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世界を救ったのは勇者ではなく補給だった  作者: 南蛇井


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第一話 無能の雑用係

王都レグナスは、熱狂していた。


「勇者様だ!」

「ザイン様万歳!」

「魔王軍第四軍団を退けたぞ!」


 大通りを埋め尽くす民衆が、紙吹雪を投げる。


 鐘が鳴る。


 子供たちが走り回る。


 沿道の酒場では昼間から酒樽が開けられ、兵士たちが肩を組んで歌っていた。


 戦争の時代。


 それでも人々は、“勝利”という言葉に飢えていた。


 だからこそ――。


「勇者ザイン様ーッ!」


 白銀の鎧を纏った青年へ、歓声が集中する。


 金髪。


 蒼い瞳。


 聖剣を腰に提げたその姿は、まさしく英雄そのものだった。


 勇者、

ザイン。


 その隣には、

白衣を纏った聖女

セラフィナ。


 紫紺のローブを羽織る天才魔導士

ルーク。


 巨大な剣を背負う古参剣士

ガレス。


 誰もが英雄だった。


 誰もが喝采を浴びていた。


 ただ一人を除いて。


「……右後脚、腫れてるな」


 歓声の届かない馬車列の後方で、

青年はしゃがみ込んでいた。


 黒髪。


 灰色の目。


 地味な外套。


 名前は

レイン・ヴァルト。


 勇者パーティ所属。


 役職は――雑用係。


「悪かったな。無理させた」


 レインは軍馬の脚を撫でる。


 馬は小さく鼻を鳴らした。


 その横では、積み荷から食料箱を降ろす兵士たちが雑に木箱を扱っている。


「おい、それ薬品箱だ。投げるな」


「あ? あぁ、悪い悪い」


 兵士は適当に返事をする。


 レインは木箱を開け、中身を確認した。


 割れた薬瓶、三本。


 足りない止血布。


 湿気た保存薬草。


 頭の中で、自動的に不足分を計算する。


(止血布は残り十二。薬草は乾燥処理し直せば二割は使えるか……)


 その間にも、周囲の歓声は止まらない。


「勇者様ー!」

「こっち向いてくれー!」


 レインはそちらを見ない。


 代わりに馬具の留め金を確認する。


 ひびが入っていた。


(これも交換だな)


 指先で金具をなぞる。


 もし次の遠征中に破損すれば、荷車が横転する。


 そうなれば食料が遅れる。


 食料が遅れれば、誰かが死ぬ。


 だから直す。


 ただそれだけだった。


 


 ふと。


 視線を上げる。


 パレード馬車の上。


 勇者ザインが、民衆へ笑顔を向けていた。


 完璧な笑顔だった。


 けれど。


(……寝てないな)


 レインには分かった。


 目の下の隈。


 焦点の揺れ。


 剣を握る右手の震え。


 三日。


 いや、四日はまともに寝ていない。


 


 聖女セラフィナもそうだ。


 群衆へ微笑みながら、袖口を強く握っている。


 白い指先。


 そこに僅かに赤が滲んでいた。


 血。


 吐血を隠した痕だ。


 


 ルークは笑ってすらいなかった。


 ぼんやり虚空を見つめながら、時折指先を震わせる。


 魔力安定剤の禁断症状。


 最近、服用量が増えている。


 


 ガレスだけは普段通りに見えた。


 だが違う。


 彼はさっきから、一度も背後を壁に預けていない。


 人混みでも、必ず逃走経路を確認している。


 戦場帰りの兵士特有の癖。


 抜けなくなった警戒心。


 


 誰も気づかない。


 英雄達は限界だった。


 民衆は喝采する。


 王国は勝利を喧伝する。


 勇者は笑う。


 だから誰も、

壊れかけていることに気づけない。


 


「レイン」


 声。


 振り向くと、セラフィナが立っていた。


「……顔色悪いですよ」


「そっちこそ」


 小さく返す。


 セラフィナは苦笑した。


「また寝てないんですか」


「仕事が多い」


「あなた毎回それ言いますよね」


「実際多いからな」


 そう言うと、

セラフィナは少し黙った。


 その目が、

積み荷の山を見る。


 食料。

薬品。

結界杭。

予備武器。

修理道具。


 全部、

レインが管理していた。


 


「……ちゃんと休んでくださいね」


「お互い様だ」


 セラフィナは何か言いかけた。


 だが。


「セラフィナ様ー!」


 呼ばれ、すぐに笑顔へ戻る。


「はい、今行きます」


 聖女の顔。


 完璧な微笑み。


 そして人波へ消えていく。


 


 レインはその背を見送った。


 少しだけ。


 本当に少しだけ。


 疲れたように目を伏せた。


 


     ◇


 


 夜。


 王都中央区。


 勇者パーティ専用酒場《白銀亭》。


 貸切。


 宴会。


 兵士たちは騒ぎ、酒が飛び交う。


「ザイン! 飲め飲め!」

「今回の戦果は伝説級だぞ!」


 笑い声。


 怒鳴り声。


 楽器の音。


 


 その喧騒の端で、

レインは黙々と荷帳を書いていた。


 遠征消費記録。


 不足物資。


 補給優先順位。


 次回必要数。


 誰もやらないから、

自分がやる。


 いつものことだった。


 


「おい、レイン」


 声。


 顔を上げる。


 ザインだった。


 酔っている。


 いや、

酔おうとしている顔だった。


 


「……お前さ」


 ザインは椅子へ座り、

しばらく黙った。


 そして。


「もう、いいんじゃないか」


 言った。


 


 レインは荷帳を閉じる。


「何がだ?」


「パーティ」


 静かだった。


 酒場の喧騒が遠い。


 


「最近の依頼も簡単だったしさ。雑用係まで抱える余裕、もう無いんだよ」


 ルークが視線を逸らす。


 ガレスは黙る。


 セラフィナだけが顔を上げた。


 


「ザイン、それは――」


「悪いけどさ」


 勇者は続けた。


「お前、戦えないだろ」


 


 沈黙。


 


「荷物持ちくらい、兵士でもできる」


 


 誰も止めない。


 


 レインは数秒、

黙っていた。


 


 それから。


「……そうか」


 小さく答えた。


 


 怒りも。


 悲しみも。


 特になかった。


 


 ただ。


(終わったな)


 そう思った。


 


 レインは立ち上がる。


 壁際に置いていた自分の荷物を取る。


 小さな鞄だけ。


 


「待っ――」


 セラフィナが立ち上がる。


 だが、

レインは首を振った。


「いい」


 


 そしてテーブルの上へ、

一冊の分厚い帳簿を置く。


 


「補給記録だ。薬品と保存食の残数も書いてある」


 


 さらに。


 


「結界杭の交換時期は赤印。

ルークの薬は飲み過ぎると魔力酔い起こすから、一日三錠まで」


 


 ルークが顔を上げる。


 


「馬は第五厩舎の黒馬だけ脚を痛めてる。長距離は使うな」


 


 ガレスの眉が動く。


 


「ザイン」


 


 最後に勇者を見る。


 


「最近、眠れてないだろ」


 


 ザインの表情が止まった。


 


「少し休め」


 


 それだけ言って。


 


 レインは酒場を出た。


 


 扉が閉まる。


 


 誰も、

しばらく動かなかった。


 


 そして。


 


「……なんだよ、それ」


 


 ザインが呟く。


 


 だがその声は、

少しだけ震えていた。

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