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夜会でこっそり遊んでただけなのに、不審者扱いされた令嬢の話

作者: 雨今日
掲載日:2026/06/05


 豪華絢爛なパーティー会場。今夜も着飾った紳士淑女が社交やダンスに勤しんでいる。

 

 淑女たるもの、誰にもバレないように遊ぶべし。


 いざ、女の戦いがはじまる――――


 アマリアは背筋をスッと伸ばし、人波を優雅に躱しながら進んでいく。

 あどけない顔には淑女の笑みを浮かべて、素早く視線のみを動かし周囲を確認する。


 その気品あふれる歩みに気を取られて一見気付かないが、よく見れば「あれっ?めっちゃ速くね?」と、令嬢らしからぬ機動力に違和感を抱くことだろう。

 しかし、そんな違和感を抱かせる隙は与えない。アマリアはすぐにその場を離れた。


 (さて、状況把握は大体できましたわ…)

 

 アマリアは一応貴族令嬢ではあるけど、末席も末席。婚約者はいないし、彼氏もいない。

 もちろんパーティーへエスコートしてくれる人なんかいないから、会場に入場するときは両親の真後ろにこそこそと続いていた。


 何度かやってみたけど、これ誰にも気付かれない?

 だんだん、パーティへの参加が楽しくなってきた……

 

 そんな時、ふいに思いついた。

 この秘密裏活動、みんなでやればもっと楽しくない?


 そこで、サークルを立ち上げた。

 名を、【月下の密約会】

 

 メンバーは独り身エンジョイ勢の令嬢たちや、社交をしたくないけど夜会は楽しみたい令嬢たち、などなど。

 活動内容は、パーティー中に他の人にバレないように遊ぶというくだらないものだ。

 内容は日によって変わる。鬼ごっこをしたり、かくれんぼをしたり、借り物競争などなど。


 そして本日の遊戯は……

  ――警邏&泥棒ゲーム――


 警邏と泥棒に分かれている。警邏は泥棒を全員捕まえれば勝ち。泥棒はパーティ会場に飾られている花瓶から赤い薔薇を1輪抜き取ることができれば勝ち。

 

 私は泥棒チームに振り分けられている。


 今回も負ける気はないが、【月下の密約会】に参加している令嬢たちは個性的で手強い面々が揃っている。油断はできない。


 先程、優雅に会場内を一周した結果、会場内に花瓶は複数あるが、全てに赤い薔薇があるわけではないことが分かった。


 (赤い薔薇の花瓶は、大階段の左右と、その対面にある広いバルコニー付近の、計3箇所)


 アマリアは歩みを止めずに思考を続ける。


 (大階段の前のホールはもう少し時間が経てばダンスが始まりますわね)


 給仕からシャンパングラスを受け取り、チラリと窓際に目線を向ける。

 

 (バルコニーの近くには警邏の令嬢が何名かいらっしゃいますわ……)


 アマリアはシャンパンを淑女らしく優雅に飲み干し、給仕へグラスを返した。速度だけなら酒場の荒くれ者と同等だった。

 給仕は一瞬目を見開いたが、既に令嬢はいなかった。

 手首で口元を拭いたい気持ちを抑えハンカチで軽く口元を拭う。

 

 (警邏の目を欺くには、泥棒仲間が必要ですわね)


 華麗にターンし踵を返し、大広間を後にした。

 

 ――――――――――――――――――――


 辺りを警戒しながら廊下を進む。

 会場内に泥棒仲間が数名しか見当たらなかった為、捕虜となっているのだろう。

 アマリアは会場入りが少し遅れていた。【月下の密約会】の令嬢が会場に到着した時刻はまちまちだろうし、タイミングによっては人数不利な状況で捕まってしまったこともありえる。


 (捕虜の令嬢を解放すれば、作戦の幅が生まれますわ)


 この角を曲がった先にある部屋が、捕虜が拘束されている休憩室だが、部屋の前に警邏の令嬢がいないかどうかを確認する必要がある。

 壁に手をつき、体は隠したまま、片目だけで通路の先を覗く。

 多少淑女らしくないポーズだが、ドレスのいいところはガニ股になっても周りからは分からないところだ。足さえ見えなければ、とんでもない姿勢になっている事は意外と気付かない。


 (いますわね……警邏の令嬢)


 瞬時に顔を引いて壁に隠れた。そしてもう一度、顔を出そうとすると……


 無理な姿勢で体のバランスが崩れた。

 アマリアは己の体幹の悪さを嘆いた。

 

 (転ぶ……!!せめて……見えない方に……)


 体を捻り、ギュッと目を瞑った瞬間…


「危ない!」

 誰かが間一髪で抱きかかえてくれた。


「大丈夫か?」


 目の前すぐに端正な顔があった。体格の良い男性が大きな手でアマリアの体を支えてくれている。

 

 (わ……ち、近い……)

 

「……ご令嬢?」


 抱き止めてくれた男性は顔を覗き込んでくる。

 アマリアは慌てて視線を逸らし、背中を支えられたまま大きく仰け反っていた体勢を戻す。体が少し離れて、やっと深く息を吐けた。


 顔を上げると、助けてくれた人物はどうやら騎士のようだった。

 かっちりと制服を着込んでいるが、アマリアの体を支えた際に少し乱れてしまったようだった。

 

「……失礼いたしました、救っていただいてありがとうございます。騎士様のおかげで助かりました」


 アマリアは素早く騎士の制服を、ぱぱぱっと手のひらで軽く撫で付け整えながら感謝を伝えた。

 

「無事で良かったですが……一体何をしていたのですか?」


 騎士はアマリアの手を勢いよく掴んだ。


「令嬢は大広間に入るや否や、会場内を3周、高速で移動していました。やっと足を止めたかと思えば、徐ろにシャンパンを掴み一気に飲み干し、駆け出して行きましたよね?」


 私の隠密行動を見ていたのか、この男……


「そしてここでは、壁に手をつき、通路の先を覗いていましたね?」

 

 あ、この掴まれた手…

 捕縛だ。


「この先に何かあるのですか?何が目的なんですか?」


 騎士の目は笑っていない。冷ややかな視線が突き刺さる。手をがっちりと掴まれている為、逃げることもできない。


 しかし、ピンチをチャンスに変えて見せる――


「……この先の休憩室に行こうと思いまして。豪華な広間で、沢山の方々がいらっしゃるから……緊張してしまって。闇雲に会場を歩き回ったせいで喉が乾いておりましたの。それでシャンパンを飲んだら少し酔いが回ってしまい……」


 アマリアは姿勢を崩し、騎士にしなだれかかる。


「……あっ申し訳ありません……足がふらついてしまい……」


「どうやらそのようですね」

 

 騎士は拘束の手を離し、優しく体を支えてくれる。紳士だ。


「大丈夫ですか?立っていられますか?」


「お恥ずかしいです……このような姿を晒してしまって……」


 アマリアは顔を伏せ、肩を震わせる。


「お気になさらず。では、私が休憩室までお連れしましょう」 


 騎士はそう言うと、少し体を離した。途端、アマリアの足は宙に浮いていた。

 

「!!」


 騎士はアマリアを横抱きで抱えていた。アマリアは少し目を見開き呆気に取られるが、戸惑いがちに腕を騎士の首に回した。騎士は満足げに頷く。

 

「重ね重ね申し訳ありません……」


「謝らないでください」


 騎士はゆっくりと優しい歩調で進み出した。


「……重くないですか?」


「全く。鍛えておりますから」


「騎士様のお仕事は大変なことでしょうからね」

 

 アマリアは気まずさを誤魔化す程度にぽつりぽつりと話しかけた。騎士は体調不良の令嬢を労わるように優しく運んでくれている。


 騎士が部屋の手前で歩みを止めた。部屋の前に人がいたからだ。

 

「失礼、こちらのご令嬢を休憩室へお運びしたいので、通していただけますか?」


 部屋の前にいた警邏の令嬢は顔を騎士に向ける。続いて横抱きにされているアマリアの姿に目線をやり、ギクリとし、固まる。


「? こんな通路で一体貴方は何をしているんですか?」


「い、いえ〜……オホホ」


 愛想笑いをしながら横歩きでスライドしていく警邏の令嬢。


「そ、そろそろ広間へ戻ろうかしらぁ……オホオホ」


 警邏の令嬢は不気味に笑いながら横歩きのまま通路を進んでいった。

 【月下の密約会】のルールは、一般人にバレないこと。

 つまり、騎士に抱えられているアマリアをその場で捕獲することはできないのだった。


 (土壇場の対応だったけれど、存外上手くいったわね)


 アマリアは騎士に見えない角度で不敵な笑みを浮かべ、警邏の令嬢を見送った。


 ――――――――――――――――――――


「アマリア様!!」


 休憩室の中では3名の令嬢がソファに腰掛けて休んでいた。もとい、捕虜となっていた。


「皆さん……」


 私が助けに来ましたよ――


 の言葉は飲み込んで。


 騎士様はアマリアを慎重に空いているソファへ降ろし、その手を取り跪いた。

 

「体調はいかがですか?」


「きっと少し休めば回復しますわ」


 いい人。本当に感謝いたします。

 思わず涙が浮かぶ。いい方向に転びすぎて。

 アマリアは笑顔を綻ばせ、騎士にお礼を告げた。


「本当に手助けをありがとうございました、騎士様」


「当然の務めです」


 騎士は反対の手を胸に当てる。


「……私はユーラと申します。貴方は……」


 騎士はチラリと捕虜の令嬢たちを見やった。

 

「先程……アマリア嬢と……呼ばれていましたね」


「ええ、私はアマリアと申しますわ。ユーラ様、この御恩はきっとお返ししますわ」


 そろそろ騎士様どっか行ってくれないかなー。

 と思いつつ、笑顔は崩さない。

 

 ユーラはコホンと軽く咳払いし、立ち上がる。


「急いで水を運ばせますので少々お休みください」


「あ、大丈夫です……本当に……」


 アマリアの返答を聞くことはなく、急ぎ足でユーラは部屋から退出した。ドアが閉まり、段々と足音は聞こえなくなり、やがて静寂となった。

 ふーーーーっと、深く長いため息を吐く。

 そして、令嬢たちにびしっと指を突きつけて声を張り上げる。


「皆様、捕虜になってしまうなんて情けないですわよ!」


「ごめんなさいね、アマリア様」

「油断しておりましたわ……今回の警邏チームはなかなかやりますわ」

「助けに来ていただけて本当に良かったですわ」


 一般人がいなくなったことにより、【月下の密約会】の話ができるようになった為、部屋の空気が明るくなる。アマリアは元気よく立ち上がり、拳を突き上げる。


「さあ、ここから早く脱出いたしましょう!うかうかしていると、先ほどの騎士様が戻ってきてしまいますわ」


「そうですわね、参りましょうか」

「それにしても体調不良を装って、騎士様に抱えて来られるなんて流石はアマリア様ですわ」


「危なかったけどなんとか上手くいきましたわ」


 さあ、行きますわよ――

 4人の泥棒令嬢たちは速やかに部屋を後にした。


  ――――――――――――――――――――


 しばらくして、ユーラはメイドを伴い部屋に戻ってきた。しかし……

 

「………いない」


 誰も。


 一体なんだったんだ……

 アマリア嬢……無理していないといいが……


 ユーラは眉間に皺を寄せ、頭を抱えた。


 ――――――――――――――――――――


「作戦はこうです!」


 大広間へ向かう別の通路を歩きながら、アマリアは指をぴんと立てて話を続ける。


「狙いはバルコニー近くの花瓶に活けられた赤い薔薇。まず私が先陣を切って陽動いたします。その後2名がかりで正面から近付いて警邏を威嚇してください」

 

「残りの1人は?」

 

「柱に隠れながら上手側からうまいこと近付いてください」

 

「なるほど。正面側に意識を引きつけて、死角となる横から薔薇を抜き取るんですね?」

 

「取れたらサイド担当の方が薔薇を取ってください。念の為、私も気付かれないように接近いたしますが、我々が動き出せば他の泥棒もフォローに入ってくれることでしょう」

 

「「「了解ですわ!」」」


 アマリア一行は、大広間へと再び足を踏み入れた。

 一行の目は闘志に燃えており異様に殺気だっていた。


 アマリアは背筋を伸ばし、人の合間を縫いながらも美しい歩みで、バルコニーの側へと近づく。

 そこには先程通路を塞いでいた令嬢を含む、警邏の令嬢が複数名集まり談笑をしていた。


 (休憩室の前にいらっしゃった令嬢もここにいる、ということは捕虜が脱獄した事も既に伝わっている事でしょうね)


 アマリアは扇をすちゃっと取り出す。

 

 (まあ、固まって動いてくれる方がやりやすいですわね)

 

「本当に美しく咲き誇っていますわね」

「何度見ても圧巻ですわ」

「香りも素晴らしいです」


「えー、オホンオホン」


 わざとらしく咳払いで令嬢たちの注目を集め、アマリアは話し始める。


「ごきげんよう、皆さん。いい夜ですわね」


「……あら」


「……まあ……ウフフ」


 双方笑顔だが、中にいる人だけが分かる。令嬢たちとアマリアの間には火花が散っていた。


「オホホ……アマリア様、先ほどは騎士様に連れられて休憩室に行かれていたようでしたが…」


 休憩室前で見張りをしていた令嬢が話しかけてくる。そして警邏の令嬢たちは、じりじりとにじり寄って来ていた。

 アマリアも少しずつ違和感を抱かれない程度に後退り、会話を続ける。


「ええ、もうすっかり良くなりましたわ。友人たちとも合流できたので、そろそろ目的を果たそうかと思いますの」


「お元気になったようで何よりですわ。でも、ほどほどになさったほうが良いのでは?」


「ご心配に及びませんわ。休んだお陰で元気いっぱいですの」

 

 警邏の令嬢たちは目配せし、素早く2手に分かれる。退路を塞ぐ算段だろう。

 

「いえいえ、良く見たら顔色があまり良くありませんわよ?」

「私たちが休憩室までお連れいたしましょう……」


 アマリアを取り囲んだ令嬢の手が伸びる――――

 指先までピンと伸ばし、計算され尽くした美しい所作で近づいてくる手がアマリアに触れる寸前――


 カラン。


 扇が床に落ちる。

 アマリアは素早く屈み、それを拾い上げると、機敏かつ優雅な動きで手を逃れて立ち上がる。


「失礼、手が滑ってしまいましたわ」


 警邏の令嬢たちはこめかみをピクリとさせる。

 躱された――

 それも誰よりも優雅に。

 プライドが刺激され、やや強引に令嬢たちは詰め寄る。


「まあ、お疲れのようですわね。早く休憩室に……」

「!! ちょっと!正面から別の方がいらっしゃってますわ」

 

 警邏の令嬢たちが正面へと顔を向けると、アマリアの仲間令嬢2名が、ごく自然に接近してきていることに気付いた。

 

「まあ……見事な花ですわね……」

「ええ、もっと近付いてよく見たいわ」

「そうね参りましょう……」


「あらごきげんよう、お二人様」


 警邏の令嬢たちが2人に話しかける。


「わたくしたちもこちらのお花を眺めておりましたのよ……」


「そうでしたか…でも……赤い薔薇、そちらが独り占めしていいものではないのでは?」


「人聞きの悪い……貴方たちは一体なにをなさろうとしているんでしょうかね」


 ウフフ…………オホホ…………

 双方の令嬢たちは、絶妙な距離をとりながら、訳の分からない会話をしていた。多分周囲に悟られないよう会話の体をとっているだけで、話に意味はない。


 他の警邏の令嬢たちも周辺警戒を強める。

 すると、反対方向の柱に隠れながら近付いてくる1人の令嬢を視認する。


 警邏の令嬢の注意が逸れたタイミングで、アマリアはすっと人の流れに紛れ込んだ。


 (さて、迅速に薔薇に近づくには…)


 素早い動きで会場内を移動しながら模索していると……


「アマリア嬢!」


 突然声をかけられ、手を取られる。

 驚き、振り返ると……そこには数分前にピンチをチャンスに変えてくれた騎士ユーラがそこにいた。


「部屋に戻ったら居なくなっていたので心配しましたよ」


 ユーラは心底心配そうな表情を浮かべてアマリアを見下ろしていた。


「先程の…ユーラ様…」


「はい」


 ユーラはなぜか少し照れたように頬をかく。

 そして柔らかく微笑み、アマリアの頬に軽く手を添えた。

 

「頬に少し赤みが戻っていますね。顔色がさっきより良さそうだ。気分は良くなりましたか?」

 

「う」


 今更だが、少し良心が痛んだ。

 なんかこの人、善い人そうだし。


「ええ、友人とも合流できて話していたら大分回復いたしましたわ」


「それにしては部屋を立ち去るのが早すぎた気がしますが……」


「げ、元気になったら時間が勿体なく感じたので、すぐ戻ったのですわ。ほら、パーティはあっという間でしょう?折角の機会ですから楽しみたいなと思いましたの」


「それはそうですね」


 ユーラは頷いた。

 

 この人、私の頬、いつまで触るんだろう…

 手袋ごしだけど……なんか……

 照れる!


 居ても立っても居られなくなったアマリアは「あっ!」と明るく声をあげ、遠くを眺める。

 

「ちょっと遥か遠くに知り合いを発見いたしまして。私こう見えて視力は両目共に5.0ですのよ……ふふ……こちらで失礼いたしますね!ごめんあそばせ!」


「あっ……待ってくださ……」


 ユーラの手をすり抜け、急いで優雅に移動する。


 そのままの勢いでバルコニーの近くへ戻ると、そこには牽制しあう令嬢たち、優雅に追いかけっこする令嬢たち、捕まってしまい、休憩室へご案内もとい連行される令嬢たちなどが見えた。


 (皆様、死闘を繰り広げてらっしゃいますわね)

 

 現状、アマリアが完全に相手チームの意識対象外で単独行動が出来ている。この機会を逃したくない。


 周りを見回すと、すぐ近くに通称風船男爵と呼ばれる縦にも横にも大きい人物がいて、なんとバルコニーの方に向かってふわりふわりと移動していた。

 アマリアが姿勢を伸ばした状態でも、風船男爵の横を歩けばすっぽり隠れることができるだろう。


 アマリアは、風船男爵と共に(勝手に)バルコニー近くへと歩みを進めた。


 (あと少しですわ)


 しかし、風船男爵はバルコニー目前にして、呼び止められて立ち止まってしまう。

 突然の展開に困ったが……考えた結果。


 (これは……バルコニーに出てしまった方がいいかもしれませんわね)


 アマリアは慎重に、素早く、そして品性を保ちつつ、バルコニーへ続く扉から外へ滑り込んだ。


 ――――――――――――――――――――


 後ろ手でバルコニーのガラス扉を、物音を立てずに閉じた。

 バルコニーは夜の静寂に包まれている。吊り下げられた灯りが暖かくまわりを照らしていた。

 冷たい風が吹いているためドレス姿には少し肌寒いかもしれない。そのせいなのか、バルコニーは無人だった。


 大広間側に向き直り、ガラス扉から室内を眺めると、高い天井から垂れ下がっている幾層の柔らかいカーテンが壁を覆っていることが分かった。


 (なんで気付かなかったのかしら。このカーテンの中を通れば、簡単に対象に近付くことができるわ)


 ただし、カーテンの中にいる自分を警邏の令嬢に見つかっても終わりだし、一般人にもし見つかってしまったら令嬢人生が完全に終わってしまう。


 悩ましいが。

 逆に言えば、バレなければ良い。

 隠密は何度もやってきているしお手のものだ。

 

 アマリアは決心した。


 (潜るわ……カーテンに!そして見つからないように、ミッションを達成してみせる!)


 覚悟を決めたアマリアは、自身の両頬を叩き奮い立たせる。

 

 静かにドアを開け、大広間内のカーテンの中に素早く体を押し込んだ。ドアはあえて開けたままにして行く。

 バルコニーから室内へ風が入ったため、少しカーテンが膨らんだことを利用し、一気に花瓶との距離を詰める。


 緊張のあまり呼吸を忘れそうだ。

 

 そしてついに。

 

 花瓶の後ろまで辿り着くと、アマリアはカーテンを捲り上げて、スッと大広間へ入り込んだ。

 その姿はごく自然であたかも元からそこにいました感を出しつつ。

 しかも周りの人は【月下の密約会】の令嬢のみ。他の人は「なんかあそこ人多いな〜」と言った感じに近付くことができないようだ。

 

 令嬢たちはお互い、相手チームを牽制し合っている状況で、アマリアが花瓶の真後ろにいる事は気付かれていない。


 (今よ……!)


 アマリアは目についた赤い薔薇を抜き取ると、目にも留まらぬ早さでカーテンの中へ吸い込まれていった。残像すら残さず。


 (獲ったわ……!)


 またしてもカーテンの風の膨らみを利用しながら悠々と移動し、元いたバルコニーへと戻る。

 扉を静かに、確実に、閉めた瞬間、思わず笑みが溢れる。


「泥棒の私達の勝利よーー!!」


 ガッツポーズを決めながら思わずアマリアが叫ぶと……


「アマリア嬢……?」


 目を見開く、本日遭遇3度目の騎士、ユーラがそこにいた。

 冷たい風が吹いている。一瞬時が止まっていたようだ。

 

 (何故ここに?)


 ほんの少し前まではバルコニーには誰もいなかった。

 でも、ドアは開け放っていたから人の出入りが把握できていなかった。

 アマリアの背中に冷や汗が伝う。1秒前のガッツポーズも手に握りしめた赤い薔薇もしっかり見られてしまった。


「泥棒……とは?」


 アマリアは反射的に薔薇を背に隠す。

 汗が止まらない。呼吸もし辛く感じて来た。


「それは……」


 アマリアは目を逸らし、黙り込む。


 ってか。


「そもそも、貴方なんなんですの?なんでここにいらっしゃるんですか?」


 なんか今日やたらこの人に会う気がする。


「もしかして、私のこと尾けてきてます?」


 それでないなら人気のない寒空のバルコニーにいる理由は一体なんなのかと言う話だ。

 ユーラはバツの悪い顔をしたものの、すぐに表情を戻した。


「アマリア嬢、私の質問に答えてください。」


「うっ……」

 

「今夜のパーティ中、貴方の動きを見てきましたが……。貴方は、人が呼び止めることが出来ないほどの早歩きで大広間ホールを歩き回り、確かになにかを物色するような目で会場内を見回していました。」


「は?」

 

 思わず令嬢らしからぬ言葉が出てしまった。


「そして、休憩室の前での不審な動き。完全に通路の先を覗いていましたね。泥棒の様な目つきで」


 うん。それは否めない。

 

「体調が悪かったというのは嘘だったんですね」


 心配したのに……と、ユーラは床に向かって小声で漏らした。

 本当に心配してたんだこの人。

 薄々、善い人なのは分かっていたけれども。


「その後、先程大広間でお話しした際は、まるで騎士である私の前から一刻も早く逃げ出したいという様に見受けられました」


 ユーラは手を握りしめる。表情は暗く失望している。なんとなく切なそうに見えた。


「アマリア嬢、泥棒を働いたのですか?」


「いや……それは何というか比喩的なものでして……」


 アマリアは思わずドレスの胸元を掴んだ。冷や汗は止まらないし、動悸、息切れがする。


「可憐な容姿で人の心を弄び、内心ではほくそ笑んでいた事でしょう。無垢な顔で裏では犯罪を犯していたのですね」


 ほくそ笑んだ時もありましたけれども。

 完全に誤解されている。


「ちょ、ちょ、ちょっとお待ちになってください……」


「貴方のことを許せません。現行犯で捕まえます」


 (捕まる?!)


 物騒な言葉が続いたことによってアマリアは顔を真っ青にして慌てふためく。

 しどろもどろに「ちがっ……ちがっ」と言い訳をしながらユーラに歩み寄り、薔薇の花を差し出した。


「私は本当の泥棒というわけではなく……あ、でもこの薔薇は拝借しておりますが……とにかく、全て説明しますので……」


 (捕まえるのだけは勘弁してください!)


 ――――――――――――――――――――


「…………つまり、アマリア嬢と他十数名の令嬢方は……」


「ゲームをしていただけなんです……警邏チームと泥棒チームに分かれて」


 ユーラはがっくりと肩を落とす。意味がわからない。そもそもパーティの最中に何をしているんだ。


「普段はもっと淑やかに……嗜んでおりましたが、今夜は……少し熱が入ってしまったかもしれません……」


「何をしていたのかは一応理解しましたが……不測の事態に驚いています」


 ユーラは苦笑を浮かべ頭を抱える。

 

 もはや何度目の謝罪か分からない。萎縮しながらアマリアは小さく呟く。

 

「お騒がせしてしまって……申し訳ございませんでした……」


 心の底から反省していた。

 ふざけ過ぎてしまった自覚はあったからだ。

 パーティの開催者も、こんな事が起こっているとは微塵も知らなかっただろうし、アマリアたちの遊びのためにパーティを開いているわけではない。

 

 全てをユーラに話してからは、自分勝手な行動であったという事を改めて実感した。

 

 それに、【月下の密約会】のみんなにも申し訳ない。

 バレてしまった……一般人に……


 アマリアは顔を上げられず、しゅんと俯いていた。

 すぐ近くから深いため息が吐かれる。


「……とりあえず」


 アマリアは思わず身構え、言葉を待つ。

 

「貴方が不審者ではなくて良かったです」


 俯いたままの頭に、大きな手が軽く置かれる。

 

「そんなに落ち込まないでください……ごめんなさい、詰めすぎましたね……」


 急に声を和らげて話しかけられると、なんだか泣きそうになる。

 

 ……さっきまで、一つ説明するたびに「なんだそれは?!」って突っ込んでた人なのに、今はよしよしと頭を撫でてくれている。

 大きな手が髪をそっと撫でてくれる心地が良い。

 先ほどの迫力との温度差が激しい。

 

 色んな感情が押し寄せて来て、堰を切ったようにアマリアの瞳から涙がポロポロと溢れてしまう。

 バルコニーの石畳へ落ちていく雫を見たユーラは息を呑む。そして穏やかな口調で語りかける。


「……顔をあげてください」


 頭を撫でてくれていた手は、頬へと移動していた。アマリアはゆっくりと顔を上げる。


 ユーラは眉を下げ困った様に笑って、ハンカチを取り出し、慎重に涙を拭ってくれた。

 鼻水も拭いてくれた……

 

「ずびばぜん………」


 アマリアが解読不能な言葉を発すると、ユーラはふっと噴き出した。


「貴方は……子どもみたいな人ですね」


「遊んでばかりで……全然淑やかじゃなくてすみまぜん……」


 しゃくりをあげながら泣くアマリアの腕を、ユーラは安心させるように撫でた。


 夜風が吹いた。

 ユーラは何かを言いかけて口を閉じた。

 その視線はアマリアから逸れない。


 泣き止む様子のないアマリアを。

 ただ見つめていたユーラは、

 やがて、そっと、その背に腕を回し抱き寄せる。


「……とりあえず泣きやんでくださいね」


 背中を一定のリズムで叩きながら、ユーラは諭すように語りかける。


「……ぐす……」


「人に危害もありませんでしたし、これ以上咎めないですよ。それに私以外は気付いてないことでしょうから」


 ユーラは宥めるように背中をさすり続けるが、アマリアの涙は止まらない。

 彼の胸にしがみつき、遠慮なく制服に涙をこすりつける。


 (あったかいし、やさしい)


 少しずつ気持ちが落ち着いてきたのが分かった。 


「怒られたと思いました?怖かったですか?」


「……いいえ……」

 

「驚いてしまいました?予想してなかったことで混乱してますか?」


「……いえ……」


 怒られたと思ったし、怖かったし、驚いたし、混乱しているけど。

 泣き止んでほしいと宥めてくれるユーラに絆されて嘘で返した。

 伝えたらきっと彼は謝罪してくれるだろう。しかし、謝ってほしいわけじゃない。

 この暖かさと優しさが……居心地が良い。落ち着く。


 動揺していた気持ちが落ちついてきたところ、なんだか別の感情が湧いてきた。

 

 「……私」


 アマリアはしゃくりをあげ、消え入るような声で呟く。

 

「……勝ったと思ったのに……貴方に見つかって悔しい……」


 ユーラはきょとんと固まった。そして、笑い声を上げる。

 

「ははは……なんだそれ……」


 一通り笑い終わったあと、ユーラは目尻を落とし、穏やかに微笑んでいる。

 柔らかな表情を浮かべているが、どうしてそんな顔をしているのかアマリアには見当もつかなかった。


「……何故、ユーラ様は私の行動に気づいたのですか?」


 アマリアは体を少し離して、ユーラの顔をじっと見つめる。

 バルコニーに吊るされた灯りが揺れ、アマリアの潤んだ瞳の中をきらきらと照らしていた。

 ユーラは天を仰ぎ「うーん……」と少し間をおく。

 夜風に煽られたアマリアの髪を、ユーラの指先がそっと掴んだ。


「大広間で初めて君を見た時から、目が離せなかったんだ」


 ユーラは少し緊張した声色で言った。

 アマリアは目をぱちぱちと瞬きさせる。


 それは――

 

「最初から監視していたと言う事ですの?」

 

「違う」

 

 即答された。

 ユーラは大袈裟にうなだれ、ため息を吐いた。

 抱き寄せていてくれた腕が離れ、少し寂しさと肌寒さを感じた。


 (監視していない……?なら何故……)


 アマリアは、明らかに落ち込んでいるユーラを目の当たりにし、疑問を口に出すことはできなかった。


 あ。

 そういえば。


「私、こちらで失礼いたしますわね」


「ちょっと待った」


 ユーラは素早く肘を掴み、アマリアの動きを制する。

 捕まえていないとすぐにどこかへ行ってしまうことがようやく分かってきた模様。


「なんですの?」


「どこへ行くつもりですか?まだ話したいことがあるのですが……」


「私が赤い薔薇を獲ったので、ゲーム終了の旨を【月下の密約会】の皆さまに伝えに行かないと…!そして我ら泥棒の勝利宣言をいたしますわ!」

 

 アマリアは薔薇を掲げ、胸の前で拳を握った。

 さっきまでの涙が嘘みたいに、満面の笑みのアマリアから告げられたユーラは、額に手を当て項垂れた。

 

「……僕も行きます」


「やはり監視ですの?」


 ユーラは大きなため息を吐く。

 

「……それでいいですから、今夜は僕と共に行動してくださいね。貴方から目を離したくないんです」


「……分かりましたわ」


 素直に従っておこう。突然大泣きして困らせてしまったのでうしろめたい気持ちがある。


「皆さまに、言わないでくださいね?」

 

 ユーラは腕を差し出した。


「秘密は守りましょう。それではアマリア嬢、お手をどうぞ」


「あ……ありがとう……ございます……ユーラ様」


 差し出された腕におずおずと手を添える。

 服越しでも鍛えた筋肉を意識してしまう。

 数刻前に横抱きにされた時は何とも思わなかったのに、今はやけに緊張してしまうのは、醜態を晒したあとだからだろうか。アマリアは顔を手で扇いで熱を冷ます。

 ユーラは満足げに笑みを浮かべ、アマリアを見つめていた。

 

 夜会で、男性にエスコートされる。

 そんな事が私の身に起こるなんて。


 アマリアはなんだか胸がいっぱいの心地になった。


 そして2人は並んで大広間へと戻っていった。

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