ふたつを天秤にかけたなら
『……晶が好き、なんだ。よければその、つ、付き合ってほしい……』
耳まで真っ赤にしながらそう言った先輩の顔と、
『別れてくれないか』
硬い表情でそう告げた先輩の姿が、頭の中に浮かんで、はじけた。
……出来ることなら、先輩の一番近くに。叶わないのなら、遠くから先輩の幸せを祈らせて。
他の誰でもない、わたしのために。
とりあえず二度寝しようと、わたしは思考するのをやめた。寝不足のひどい顔じゃ、生徒会で忙しい先輩に余計な心配をかけてしまう。それはほら、もっとも望まないことだから。
先輩は今、穏やかに眠れているのでしょうか?
再び眠りにつく前にふと、そんなことを考えた。
「晶?まだ起きねえの?」
……だあれ?侑?お願い、静かにおねーちゃんを寝かせて下さい。昨日ろくに寝てないの。
「オレもう学校行くんだけど」
ああそうなの?いってらっしゃい。気をつけてね。
「弁当は?」
知らないよ?ていうか、侑はいつも学食でしょ?なんで、いきなりお弁当って――…ん、お弁当?
……そういえば、昨日調子に乗って約束したような…?『オレいい加減学食飽きた』って言いやがった侑に、先輩関係で色々迷惑というか心配をかけているお詫びに『じゃあお弁当作ってあげる』って言った、言ったよ、わたし!
昨日の電話の件と、あの夢と、あの後感傷にひたっていたせいですっかり忘れてたよ。一ミリも頭になかったよ。……どうしよう。
「今何時!?」
「七時ちょうど。今日課外あるんだよね。……ひょっとして弁当出来てない?」
ドアの向こうで侑の声がする。いつも通りを装ってはいるが、残念そうで。
罪悪感が芽生えた。今から大急ぎで作ったところで課外の時間には間に合わないだろう。……というかわたし自身課外に間に合うかわからない。
「出来てないならいいよ。学食食べればいい話だし。……無理言ってごめんな、じゃあオレもう行くから」
侑が遠ざかっていくのがわかった。しょぼくれた侑の後ろ姿がなんとなくだけど想像出来るよ。昨日あんなに喜んでたもんね。ダメなおねーちゃんでごめんね。
明日必ず作るから、と叫ぼうとして、妙案を思いついた。
そうだ、課外を休めばいい。かわいい侑と、課外を天秤にかけたら、そりゃ侑のほうに傾くわけで。
「待って、侑!今日学食買わないで!」
ベットから飛び起きて、ドアを開ける。
階段まであと一歩のところで、驚いた顔をして侑は立っていた。良かった、ちゃんと聞こえていたみたいだ。
「……今から作ってくれんの?課外は?」
「今日は休みます。たまにはいいでしょ。だからいい、絶対だからね?」
わたしが念を押すと、こくこくと侑は頷いて、次の瞬間柔らかな笑みを浮かべた。甘やかな顔でわたしに近付いてわたしをぎゅっと抱きしめる。
「ありがと、晶」
わー抱きしめられちゃった。浮気かなコレ?別れてるから大丈夫だよね?
「いいよ。……ほら、早く行かないと遅刻するでしょ?お弁当、ちゃんと持っていくから、頑張って課外受けてきてね」
なんか新婚さんみたいだな、わたしたち。
「……うん、わかった」
侑は名残惜しそうにわたしから離れた。それから数回わたしの頭を撫で、髪を梳いてそしてようやく学校に行った。……遅刻するぞ。わたしは今日は完璧遅刻コースだけどね。課外休んで弁当作ってました、って言ったら完璧殺されるねわたし。しかも今日は怖ーい大久保先生だし。
うん、考えないことにしよう。
一階に下りて、早速弁当作りを始める。まずは卵焼きを作りましょう。
朝ごはんを食べている時間はなさそうだ。……侑は朝はちゃんと食べたのかな?
両親は二人とも多忙で家には滅多にいない。良いヒトたちではあるけれど、親としてはどうなんだろう?今は侑がいるから寂しさは感じないけれど、一人だった時期は寂しくて寂しくてたまらなかった。それは多分侑も同じだっただろう。だからわたしは再婚してくれて良かったと思っている。家で誰かが待っていてくれるというのはすごく、幸せだ。
―――それにしてもこのままじゃまずいな。
わたしと先輩が別れて変わってしまったものが、いくつかある。
一つは、わたしと先輩の距離。普通別れたら広がるはずの距離が何故か一気に縮まった。というか先輩によって縮められた。わけがわかりません。
そしてもう一つ。わたしと侑の、きょーだいとしての境界があやふやになってきている。侑はわたしのことを異性として見ている。……そしてその上で。
侑がわたしのことを「ねーちゃん」と言わないのは、そのせいだろう。でも最初は「晶おねーさん」って呼んでいた。すごく生意気な顔で、だったけど。侑がわたしを「晶」と呼ぶようになったのは、再婚から半年くらい経過してからだ。
わたしのことを「晶」と呼び始める少し前から、侑の態度は変わった。
他のヒトには滅多に笑顔なんて見せないくせに、わたしの前では良く笑うようになった。その上、時々宝石のような綺麗な瞳で熱っぽく見つめられたら誰だって気付く。
わたしはそれをずっと、はぐらかしてきた。……侑はそれを、知っているのかな?知ってるよね、多分。お互い気付いてて、気付かないフリ。それがわたしたちの暗黙のルール、だった。
抱きしめてくることなんて一度もなかった。髪を梳かれたこともなかった。あんな行動をとるようになったのはここ最近の話だ。
……いろんなことが変わってきている。わたしも今のままではいられないのかもしれない。
昨日の電話の内容から考えても、先輩にはあいまいなこの関係をどうこうする気はないようだった。続けたいのかもしれない。だったら、どこに別れる必要があったのだろうか。
「……そうなんだよね」
別れるからには、何か理由があるはずだ。わたしに飽きたというのなら、それでも構わないし、他に好きなヒトが出来た、でも構わない。新しい彼女を作るなり、他のヒトに告白するなりして下さい。わたしは何も言わないから。
でも先輩は、わたしの側にいる。……それは何故?