縁談を九件断った鉄壁の騎士団長が、部下の私のお見合いだけは全力で止めてきます
「団長、また縁談を断ったらしい」
朝一番。その話を聞いて、リーナは剣を取り落とした。
「これで九件目だ」
副団長のガイが、足元に転がった剣を見る。
「リーナ、お前まで断られた顔をするなよ」
「してません!」
リーナは慌てて否定した。
好きになって三年。いまだ告白すらできずにいる。
訓練場の向こうでは、騎士団長クラウスが新人の構えを直していた。
二十八歳。『鉄壁のクラウス』の異名を持つ。
守りは堅く、剣の腕も王国屈指。
おまけに顔もいい。
そんな彼に来る縁談の相手は、美しく、家柄のよい令嬢ばかり。
なのに、すべて断る。
姿絵さえ見ないという徹底ぶりだ。
「今回も『結婚する気はない』だとさ」
「……そうですか」
そんな令嬢たちでも駄目なのだ。
毎日泥だらけで剣を振っている自分が、好きです、なんて。
ゼッタイに……言えない!
「リーナ、剣」
「はい……あっ!」
拾おうと身を屈めた瞬間、左肩に痛みが走った。
「どうした?」
「いえ。なんでも――」
「左肩か」
低い声に、リーナは背筋を伸ばした。
さっきまで向こうにいたはずのクラウスが、目の前に立っていた。
「昨日、斬られたところだな」
「かすっただけです」
「上着を」
「もう平気ですから」
「血が滲んでいるじゃないか!」
言われて見れば、袖の付け根に赤い染みができていた。
自分でも気づかなかったのに。
「医務室へ行け。今日の打ち込みは禁止だ」
「でも、あと百本――」
「駄目だ」
「……はい」
剣を拾ったクラウスが、リーナの右手に柄を向ける。
左肩に響かないよう、すぐ手の届く位置で待ってくれていた。
こういうところが、好きなのだ。
「ありがとうございます」
「ああ」
好きになっても、つらくなるだけなのに。
◇
昼過ぎ、リーナは巡回報告を届けに団長室を訪れた。
机の端には、縁談の書類が置かれていた。
開かれた様子もない。
「肩は?」
「手当てしていただきました」
「そうか」
クラウスが書類から顔を上げる。
「ところで、昼は食べたか?」
「……これからです」
「もう二時だぞ」
「報告をまとめていたら、つい」
机の引き出しから、小さな包みが出てきた。
近くのパン屋の、胡桃パンだった。
「食べなさい」
「団長の分では?」
「私は食べた」
「でも」
「腹が減っていては仕事に身が入らん。君は空腹だと、訓練でも踏み込みが甘くなるからな」
「そんなところまで見てたんですか!?」
恥ずかしい。
好きな人に、空腹まで見抜かれている。
受け取った包みから、胡桃の香りがふわりと漂った。
「……ありがとうございます」
「ああ」
この優しさを、勘違いできたらいいのに。
リーナは机の端の書類を見た。
「あの。縁談、またお断りになったんですね」
「……ガイか」
「とても素敵な方だそうですよ。一度くらい、お会いになってみては?」
口にしてから、後悔した。
もし、会うと言われたら。
「必要ない」
ほっとしてしまった自分が、嫌だった。
「リーナ」
「はい」
「君は、私に結婚してほしいのか」
顔を上げると、クラウスがこちらを見ていた。
報告を聞くときより、ずっと真剣な目だった。
「団長が幸せになるなら……結婚してほしいです」
「そうか」
クラウスが視線を落とす。
ぱき、と小さな音がした。
「団長?」
「……すまない。どうやら、ペンが傷んでいたらしい」
ひびの入った軸を机に置くと、クラウスは新しいペンを取った。
「仕事は後でいい。先に食べなさい」
「はい」
リーナは頭を下げ、部屋を出た。
廊下で包みを開く。
ほんのり甘く香る胡桃パン。
リーナの好物だった。
そんなことまで覚えていてくれるから、三年経っても諦められない。
◇
その翌日、実家から縁談の手紙が届いた。
相手は財務局に勤める男性で、穏やかな人だという。
結婚後も騎士を続けてよいと、わざわざ書き添えてあった。
「いい話じゃないか」
休憩室でガイが言った。
「……そうですね」
「それで、どうする」
リーナは返事を書きかけた便箋を見た。
「会ってみようと思います」
「団長には?」
「どうしてそこで団長が出てくるんですか!」
「三年見てりゃ分かるさ」
顔が熱くなった。
ガイは椅子の背にもたれる。
「一度くらい、気持ちを聞いてみたらどうだ」
「……九件です」
「うん?」
「九件も縁談を断ってる人に、『好きです』だなんてゼッタイ言えません」
「そうなのか?」
「そうですよ。しかも、断られたあとも、毎日顔を合わせるんですよ?」
同じ訓練場で剣を振る。
報告を届ける。
怪我を隠して叱られる。
その全部が気まずくなるくらいなら、今のままがまだマシだった。
けれど。
「団長に縁談が来るたび、ヘコむのも嫌なので……」
「とっくに顔に出てるぞ」
「だからです!」
リーナは便箋に視線を戻した。
「そろそろ、前に進みます」
ガイは少し黙った。
「……そうか」
その声が珍しく優しくて、リーナは顔を上げられなかった。
◇
「日曜日、休暇をいただきたいのですが」
翌朝、団長室でリーナが告げると、クラウスは頷いた。
「ああ。何か予定が?」
「お見合いです」
ペンが止まった。
「……何?」
「お見合いです。財務局にお勤めの方と」
「断れ」
今度はリーナが止まった。
「はい?」
「その男は駄目だ」
「まだ名前も申し上げていませんが」
「財務局だろう。帰りが遅い」
「別に問題ありません」
「…………」
「私が騎士を続けることにも、理解のある方だそうです」
「剣は?」
「はい?」
「剣は使えるのか?」
「文官ですよ?」
「君より弱いじゃないか」
「王国の男性の九割くらいは私より弱いですよ!」
「なら残りの一割から選べ」
「どうして結婚相手を武力で決めなきゃいけないんですか!」
クラウスは真顔だった。
リーナは机に両手をつく。
「そもそも、どうして団長が私の結婚相手に口出しするんです?」
「上官として――」
「越権行為です」
ぴしゃりと言うと、クラウスが口を閉じた。
「仕事の指示には従います。でも、誰と結婚するかは私が決めます」
「……あ、ああ」
「団長には、関係ありません」
言った瞬間、胸が痛んだ。
本当は、団長に好きだと言ってほしかった。
けれど、それが叶わないから諦めようとしているのに。
「……そうだな」
クラウスは握っていたペンを、ゆっくり置いた。
「私が命じることではなかった。すまない」
頭を下げられて、リーナは机から手を離した。
「休暇は取ってくれ」
「……はい」
リーナは扉へ歩き出した。
終わってしまう。
このまま部屋を出たら、本当に。
「……ただ」
背後から声がした。
「君に行ってほしく……ない」
リーナの足が止まった。
「…………え?」
振り返ると、クラウスが真っ直ぐこちらを見ていた。
「私が……嫌なんだ」
「……どうしてですか!?」
「君には、君を大切にする男と一緒にいてほしい」
「まだお会いしてもいません。その方が大切にしてくださらないなんて、分からないでしょう」
「分からない……か」
「では、誰ならいいんですか」
声が震えた。
「私の仕事を理解してくれて」
「……」
「騎士を辞めろと言わなくて」
「……」
「遠征から帰るのを、待っていてくれて」
「……」
「私を大切にしてくれる」
「……あぁ」
「私は、それで充分なんです」
「それだけじゃ……駄目だ」
「え?」
「君が怪我を隠しても、気づく男がいい」
リーナは口を閉じた。
「食事を抜けば、食べさせる」
「……はい」
「無茶をしたら叱る。君が大丈夫だと言っても、そのまま信じない」
思わず、左肩に触れた。
「君は強いから、誰もが任せる。そして君も引き受ける」
クラウスの視線が、その手に落ちる。
「せめて、一人くらいは止めなければ」
怒っていたはずなのに。
もう、怒れなかった。
「……それ」
リーナは小さく息を吸った。
「全部、団長がやっていることじゃないですか?」
「…………」
「そこまでやる人、団長しかいませんよ?」
クラウスが立ち上がった。
机を回って、リーナの前で止まる。
「なら……私を選んでくれ」
「……え?」
「君を他の誰かに任せたくない」
「団長、それって……」
「君と……生きたい」
「でも団長は、結婚する気がないって」
「君以外とだ!」
リーナは瞬きをした。
「君以外と結婚する気などない。だから、すべて断った」
九件。
そのたびに、自分には無理だと思った。
好きだと言ってはいけない人なのだと。
「あれ、全部……」
「ああ」
「私のせい……ですか?」
「そうだ。君が好きだからだ」
「先に言ってくださいよ!」
涙が出た。
怒っているのか、嬉しいのか、自分でも分からなかった。
「三年!」
「え?」
「縁談を断り続ける団長を見て、三年間気持ちを抑えていたんです!」
「なぜ、言わなかったんだ」
「そんなこと、言えるわけないでしょ!」
「君からなら、断らなかった」
「だから、それを先に言ってください!」
クラウスが額を押さえた。
「私は……部下として慕われているだけだと」
「胡桃パンをもらうたびに、あんなに喜ぶ部下がいますか!」
「好物だろう」
「好きな人からもらうからです!」
「……そうか」
クラウスの口元が、ゆっくり緩んだ。
初めて見るくらい、嬉しそうな顔だった。
ずるい。
そんな顔をされたら、もう文句が続かない。
「リーナ」
「……はい」
「日曜日、私と出かけてくれないか」
「それは命令ですか?」
「いや、誘っている」
差し出された手を、リーナは自分から握った。
「はい、喜んで」
コンコン。
「入っていいか」
扉の向こうから、ガイの声がした。
取っ手が回る。
「駄目です!」
「分かった。じゃあ、お前らも一度――おい、押すな!」
次の瞬間、扉が勢いよく内側へ開いた。
「うわっ!」
「副団長、どいて!」
「お前らが乗ってるんだよ!」
ガイを先頭に、騎士たちが折り重なって転がり込んできた。
リーナは、つないだ手を引っ込めようとした。
クラウスは離さなかった。
「……何をしている」
低い声に、床の上の騎士たちが一斉に顔を上げる。
「巡回です」
「団長室の扉をか」
「重点的に」
その後ろで、一人の騎士が拳を握った。
「よっしゃ! 団長から告白した! 俺の一人勝ちだ!」
「おい、今それを言うな!」
リーナは目を見開いた。
「……何を賭けてたんですか?」
「どっちが先に告白するかを、少々」
「少々?」
「明日の昼飯を」
ガイが床から起き上がり、服の埃を払った。
「ちなみに、こいつ以外は全員リーナに賭けてた」
「団長、三年待っても言わないんですもん」
「ついに鉄壁が落ちたぞ」
「聞こえているぞ」
全員が、ぴしりと背筋を伸ばした。
こういうときだけ、見事に揃う。
「皆さん……知ってたんですか?」
リーナが聞くと、騎士たちは顔を見合わせた。
「むしろ、知らなかったんですか?」
隣でクラウスが黙った。
リーナも黙った。
「あんなに悩んでたのに……」
「だから、心配してたんですよ」
「今日こそ言えって、全員で」
「誰かが押さなきゃ、静かに見守れたんですけど」
「お前も押しただろ!」
ガイが咳払いをした。
「まあ、とにかくだ」
笑いを収めた顔で、二人を見る。
「おめでとう」
「おめでとうございます!」
今度は、誰に命じられるでもなく声が揃った。
拍手まで起きた。
恥ずかしい。
明日の訓練で、どんな顔をしてみんなに会えばいいのだろう。
それでも。
「……ありがとうございます」
リーナは、握られた手を握り返した。
クラウスの指にも、少し力がこもった。
「よかったな、団長」
ガイが、いつもの調子で言った。
「これからは、胡桃パンをこっそり買わなくても――」
「ば、馬鹿! 余計なことを」
「本人を誘って、堂々と食いに行けるな!」
どっと笑い声が上がった。
◇
お見合いは、リーナが実家を通じて丁重に断った。
そして日曜日。
二人は手をつないで街を歩いていた。
「……団長」
「休みの日まで、その呼び方か」
「急には変えられません」
「そうか」
ほんの少し残念そうな顔をされて、リーナは困った。
怖い人だと思っていた。
何を考えているのか分からない人だとも。
なのに、今日はこんなに分かりやすい。
「……クラウス様」
つないだ手に、力がこもった。
「もう一度」
「聞こえてたでしょ?」
「もう一度、聞きたいんだ」
「もう、欲張りですね」
「三年分あるからな」
リーナは笑った。
自分にだって、三年分の「好き」がある。
「好きです、クラウス様」
「私もだ」
「ちゃんと言ってください。もう、勘違いしたくありません」
クラウスが足を止めた。
正面から目が合う。
「好きだ。リーナ」




