1と10000の契約
僕は、目を疑っている。自分の目の前に明らかに人間ではない、人に似た姿をした生き物が立っているからだ。第一印象悪魔。具体的には、体に黒い霧を纏った角の生えた人。角が頭ではなく膝と肘から生えているがきっと悪魔。頭から生えてないので角ではなくトゲなのかもしれない。顔は初老の男性。不思議なことに怖くはない。悪魔は突然語りだす。
「おめでとうございます。あなたは厳正な抽選の結果、人生の岐路に立つ権利を手に入れました。魔法陣や呪術を使用した呼び出しもなく、私たち悪魔と契約することができるのです」
悪魔だった。やっぱり悪魔だった。意味がわからないが面倒なことに巻き込まれたらしい。非日常だ。ドキドキする。人生において、非日常を求めるのは人間の欲なのだろうか。僕はこの状況を混乱しながら楽しんでいた。悪魔は続ける。
「理解が追いついてないようですな?自己紹介が遅れました。私はあなたと契約を結ぶために来た悪魔でございます。特定の名前は有しておりませぬので今回はヴァテとお呼び下さい」
悪魔あらためヴァテはお辞儀をしながら言った。立ち振る舞いは紳士な悪魔だ。困ったことに体が動かない。逃げられないようだ。面白い展開だ。悪魔だから命と引き換えに何かを契約するのだろうか。体が動かないからヴァテに聞くこともできない。
「今回、私が契約しに来ましたのは『1と10000の契約』でございます。あなたには選択権があります。願いを1つ叶える代わりに10000のペナルティを受けてもらうか、願いを10000叶える代わりに1つのペナルティを受けていただくというものです。どちらかを選択することができます。契約する権利の放棄、契約の破棄はできません。口を動かせるようにしておいたので答えて下さい。」
笑いながらヴァテは伝えた。悪魔の提案だ。どちらかすぐに決めてしまうのは良くない。相手は悪魔なのだ。きっと裏がある。質問しながら慎重に決めよう。
「そのペナルティっていうのはどんなものなんだ?」
「それは『答え』を欲するという願いですか?質問をしていいとは言ってないはずですよ」
「質問ができないなら決められないな。決めなかった場合はどちらになる?」
「質問の『答え』を聞きたいのでしたら願えばいいのです。どちらの契約も一つは願いを叶えることが出来るのですから。特別に最初の願いを叶える権利を与えましょう。ただし、二つ以上願った場合は強制的に契約成立として、9000以上の願いを叶える代わりに1つペナルティを受けてもらいます」
ヴァテはニヤニヤしながら言った。どうしたものか。このまま質問の解答が得られないのは辛い。しかし、願いをひとつだけにした場合『ヴァテから回答を得る』という願いで終わってしまう。その願いにペナルティ10000は分が悪すぎる。逆に多くの願いが叶えられる契約のペナルティは1つ。つまり、1つのペナルティを解消する願いをすればいいのだ。契約する権利を放棄することができないのであれば、即決したほうがいい気がしてきた。
「ヴァテ。僕は10000の願いを叶える契約をする」
「本当にそちらでいいのですね?契約の変更はできませんよ?」
「あぁ、問題ない」
「それでは、『10000の願いを叶える代わりに私が提示する1つのペナルティを受けていただく契約』成立です。さっそく10000の願いを叶えましょう。願い事をどうぞ」
なにをいっているんだ?理解できない。先ほど聞いたものと少し説明が違ったぞ。どういうことだ?それに今から10000の願い事を聞いてくるだと?そんなこと一言も聞いてないぞ。
「どうしました?契約は完了していますよ?はやく願い事を言ってください。悪魔とはいえ、あなたの考えていることを読み取り勝手に叶えるような真似はいたしませんよ」
「先に願いを聞くとか聞いてないぞ!それに、ペナルティをヴァテが決めるなんてことも聞いてないぞ!」
「そりゃそうですよ。『答え』てないですから聞いてなくて当たり前です。あなたが質問の『答え』を聞かないで契約するから悪いのです。私は忠告しましたよ。さぁさぁ、願い事をどうぞ」
ヴァテは言い寄る。後悔する。相手は悪魔だと知っていたのに。軽率だった。ペナルティとはなんだろう。答えなければ。ペナルティを回避できる願いを。
「あ、聞かれたら『答え』るつもりでしたがサービスです。『ペナルティをなしにする』のようなペナルティに直接関わる願いは叶えることができませんので注意してください」
逃げ場はない。願うしかない。ありきたりなものでもいい。答える。そして、当てる。ヴァテが提示すると思うペナルティを当てる。悪魔だ。相手は悪魔なんだ。欲しがるのは……寿命か!
「これから願うよ……『平穏な家庭、不老不死、美人で家庭的な彼女、その彼女との結婚、湧き出るお金、若さ、世界平和、将来安定、絶対音感、老いない、美味しい食事……』」
「ちょうど10000。契約に基いて願ったまま叶えることを約束しよう。さて、忘れてはいけない。私からのささやかなペナルティのプレゼントだ。覚悟はできているな?」
「もち……ろんだ」
10000の願いを伝え終わった僕は、疲れていた。10000なんて途方もない数をその場で考えるなんて無茶なことはもうしたくないと心のそこから思った。そんな僕を、相変わらずヴァテはニヤニヤ見ている。ペナルティでも考えているのだろうか。
「ペナルティは…『感の欠落』だ。
感情、感覚……『感』がつくものを全て欠落させる。これがペナルティだ。
これから契約通り、10000の願いが叶うだろう。
美人で家庭的な彼女ができても、お金が尽きることがなくても、美味しい食べ物を一生食べることができても、世界が平和になっても。おまえの感情や感覚はゼロだ。なにも感じない。感じることができない。感動なんてない。幸せも感じない。おまえの周りがいくら幸せでも、おまえはなにも感じない。愛情なんてもってのほか。感じることなんてできない。痛みもない。食感もない。音感もない。おまえ音痴確定だなぁ。お前はこれから空っぽだ。空っぽに、なにも感じない余生を送ってくれ。
……あ、不老不死なんだっけ?最悪だねぇ。頑張って死ぬ方法を考えてくれたまえ。ちなみに空っぽで死ぬこともできないなんて、俺は絶対経験したくない。まぁ、おまえのおかげで世界は平和になるんだし、よかったじゃないか。救世主だぞ。全人類から感謝されても空っぽには意味ないな。
おとなしく『願いを1つ叶える代わりにこれからの人生で10000のペナルティを不幸をいう形で受ける契約』にすればよかったのに。小さな不幸なんて人生どう生きてても受けるのに」
ヴァテは大爆笑でまくし立てた。
改めて実感した。目の前にいるのは悪魔なんだと。
そして、僕の苦痛で億劫な人生が始まる。
読んでいただきありがとうございます。
お気に入りのユーザーさんが開催していたテーマ短編に便乗してみました。
今までの作品で一番文字数が多いものができました。