当にいるのかもしれないよ」


 エーリクはごくり、と息を飲む。


「本当に隠れ魔女がいて、居場所を知っているのかもしれないよ」

「ま……まさか、そんな」

「もちろん我が教区の敬虔な信徒であるあのおばあちゃんが魔女の一派だなんて、僕も思わない。思わないけど……おお、恐ろしいことじゃないかエーリクくん! やはり聖都に報告せねば!」

「ですが……ですが……ですが、あの家のおばあちゃんにそんな嫌疑がかかったら」


 一度疑われたら、それを覆すのは困難だ。

 過去には事実無根の噂のみで逮捕され、晴れて身の潔白を証明しても周りの目が変わってしまい、同じ暮らしはできなかったという記録もある。逮捕された者の家族にとっても、同じことだろう。


 ひとつの疑惑が、ひとつの家族の崩壊を招くのだ。

 もしもおばあちゃんが無実なら取り返しのつかないことになる。それは何としてでも防ぎたい。

 この町でそんな不幸が起きるのは耐え難い。


「……あの坊やに『魔女などいない』と言ったんです。魔女などいない、と」


 子どもを髪で絡めとり、攫って行く悪魔の手先などいないのだと。

 だから大丈夫だと。

 安心しろと。

 そして坊やは「うん」と頷いたのだ。


「魔女の不在を証明しましょう。そういう報告を聖都には送ればよいのです」

「しかしどうするんだい、いないものをいないと断言するのは至難の業だよ。いるものをいないと偽る方が、まだ簡単だ」

「それは……」


 エーリクは言葉に詰まり、司祭長はショボンと肩を落とす。

 二人して思案投げ首──しばらくしてポン、と手を打ったのはエーリクだ。


「そうだ! 記録にはかつて魔女のアジトだった場所のことも書かれています。そこが完全に廃墟であると確認できればいいのでは」

「魔女のアジトを?」

「悪魔の宴に使われる場所は決まっているのでしょう? 月の見え方がどうのとか、地形がどうのとか。そこを再利用した跡がなければ、これはもう『この町に魔女はいない』のと同義ですよ。仮にこの教区の子どもの髪に“魔女の目印”がついたとしても、それはよその土地の魔女がやったこと。この町は問題なしです」

「でも……それ、誰が確かめに行くんだい?」


 僕は嫌だよ、と司祭長。眉を顰め、傍らの枕を不安げにぎゅっと抱く。


「それは……私が行きますよ。言い出しっぺですから」

「そ、そう? 気をつけてよエーリクくん、魔女は我々聖職者を堕落させるのが歓びだと聞くし」

「く、屈しませんよ」

「髪に目印を結ばれるのは子どもに限ったことではないんだよ。やつらは目印をつけた聖職者の寝床に、とても美しいハダカの婦人に化けて潜り込むそうだ。そして生き血をぜんぶ吸い、カラカラのみみずにしてしまうって」

「か、髪に……大人の髪にですか」

「アレクサンダー猊下もお若い頃、それで危ない目に遭ったというし」


 怖いね、怖いね、と司祭長は枕を抱いて繰り返す──ごくり、とエーリクはふたたび息を飲んだ。

 とても美しいハダカの婦人。

 まさしく煩悩の権化ではないか。

 そんな悪魔じみたものに、というかまさしく悪魔の手先に、未熟な自分は立ち向かえるのだろうか。

 やはり法王にお就きになる方は違う、自分だったらそのまま屈してしまうかも……それよりなにより、魔女の髪など結ばれては困る。引っこ抜かれて、ますます額が広がったら……


 いや、最終的には同じだ。髪があろうとなかろうと、みみずになるのだから。


「司祭長」


 震える声で、エーリクは呼びかけた。


「明日、調べに行ってまいります」


 枕を抱いたままの司祭長と見つめあう。ろうそくの炎がゆらゆらと、心細く揺れる中。


「もしも自分が戻らないときは、あるいは戻ったのがみみずであったときは、聖都に報告をお願いします」

「エーリクくん……勇敢な君に、せめて祝福を授けよう。跪いて帽子を取って」


 ──帽子を?


「い、いえ。けっこうです。大丈夫です!」

「えっでも相手は魔女だよエーリクくん。万が一があっては困るよ」

「ありませんよ万が一など。ははは、そもそも魔女なんていないんです、いないものにやられるはずはありません」


 エーリクは「ははは」と笑いながら立ち上がり、そのまま後ずさりで司祭長の居室を退出した。

 司祭長は「魔女が怖いから一緒に寝よう」といった意味合いのことを口にしていたが、聞こえないふりをした。


 人前で帽子はとりたくない。

 可哀そうな目で見られたくない。

 人は見た目ではないけれど、嫌なものは嫌なのだ。こればっかりはしょうがない。


 こうして彼は今宵もまた、つまらぬ煩悩と広すぎるオデコを後生大事にしまい込むのである。


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