可哀想な大人
「可哀想な大人。」
ぽつりと子供は言葉を吐き捨てた。
すれ違い際に言われたその容姿の男は、それにたいして身体を強ばらせ少しビクついた。
ビシっとしたスーツ姿。日本人特有の撫で下がった肩とは違う難いの良い怒り肩。
緊張しているのか…?
だとしたら一体何に対してだ?
“たかが”こんな子供に。
いや、そんな“たかが”で片付けられるものではないのだろう。
その小さな体から発せられる殺気は難いとは比例的な小心者の男を脅すには充分だった。
この状況、脳裏に残るいつの日か読んだ書物の一節と重なった。
“大人を雇った子供は叱る。”
有名な一節だ。
初めてこのフレーズを聞く人は文法ミスだと思うだろうが、これが正しい。
著者はそのあとにつづった。
“いつかこれは現実になる”と。
子供は知っているんだ。
いや、正式には子供ではなく“人間”は。それは大人達が年を重ねる度に自ら消していったモノ。
幾度も、“仕方ない”と理由を付けて。その言葉を知らない子供だからこそ、多くを手に入れた。
そう…、今まで大人が必死になってすがりついていた、“権力”というものまでもを…。
この子供もきっとそうなんだろう。
そしてこの大人達はは知らぬ間にそれを失ったんだ。
権力に喰われた大人は泣き叫ぶ。
まるで、なにもできない赤子のように。
現在、政治家のほとんどは子供になっていた。
各国もいつの間にかそうなっていて、
永久に終わることがないと云われていた戦争も全て終わりを迎えた。
戦地には花が咲き、戦車と戦闘機は分解されて国境を結ぶ掛け橋の部品になった。
先進国にあった爆弾や原子力物質は、全て、人々を救う薬に代わった。
はたしてその世界を幸と呼ぶのか不幸と呼ぶのか・・・
その答えを出すのは、いつかの時代の子供も子供だ。