NEVER END 50音順小説Part~ね~
「眠りから覚めよ―――――」
誰かの声がするその瞬間までずっと夢を見続けていた気がした。
そうして私は深い深いそして永い永い眠りから目覚めたのであった。
目を開けると私の前には男が立っていた。
見たところ四十代半ばで蓄えた豊かな口髭に
手を添える仕草はいかにも傲岸という言葉が相応しい男だった。
が、しかし男の姿は見えるもののその姿は不透明であった、
何故ならば円柱の水槽の中から彼を見ているためであった。
何やら様々な管につながれ付近からは微かに機械音が聞こえる。
どうやら彼は私を鳥籠の如くこの水槽の中に閉じ込めていることを知った。
だが彼が手を一振りすると中にあった液体が徐々に底へ抜け落ち、
同時に浮いていた私の足も床へ徐々に近づいた。
液体が完全に底へ吸い込まれると分け隔てていた壁も収納されて
男と私の間には何もなくなり今では同じ空気を吸って呼吸している。
「同じ東洋人でもタイの貧困村から買い取ってきた娘だったから
上手くいくかどうか少し心配だったがどうやら成功だ。
ふん、なかなかよく出来たではないか。聞け、人形よ。
お前はもう一度生まれ変わったのだ、新たなヒトとして。
これからは私のために生きろ、私の手足として動け。
そうなると以前の名とは別の物を用意してやらんとな。
そうだな、お前のモデルとなった少女の名前をそのまま使うか。」
銀のネームプレートには私の体を構成する要素となった持ち主の名が
熱い金属の文字盤でそれに印を押された―――――――ネイティリと。
「私には何の記憶もありません。」
「当然だ、お前の脳をこの体に移植する際に以前の記憶は全て消去したんだ。
おまけに感情という不必要な機能を取り除いた代わりに
様々な言語、一般常識、特殊知識に加え戦闘能力、電算能力といった
これから必要になる機能を搭載したからな。」
「そうですか。それで私には何の記憶も感情も湧き上がらないのですね。
至極納得のいく説明です。」
「ではそんなお前に最初の記憶として私の名を刻みこむことを許そう、
私の名は神城誉、お前を生んだ者の名よ。」
空洞のような瞳で男を見つめる、確かにその瞳の奥には一切の感情が読み取れない。
「ネイティリ、私がお前の真のマスターだ。」
「真のというとほかに私にはマスターと呼ぶべき存在がいるのですか。」
「そうだ、お前にはこれからある任に就いてもらう。」
水を滴らせ一糸纏わぬ姿のネイティリに何の配慮もなく
誉はいきなり数枚の書類を彼女に手渡した。
「久遠寺悠、遺伝子工学の研究者ですか。」
「以前は私の研究所で働く研究員で私の自慢の弟子であった、がある時を境に
意見が食い違うようになってね彼は私のもとを去ってしまったのだよ。
その久遠寺が何やら新しい開発をしているという噂を耳にして
聞けば彼の研究には私が何十年にも及んでやっと得た技術を使っているらしい、
弟子が師の業を盗むとは何と嘆かわしいことか。」
「ではマスター、私は久遠寺をマスターとして付き従い
やつの情報をこちらに流せば良いのですね。」
「そういうことだ、呑み込みが早くて助かる。ほかに質問は。」
「いえ、皆無です。」
「では頼む、ネイティリ。」
「承知致しました。マスター。」
彼女が目覚めてから最初の仕事を任せられるまでそれはものの数分の出来事であった。
「ネイティリ、すまないがこの資料をまとめておいてもらえるかな。」
「はい、かしこまりました。マスター。」
「あの、ネイティリ?前も言ったはずだけどそのマスターっていうの
止めてもらえないかな。なんだかこそばゆくて。」
「しかし私はあなたの助手兼秘書であり、
つまり私の主であることに変わりありませんではないですか。」
「君は変な所で頑固だよね。仕事は完璧にこなすのに・・・・・。」
「仕事に差し支えがあるようでしたらただちに止めますが。」
「まぁあるっちゃあるような・・。」
「分かりました、久遠寺博士。」
「それもなんだか気恥ずかしいけれどマスターよりはましか。」
そう言ってネイティリに柔らかな笑みを向ける男こそ久遠寺悠その人だった。
悠は研究者にありがちな陰鬱な雰囲気を全く帯びていない人物であり
誰に対しても物腰穏やかな彼の態度は年端もいかぬ異国の少女であろうと変わることはなかった。
ネイティリが久遠寺悠の研究室に潜入してから半年が経過しようとしていた、
おかげで今現在彼の研究内容を概ね把握してマスターである神城誉に
逐一報告するとこ数えて数十回を超えていた。
「マスター、どうやら久遠寺はあなたの研究していた遺伝子操作、クローン製作の
技術を使って負傷した人体の欠損部分を補う実験を繰り返しています。」
「ふむ、さて何の目的でそのような研究をしているのだろうか。」
「調べますか。」
「いや、いい。目的なんぞは目に見えている。
自己利益の為―――大方どっかの国にでも売り飛ばす気なんだろう。
引き続き調査を頼むよ。」
「仰せのままに。我がマスター。」
誉との電話を切り時刻を確認するとまだ日付が変わる前であり
いつもより随分早く就寝した、普段と違うことをしたせいか
その日は初めての出来事が起こった。
「どうしたの、珍しいボーッとしちゃって。」
起床してからの挨拶を済ませてコーヒーを淹れるネイティリに
悠は心配そうに声をかけた。
「不可解な出来事が朝起きる前に起こったものですから。
夢なのでしょうか、寝ている間に誰かと話しているような現象に陥りました。」
「それはどうみても夢でしょう、おかしなこと言うな君は。
優秀である君の言葉には思えないよ。」
「ですが今まで夢というものは見たことなかったものですから。」
「そうなのかい、驚きだな。」
「私も驚きです。」
彼女の場合はまさか感情を持たない自分でも夢を見るということに驚いていた。
「ちなみにどんな内容だったのか教えてもらってもいいかな。」
悠はネイティリの淹れたコーヒーを口に含み優しい眼差しを彼女に向けた。
「夢の中で私は日本人の少女でした。
色とりどりの花が植えられている綺麗な場所で私は年配の男性と
一緒に時を過ごしてました。何故かその男性が私に向ける目は優しいものでした。」
「きっとその男性は君のお父上だよ。」
「何故そうなるのですか。」
「だって今話しているネイティリの顔が嬉しそうだったから。」
「まさか、私が。」
「何故?君だって人間だろう。人だったら喜怒哀楽がある、
だから君が喜んでも何ら可笑しいことはないはずだよ。」
「けれど久遠寺博士、嬉しいと何故父親という見解になるのですか。」
「ネイティリのことを優しい目で見ていたんだろ、
そういうのは大切な誰かでないと向けないものだよ。
もしかしたら歳の離れた恋人って線もあるかもだけど・・・。
そういえば君からは色恋沙汰の話は聞いたことないよね、
誰か気になる人とか付き合っている人はいないの?」
「そのようなことには興味ありません。」
「はは、はっきり言うね。」
ネイティリには父親どころか家族なんてものは存在しない、
目覚めた瞬間から一人でただ神城誉のためだけに造られた
人造人間だと解釈している。
そのせいなのかあるいは彼に従うよう内蔵されているのか
彼女が誉に対して抗えない何かしらを抱いているのは事実であった。
またいくら知識は豊富であっても彼女にとっての世界は狭く
実際、彼女の知っている人間は誉と悠の二人だけであり
この何かは知識だけでは一体どういったものか理解できなかった。
だがその一人はこのままいくと殺すことになるだろうが―――。
「研究も最終段階に入ってきている、このまま上手くいけばいいんだが。」
「そうですね、あと一歩で完成というところですか。」
「なんだか浮かない顔をしているね、ネイティリ。」
「そんなことはありません。」
「そう、けど何か悩んでいるのだったら言ってね。
頼りないかもしれないけど力になるから。」
そう言うと悠はネイティリの頭にポンと軽く手を置いた。
悠の手からネイティリの頭へとその温かさが伝わってくる。
初めての行為のはずであるが以前にもされたことがあるような気がした、
完璧な人造人間の記憶スペースの中にはどれも該当するものがないのに。
「なぜ頼りにもならないのに力になるのだと矛盾したことを言うのですか。」
「最近質問が多いね、けどそれは良いことだ。
知らないことを知りたいと思う欲求は研究者にとって大切なことだからね。
答えはもちろん君が僕の大事な相棒だからさ。」
その夜も誉への報告も滞りなく終わるかと思われたが
彼がついに重い腰を上げることをネイティリに告げる。
「もうじき久遠寺の研究が完成するのだな、そろそろ行動に移す頃合か。」
「というと。」
「明日、私自ら久遠寺邸に赴こうではないか。」
「しかしそれは危険では、マスターと久遠寺は対立関係であるのに。」
「確かに久遠寺が生きてればな。」
「それは――――――」
「この最後の命によってお前の任を終了とする―――久遠寺悠を抹殺せよ。
そして彼の研究データを我が手に、元は私の研究からの派生だから
私の物も同然だ。異論は無いな。」
「了解しました・・・マスター。」
彼女の顔からは相変わらず何の表情も読み取れなかった。
翌日、ネイティリと悠はいつも通り研究に取り掛かろうとしていた。
「さぁ、今日もガンガン頑張るぞ。ネイティリ、今日もよろしく頼むね。
じゃあ早速だけど―――――」
「一つ聞きたいことがあります。
久遠寺博士、あなたはこの研究を成功させてどうするおつもりですか。」
「唐突の質問だね。」
「いきなりで申し訳ありません。けれど、今どうしても聞かなければならないことだからです。」
ネイティリが研究に対して疑問を呈することがなかったので
悠は一拍置いて熱い気持ちを込め彼の理想論を語り始めた。
「僕がこうやってラボに閉じこもって研究している間にも
世界中のあちこちで戦争やテロ、事件、事故が起こっている。
残念ながら僕には戦争を止める権力も事故を防止する超能力も持ち合わせていない、
だが僕にしかできないことで誰かを救えるなら僕は助けたい。
この研究が成功すれば多くの人が救える。
もうじき完成するんだ、僕の望む未来が。」
「ですが、それはかつてあなたが師事していた神城氏の研究ですよね。」
「どうしてそれを・・・・・。」
「私が神城誉に創られた人造人間だからです。」
「君が・・・・・人造人間?」
当初面食らっていた悠であるが、そこは天才遺伝子学の研究者
すぐに事情を把握して自分が崖に立たされているということを自覚した。
「今僕にこうやって全てを話してくれているということは
これは僕に死亡フラグが立っているのかな。」
「その可能性もありますが、私が博士に全てを明かすのに
もう一つ別の理由が考えられませんか。」
「別の・・・・・・」
いくら彼が天才博士でもそれは研究面においてのみであり
ほかのことに関しては全く疎いようであり彼女の意味するところを
理解できなかった。
「正直な所、もし博士がこの研究成果を悪用するようでしたら
私はマスターの命令通り抹殺することが出来たでしょう。
けれどあなたの傍で働いていると私の決心が鈍りました。
あなたをこのまま死なせてよいものかと。」
「主の意のままに動くはずの人造人間である君がどうしてそんな行動に出るんだい。」
「あなたは私に心があると言ってくれた、それで私はここが温かくなりました。
だからあなたに生きてほしくなりました。」
ネイティリは自分の胸に手を置いて示した。
「今から久遠寺悠、あなたが私のマスターです。」
胸を張り悠を真っ直ぐ見つめネイティリは高らかに宣言した。
「けれど神城氏を殺すことも出来ません。それでも私を創ってくれた人ですし、
それにあのひとは・・・。」
「ネイティリにとっては大切な人だもんね。
僕もそれは望まない、どんな理由があっても人を殺すことはいけない。」
「では、今すぐここを立ち去らなければ。もうじき彼が来ます。
データも早くコピーを―――」
「コピーは既にある、ここにあるパソコンさえ壊してしまえば
研究データはもう誰の手にも渡らない。」
「では。」
悠の持つフロッピーディスクを確認するとネイティリは手元の
キーボードを軽く叩き、画面に表示されたYESボタンを押すと
全てのパソコンの画面が乱れそして真っ黒になった。
「これで完了です。」
「じゃあ裏口から急いで出よう。とにかく車で逃げれるところまで逃げよう。
神城博士のことだから正面から堂々入ってくる気さ。」
と早口で捲し立てながらネイティリの腕を掴む、が彼女は動かない。
「逃げるのはあなた一人です。私は所詮神城氏の傀儡ですので逃げても意味がありません。
あの方に逆らった罰は受けるつもりです。」
「何言ってるんだ!君も殺されるぞ!」
「元より承知の上です。」
「・・・駄目だ、絶対ダメだ!絶対君も連れて行く!」
先程よりも腕を掴む手に力を込めネイティリを引っ張る悠、
その目はいつも見ていた悠の穏やかな目ではなく強い意志そのものだった。
「君が嫌と言おうが引きずってでも連れて行かせてもらう。
言っただろう、ネイティリは大事な相棒だ。たとえ創られたものでも。」
それを聞いて言葉にならないものが湧き上がってくるのをネイティリは感じた、これが
嬉しいという感情なのだろうか、それならいいのにネイティリはこの気持ちを
永久保存するかのように焼き付けた。
「はい。どこまでもお供します、マスター。」
と突如、
彼女の知覚センサーが背部から物凄い速度で何かの気配を二つ察知したが
二人が避けるには遅すぎた。
「ネイティリ!!」
悠の背中の上にはネイティリが力なく重なっていた。
ネイティリが悠を庇う形で倒れ、その背中には穴が二つくっきりと開いている。
「こんなに早く気付かれるとは、私の体内に盗聴器でも仕込まれていたのでしょう。
私自身にも知らせることなく。」
重傷を負っているにも関わらず淡々と分析しているネイティリの傷口を
見て悠はただただ呆然としていた。
「どうして・・・・・僕なんか・・・・・」
「貴方は優しい人だから。」
「ネイティリ・・・。」
「行ってください、マスター。早く神城氏が来ないうちに。」
「ダメだ。」
彼女を持ち上げようとしたが彼の細い腕では通常の人間より重いネイティリの体は
浮くはずもなかった。
「無理です、私はもう助かりませんので置いていってください。」
「けど、だめだ。諦めるな。」
「お願いです、私の為に逃げてください。」
「・・・・・・・・・・」
「お願い、します。」
何かを言いかけた悠だったが彼女の意思を汲んだのか、ネイティリを見つめ
やがてその場を立ち去った。
死に際のせいなのかネイティリはネイティリになる以前の記憶を鮮明に思い出していた。
そしてなぜまた自分が死の運命に立たされているのか考えていた。
またその中で悲惨な末路をたどった異国の少女を心憂いだ。
病のせいでボロボロになった自分の器になるため一人の少女が犠牲になったのは事実だが、
彼女のおかげで新たな生を受けられた第二の人生が満足なものになったのもまた事実であった。
だから彼女には謝罪と感謝の気持ちでいっぱいだった。
前の人生では辛かったことしか憶えてなかった、不治の病に襲われたこと、
そのせいで父が取り憑かれたかのように研究に没頭していったこと、
最期誰に看取られることもなく死んでいったこと。父に寂しさと怒りをおぼえたこともあったが
それも自分を生かそうとしてのことだからと何も言えなかった。
けれどこの新しい体を得て本当は父が自分のことなど何とも思ってなかったことを知って
やっと怒りをぶつけられる、そう思っていた矢先にこんな目に遭い散々な人生なのかもしれないが
それでも大事な人を守れ再び父に会うことが出来たことは嬉しかった。
やはり自分は父を愛していたのだとそう自覚した。
いくら頑丈な肉体を有する人造人間でも撃たれた場所が悪かったため体は既に動かなくなり
だんだんと視界がぼやけ誰かが近づいてくる気配は察知できても
頭を動かしその人物をはっきり確認することが出来なかった。
けれど、それが誰であるかネイティリには分かった。誰でもない自分の父親を間違えるわけがなかった。
「・・・パパ。」
「さすが我が娘というべきか、頑固なところは人形になっても変わらなかったか。
やはりお前の朽ちてゆく運命は変えられないのだな、さらば未散――――――。」
遠ざかる足音と父の声が子守唄のように心地よく未散の耳に残った。
ほとんど見えてないはずだったが誉が彼女を見つめる瞳の中には
父が愛娘を愛しそうに見るそれがあった、と感じた。いや、それは彼女の願いが見せた
ただの幻であったかもしれない。それでも彼女は幸せだったのだろう。
そしてゆっくりと神城未散は目を閉じてゆき
今度こそ永い夢を見続けていくことになるだろう旅路へと立った。