[4]後編
ぜえ…はあ…
ぜえ…はあ…
呼吸困難…
テスト勉強の合間ってこんなにないもんだったっけ…
現地は酷い有り様だった。
かつての雄壮な門は今や崩れかけ、紫色の亡霊植物が生い茂り黒い霧を産み出している。
防護壁は腐食し、至るところに穴が穿たれている。内部に人の気配はなく、ただ時々呻き声が響き渡る…。灰色の霧によって視界は阻まれ、数メートル先までしか見通すことはできない。門の戸は倒れ、[ようこそ、水と石造建築の森、リオレタリアへ]の看板は掠れて傾いている。
過去の観光都市としての栄光は、見る影もない。
「これは…随分なものだな」
「全くだ…私が前に来た時はもっと…」
過去を知る二人はその惨状を目の当たりにして茫然自失に陥っている。亡霊害域の印である交差した鎌の標識が目に入る。立ち入り禁止区域に足を踏み入れる。
夜になったかのような暗闇が形成される。念のため想陣は展開したままで先に進む。
黒猫の死体がある。
ワイヤーから火花が散り、その僅かな光が闇の中で揺れる。
水道施設の水しぶきの音だけが響き渡る。
朽ちたレンガの家々の奥に、教会の折れた尖塔が佇む。
怖いくらいの静けさの中を進んでいく。沈黙を強制されるような圧倒的な静けさ。亡霊害域と聞いて警戒していたが、一向に敵は現れない。
「妙だな…もう現れてもおかしくない頃なんだが…」
エルモンドが持つランタンの火が揺れた。
「…!!」
ストリアは振り向き様に魔弾を放った。背後にいた亡霊の心臓を貫き、力なく倒れるのを見てから二人を先導して走り出す。
「来い!!殺されるぞ!!!」
ストリアは地形把握を利用して迷うことなく奥へと駆け抜ける。亡霊はまだ見えないが、一度現れるとその近辺に多数発生する性質があるので逃げ続けた。
「奴らの反応が無くなった…今なら安全だ」
路地裏になっている場所で三人が立ち止まる。先ほどの亡霊のステルス能力は脅威としては十二分だった。常に背後に警戒しながら進む。
「あの人」から連絡があったのは少し経ってからだ。
「もしもーし」
「おう、フィガロ、潜り込めたか?」
「もちろん♪簡単簡単」
「じゃあ、あとは頼むぞ」
「りょーかーい」
彼女は現在魔術庁の情報保管室に向かっている。そこならある程度の情報は入るのではないかと予想したので、堂々と侵入可能な魔術師院主任を潜入させたのだ。
「我々も、さっさと情報を拾って帰ってこようじゃないか」
「ああ、そうだな」
リオレタリアの中でも特に破壊された地域に出た。放置によるものではなく、明らかに人為的に破壊されている。
「ここか…ユリアの実家は」
半壊した住宅の中に入っていく。瓦礫によっていくつかの通路や家具が調査不能になっているが、辛うじて地下室やリビングにあたる場所は問題の無いようだった。
「この辺りだと思うが…」
エルモンドが検魔薬剤を振り撒く。魔薬が使用された場所には残留魔力がある。ルーペを取り出し、怪しい箇所を一つずつあたる。
床の一部が黒い。
「…陽性反応。狂怒薬系だ」
さらに分析をかける。
床にある染みに試薬を使い、詳細に様子を見る。ザレック系第3種を表す反応。黒く細かい泡と金が混じった白い煙。
「よし…ほぼ確定だな」
「ザレック系第3種というと…ゼロノイト、ワキュリオ、セドロスのどれかだな」
「ワキュリオ特有の赤黒い染みも残らず、セドロスのように海綿体型大気干渉植物も含まれていないらしい。あとは犯人がゼロノイトを購入していた記録があれば…」
主任から電話がかかってきた。
「見つけたよ、[プロジェクト・ユリア]に関連する機密情報」
「どうだった?」
「関係なさそうな情報しか見つかんない…2030年3月14日の魔術庁の物品交易記録…何でこんなとこに?」
「おい、フィガロ、その書類を開いて[ゼロノイト]に関する記載を探してくれ」
「うん、わかったー…ちょっと待ってね」
数分経ってから連絡が帰ってきた。
彼女が探り当てた情報によると、まず交易記録の中には確かにゼロノイトの記載があり、しかもそれが数十個単位で流入しているということ。その流入元はベルネス王国の密輸組織であるということ。また、主犯であろうクヴェイア・ダリエスという人物は確かに魔術庁の職員名簿に載せられていた記録があり、2000年3月28日に名簿から消えていることも明らかになった。
「在籍してたのはたったの9週間…死亡の扱いになってないみたいなんだぁー」
「死亡してない?」
「どこにもこの人が死亡したっていう記録が残ってないの…」
ユリアの話と現場の状況を考えれば、かなりのエネルギーを受けたはずだ。それでもなお生きていられる…ということだ。犯人の人物像が恐ろしくなる。また、同時にその男についての情報を収集してみたところ、確かにゼロノイトはクヴェイアの手元に向かっていたこと、そして名簿から消される数日前に重傷を負って魔術庁内の緊急保護室に送られていることがわかった。この近辺の魔力残量から推測した魔力解放の日が、彼の搬送日と重なっていることがわかった。この近辺の住民の負傷者は皆地方病院に搬送されていることも分かり、恐らく犯人はクヴェイアで固まった。
いくつかの記録を取り、亡霊が近づいてくる前にさっさとこの場所を出ることにした。主任も脱出を開始する。
今のところ判明している情報。
・犯人はほぼクヴェイア・ダリエスで確定していること。
・3月14日に輸入されたゼロノイトは確かに使用された痕跡が残っていること。
・犯人は死亡していないこと。
大きな発見は主にこの3点。
クヴェイアは今、どこにいるのか。
師院に戻ってから、彼の消息を追うことにする。
ユクシオンの戸籍には現住所も載っている。転居の際は当局に届け出ることが義務付けられている。とりあえず戸籍を調べれば自宅だけでもわかるかも知れない。
当局に開示させる必要もない。魔術庁の人間だというなら簡単に炙り出せる。
しかしその検索の結果は…
「クヴェイア・ダリエスの戸籍が存在しないことがわかった」
あらゆる可能性を考えた。最初から戸籍がなかったのでは?またはこの男もユリアと同じく人外の存在なのでは?
いや、もし戸籍が無い、または人外的存在ならば魔術庁などの中央省庁に就くことは不可能だ。改竄対策も万全に行われているため、これらの可能性は極めて低い。共和国が工作員を送り込んだ可能性も否定された。リオレタリアは城塞に囲まれた重要警戒都市であり、内部にいる人間は常に監視されている。
そして最後に現れた可能性。
誰かが「彼」という人間をでっち上げていたのではないか?
事実、自分の姿を変更する方法はあるし、やろうと思えば自分の身分などいくらでも偽装できるだろう。そうすれば姿を変更する瞬間さえ見られなければ完全犯罪を達成できる。
この魔術には弱点がある。
それは、一人の人間はある一人の人間に偽装することしかできない、ということだ。
狂怒薬の代表的な副作用として、フラッシュバックがある。
狂怒薬を投与された際、狂怒状態に陥らせるためにその瞬間感じていた最大の怒りを利用する。その怒りの原因となったものを思い出すようなこと、例えば原因が人間ならばそいつの声や顔写真を聞いたり見たりすると号泣する。この副作用を利用すれば(ユリアには少々申し訳ないが)犯人を割り出せるかも知れない。
サンプルを録るため、再びリオレタリアに向かう。今回はシオンにも同席してもらう。
「前よりひどくなってないか?」
ストリアの声さえももう響かない。亡霊たちの数が増えているようだ。力が強まることで、このエリア一帯で人間世界では当たり前だった法則が破壊され、亡霊世界の法則が適用されて人間は段々不利に、亡霊は段々有利になっていく。
「政府は一体何をしてるんだ…」
「これは早く行ったほうが良いだろうな…」
ストリアが道を示し、一気に駆け抜けることに決まった。
亡霊たちが四方八方から迫る。彼らの手は数十本単位で伸びてくる。それを避け、切り裂きながら走り抜けていく。何度か掴まれたが、その度に助け合って進行を続ける。
ユリアの実家まではそう時間はかからなかった。実家の周りに結界を張り、当時の様子を透視する。
初めは不透明だったが、次第に物音が大きくなってくる。
その時代の声が聞こえる。
「よし、シオン、録音を」
「はい、始めます」
《…い…貴様…非人…》
《違う!…の子は…たしの…》
《…れ!魔術庁…令によ…》
《あ…まさか…長…》
《…だ…ルイザ…官…》
透視が終了し、ノイズ混じりの音声が録音された。
「…聞いたか」
「勿論」
「これは大事になったな…」
リオレタリアを足早に去り、ユリアの元へ向かう。その際、先ほどの音声の他にもう一つの音声を入手した。
ルイザ・スティルフレッド魔術庁長官の音声だ。これを聞いてユリアが泣けば、これは国を揺るがす事態となる。
ストリアを筆頭とした特殊調査部隊にさらに情報を集めさせることを決め、ユリアの部屋に入った。
「ユリア」
エレインがなるべく平静を装ってユリアに微笑みかける。
「この前聞くように依頼した音声が録れたんだが…ちょっと状況が変わったんだ」
[状況が…変わった?]
「容疑者が固まり始めてる。そいつの声を聞いてほしい」
[わかった…お願い]
録音された長官の音声が流れる。就任時の初心表明演説の音声だ。
ふと、嗚咽が聞こえた。
ユリアの目からは大粒の涙がこぼれ落ちた。
大変なことになった。
ネズミが猫に捕らわれた。
雀が墜落した。
カーテンが揺れる。
いま目の前にいるのが、ルイザ長官。魔術師院の会議室にはルイザとエルモンドしかいない。
「急にどうしたんだ…お前らしくない、大概用がある時は[数日後に会いましょう]と言う…だが今回は[今すぐに来てください]と言ったな…緊急の要件だな?」
「はい…非常に重要な要件です」
「まあ昔から言っていることだけは信用できるからな…よし、言ってみよ」
「ユリア=イクスについてです」
ルイザの表情が変わった。
「…ほう…やっと決心がついたのか…?」
「…違います。彼女の起こした事件について、です」
「受諾と思えば異議申し立てか…よし、聞くだけ聞いてやる」
コップの水をちらりと見て、自信に満ちた表情でエルモンドを見る。
「我々はこの件について極秘裏に調査を行いました」
ルイザの目付きが鋭くなる。
「…なんだと?」
「彼女の故郷たるリオレタリア現地にも向かいました」
「貴様…!!」
立ち上がろうとするルイザを片手で制止し、話を続ける。
「彼女は自分の意思では攻撃を行っていません」
資料を提示し、調べた内容を全て話す。
「彼女には、ここにもある通りザレック系第3種のゼロノイト狂怒薬が投与された可能性が高く、リオレタリアの廃墟からも…」
とにかく真実に近いであろう話を洗い浚い全てぶつけた。
コップの水が枯渇した。
「…そして、全ての情報があなたを犯人と指しています」
「ふざけるな!!私が犯人だと…?私は魔術庁長官だぞ!そんな身分の人間がどうして殺人未遂などという下賤の罪に問われなくてはならんのだ!?」
「証拠は揃っています…あとは彼女が決定打を持ってくるでしょう」
「彼女…?」
扉を開き、ストリアを中に入れる。
「ストリア…?なぜ…!?」
「すまんな老いぼれ、ワタシは賄賂程度では動きはせん。そんな軽い女ではない」
「…ッ!!」
「調べあげてみれば…あんた、やっぱり組織ぐるみでやってたんだな。ユリア一人を殺す為に」
調査の結果、やはりユリア討伐組織が既に存在しており、その作戦の一環としてユリア・ネロー襲撃がある。首謀者はルイザだった。
「さあ、どうするよ。他にもたんまりと情報は戴いてきた」
ストリアの鋭い眼光がルイザの絶望に満ちた目に向けられる。
「降伏ならば…今のうちだ」
結局、組織は法廷で裁かれた。刑の詳細は知らないが、かなりの重刑が科せられたらしい。
ユリアは魔術庁からの抑えがなくなり、市民として認められた。しかしユリア博士は戻ってこなかった。
[ありがと、いろいろ]
「いいんだ、俺が勝手にやったことだ」
[お礼ぐらいさせてよ]
「えっ?」
ユリアはエレインの右手を半ば強引に掴んだ。拘束具が擦れ合う音がした。
「えっ!?」
[いやっ、別に今回の一件で君が好きになったとか、そういう感じじゃないからっ!勝手に妄想しないでよ!]
「えっ、あっ、わ、わかった…」
ユリアは恥ずかしそうに目を逸らし、俯いた。
[当分このまんまで居てあげる]
ぜえ…はあ…
ユリア…完全なツンデレにしたかったけど…やっぱ厳しかった…
ぜえ…はあ…
親指も痛いし…
よし、テストも次話も頑張ろう…
ぜえ…はあ…