引かない男 ~告白
誠はビールのグラスを持ち上げた。
向かいの男はいつも通り笑っている。周りの会話にも自然に混ざり、適度に相槌も入れ、冗談もはさむ。
だが。
その視線だけが、さっきから頻繁にテーブルの端のスマホに落ちている。伏せられたままの画面。
誠はそれを見逃さない。
小さく笑う。
・・・なるほどな。
そして何でもない顔で言った。
「好きだぞ」
空気が止まる。
大樹の目が変わる。
あ、と誠は思う。さっきまで笑っていた男だ。誰とでも距離が近い。東京育ちの余裕と軽さがよく似合う男。だが、今は違う。口角は上がっているのに、目はどこまでも冷たい。
奪われるかもしれない、と想像した目。しかも自覚している。
誠は内心で、くくっと笑う。
本気か。
誠は焼き鳥を摘まみ上げると、一口で食らう。
普段の大樹なら、軽口の一つでも入れるだろうに、一言も発しない。笑顔のまま。
わざと軽く続ける。
「まあ、俺のはLoveじゃなくてLikeな」
指でL字を作る。
「いい人だろ。あの人」
更に一口。
「あの人、頭かっちかちだけどさ。ちゃんと現場見てるし」
本音だ。
「だけど。東京の三十四と、ここの三十四はちょっと違うぞ」
軽く言った。わざと軽く。
だが目は逸らさない。大樹の反応を待つ。
大樹の指先が、ほんの僅かに止まる。
一瞬だけ。
ほんの一瞬。
それから。ふ、と大樹は笑った。
いつもの顔。
「急にローカルルール出してきますね」
冗談めかす声。肩をすくめる。
「三十四は三十四でしょ。場所で年取るスピード変わるんですか」
崩れない。余裕すらある。
誠は目を細める。
受け流した。真正面からはふれない。だが否定もしない。
だから、もう一歩踏み込む。
「変わるさ。こっちじゃ、その数字にそろそろが付く」
ざわめきが揺れる。
「本人がどう思ってるかは別だ。周りがそう見る」
一呼吸。
「時間は、待ってくれねぇな。こっちは親も近いし」
枝豆を摘まむ。
「同級生に子供が1人2人いる奴等がごろごろいる。孫の顔ってワード、普通に飛んでくる」
「それはどこでも飛んできますよ」
軽い返し。
大樹はグラスを持ち上げる。
「急かしますね」
穏やかな声。
「まだ何も始まってないのに」
否定はしない。だが、急がない。
誠は目を細める。
順番が違う。
自分なら・・・決めるなら早い方がいいと思っている。迷っている間に過ぎる年齢を、現実として知っている。
だが目の前の男は違う。
まず近づく。距離を測る。手応えを確かめる。話はその後だと言わんばかりの目。
「おまえは」
誠が静かに言う。
「先の話より、今だろ」
大樹は笑う。否定しない。
「順番は、人それぞれですよ」
柔らかい声。だが視線は動かない。
誠は小さく息を吐く。
「まあ、」
グラスをまわす。
「俺のはLikeな」
もう一度。
牽制。
逃げ道。
大樹は小さく頷く。
「でしょうね」
にこり、と笑う。完璧だ。だが目の奥は、熱を落とさない。未来の設計図より先に、目の前の距離を測っている。
誠はグラスを置く。
ふと、頭の奥に引っかかる記憶が浮かんだ。
数年前。
会社に出入りしていた取引先の男。
営業に来るたび、なぜか彩とよく話していた。打ち合わせの後、玄関前で並んで立っているのを何度か見た。
その時の彩は、珍しくよく笑っていた。
だから。
誠は、てっきりそういう仲なんだと思っていた。
しばらくして。
その男が、別の女と結婚したという話が回ってきた。
その取引先で、うちの会社の誰かが聞いたらしい。
「彼女って別の人じゃなかったですか?」
勇者だ。酒の一杯でもおごろうかと思った。
男は笑って「ああ、あれ?」「違う違う」「向こうが勝手にそう思ってただけ」
その話を聞いた日の夕方。
誠は会社の裏口で、彩を見かけた。
雪が降っていた。
街灯の下で、コートのポケットに手を入れて、一人で立っていた。
「大丈夫ですか」
そう声をかけると。
彩は、すぐに笑った。
「大丈夫です」
いつもの、整った笑顔だった。
思い出し、誠は小さく息を吐く。
あのときの雪。
あのときの顔。
あのときの「大丈夫です」。
誠は視線を上げる。
向かいの男を見る。
笑っている。
いつもの余裕の顔。
だが、さっき一瞬だけ見えた目。
あれは。
奪われるかもしれない、と想像した男の目だ。
誠は小さく息を吐く。
ああ、これは・・・少しだけ気の毒になる。
誠はグラスを持ち上げる。
彩さん。
あんた・・・とんでもないのに目をつけられてるみたいですよ。
そして思う。
この男は、待てる。距離を測る。逃げ道を残す。
笑ったまま近づく。
そして、逃げ場がなくなるところまで、ちゃんと待つ。
●●
店を出ると、夜風がぬるい。
誠が煙草に火をつける。
「さっきの話だけどな」
煙を吐く。少しくらいなら話しておいた方がいいだろうという判断だ。これでやっぱり、と逃げ出してくれるなら、そこまでの話だっただけだ。
「彩さん」
大樹は黙って歩いている。
「昔、付き合ってた男がいたらしい」
足は止まらない。
駅へ向かう歩幅も変わらない。
「取引先の会社のやつ」
煙を吐く。
「彩さんは本気だったっぽい」
少し間を置く。
「結婚も考えてたんじゃないかと思う」
車が一台、横を通り過ぎる。
誠は肩をすくめる。
「でもな」
少し笑う。
「あっちは違った」
「付き合ってたつもりはないってさ。向こうが勝手にそう思ってただけ、ってな」
信号が赤になる。
二人は止まる。
少し沈黙が落ちる。
誠がちらりと横を見る。
●●
大樹は笑っている。
いつもの顔だ。
誠に釘を刺されたことも、わかっている。
『東京の三十四と、ここの三十四は違う』
その言葉の意味。
結婚。
子供。
逃げる余地のない言葉。
わかってる。
軽くふれていい年齢じゃない。
試すみたいに近づいていい時間でもない。
一瞬で熱くなって、冷めれば終わり。
そんな扱いができる相手じゃないくらい、大樹にもわかっている。
だから、笑った。
空気を壊さない角度で。
ここで感情を出すほど、浅くはない。
けれど心の奥では、もう答えは出ていた。
引くという選択肢は浮かばない。浮かんだとしても、採用はなしだ。
東京に戻る可能性?
ある。
ゼロじゃない、なんて甘い話じゃない。確実に戻る。それが既定路線だ。
だが。
距離があるから諦める?
時間が足りないから手を出さない?
そんな理屈で止まるなら、最初から目は逸らしている。
逃げるつもりで好きになるほど、器用じゃない。
誠は試しているのだろう。
覚悟があるかどうか。
なら。
覚悟ごと、行く。
自然、口角が上がる。
選ぶ側じゃない。
選ばれる側になる覚悟も、もうできている。
全部、こちら側に引き寄せればいい。
選ばれるかどうかを待つ気はない。
選ばせる。
そう決めた。
欲も隠していない。
未来がどうなるかじゃない。
今、手放さない。
それだけだ。
二人は夜道を歩き出す。
しばらくして、大樹が口を開く。
「なるほど」
誠は横を見る。
「それだけか?」
大樹は軽く笑う。
「別に」
ポケットに手を入れる。
「珍しくもない話でしょ」
少しだけ空を見上げる。
「男がクズだったってだけで」
それから、静かに言う。
「むしろ・・・手を放してくれてありがとうございます、って感じですけど」
大樹は前を向いたまま続ける。
「彩さんは、別に間違っていない」
夜風が少し強く吹く。
大樹は前を向いたまま言う。
「いいじゃないですか」
軽い声。
「そういう人」
誠は煙草をくわえる。
火をつける。
煙を吐く。煙の匂いが流れてくる。
大樹は笑った。
いつも通りの顔で。・・・引くつもりはない。
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