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告白

引かない男 ~告白

作者: 時司 龍
掲載日:2026/03/13

 (せい)はビールのグラスを持ち上げた。

 向かいの男はいつも通り笑っている。周りの会話にも自然に混ざり、適度に相槌も入れ、冗談もはさむ。

 だが。

 その視線だけが、さっきから頻繁にテーブルの端のスマホに落ちている。伏せられたままの画面。

 誠はそれを見逃さない。

 小さく笑う。

 ・・・なるほどな。

 そして何でもない顔で言った。


「好きだぞ」


 空気が止まる。

 大樹の目が変わる。

 あ、と誠は思う。さっきまで笑っていた男だ。誰とでも距離が近い。東京育ちの余裕と軽さがよく似合う男。だが、今は違う。口角は上がっているのに、目はどこまでも冷たい。

 奪われるかもしれない、と想像した目。しかも自覚している。


 誠は内心で、くくっと笑う。

 本気か。


 誠は焼き鳥を摘まみ上げると、一口で食らう。

 普段の大樹なら、軽口の一つでも入れるだろうに、一言も発しない。笑顔のまま。

 わざと軽く続ける。


「まあ、俺のはLoveじゃなくてLikeな」

 指でL字を作る。

「いい人だろ。あの人」

 更に一口。

「あの人、頭かっちかちだけどさ。ちゃんと現場見てるし」

 本音だ。

「だけど。東京の三十四と、ここの三十四はちょっと違うぞ」

 軽く言った。わざと軽く。


 だが目は逸らさない。大樹(だいじゅ)の反応を待つ。

 大樹の指先が、ほんの僅かに止まる。

 一瞬だけ。

 ほんの一瞬。

 それから。ふ、と大樹は笑った。

 いつもの顔。

「急にローカルルール出してきますね」

 冗談めかす声。肩をすくめる。

「三十四は三十四でしょ。場所で年取るスピード変わるんですか」


 崩れない。余裕すらある。

 誠は目を細める。

 受け流した。真正面からはふれない。だが否定もしない。

 だから、もう一歩踏み込む。


「変わるさ。こっちじゃ、その数字にそろそろが付く」

 ざわめきが揺れる。

「本人がどう思ってるかは別だ。周りがそう見る」

 一呼吸。

「時間は、待ってくれねぇな。こっちは親も近いし」


 枝豆を摘まむ。


「同級生に子供が1人2人いる奴等がごろごろいる。孫の顔ってワード、普通に飛んでくる」

「それはどこでも飛んできますよ」

 軽い返し。

 大樹はグラスを持ち上げる。

「急かしますね」

 穏やかな声。

「まだ何も始まってないのに」

 否定はしない。だが、急がない。

 誠は目を細める。


 順番が違う。

 自分なら・・・決めるなら早い方がいいと思っている。迷っている間に過ぎる年齢を、現実として知っている。


 だが目の前の男は違う。


 まず近づく。距離を測る。手応えを確かめる。話はその後だと言わんばかりの目。

「おまえは」

 誠が静かに言う。

「先の話より、今だろ」

 大樹は笑う。否定しない。

「順番は、人それぞれですよ」


 柔らかい声。だが視線は動かない。

 誠は小さく息を吐く。

「まあ、」

 グラスをまわす。

「俺のはLikeな」

 もう一度。

 牽制。

 逃げ道。


 大樹は小さく頷く。

「でしょうね」

 にこり、と笑う。完璧だ。だが目の奥は、熱を落とさない。未来の設計図より先に、目の前の距離を測っている。

 誠はグラスを置く。


 ふと、頭の奥に引っかかる記憶が浮かんだ。

 数年前。

 会社に出入りしていた取引先の男。

 営業に来るたび、なぜか彩とよく話していた。打ち合わせの後、玄関前で並んで立っているのを何度か見た。

 その時の彩は、珍しくよく笑っていた。


 だから。


 誠は、てっきりそういう仲なんだと思っていた。

 しばらくして。

 その男が、別の女と結婚したという話が回ってきた。

 

 その取引先で、うちの会社の誰かが聞いたらしい。

「彼女って別の人じゃなかったですか?」

 勇者だ。酒の一杯でもおごろうかと思った。

 

 男は笑って「ああ、あれ?」「違う違う」「向こうが勝手にそう思ってただけ」


 その話を聞いた日の夕方。

 誠は会社の裏口で、彩を見かけた。

 雪が降っていた。

 街灯の下で、コートのポケットに手を入れて、一人で立っていた。

「大丈夫ですか」

 そう声をかけると。

 彩は、すぐに笑った。

「大丈夫です」

 いつもの、整った笑顔だった。


 思い出し、誠は小さく息を吐く。


 あのときの雪。

 あのときの顔。

 あのときの「大丈夫です」。


 誠は視線を上げる。

 向かいの男を見る。

 笑っている。

 いつもの余裕の顔。


 だが、さっき一瞬だけ見えた目。

 あれは。

 奪われるかもしれない、と想像した男の目だ。

 誠は小さく息を吐く。

 ああ、これは・・・少しだけ気の毒になる。

 誠はグラスを持ち上げる。

 彩さん。

 あんた・・・とんでもないのに目をつけられてるみたいですよ。

 そして思う。

 この男は、待てる。距離を測る。逃げ道を残す。

 笑ったまま近づく。

 そして、逃げ場がなくなるところまで、ちゃんと待つ。



 ●●



 店を出ると、夜風がぬるい。

 誠が煙草に火をつける。

「さっきの話だけどな」

 煙を吐く。少しくらいなら話しておいた方がいいだろうという判断だ。これでやっぱり、と逃げ出してくれるなら、そこまでの話だっただけだ。

「彩さん」

 大樹は黙って歩いている。

「昔、付き合ってた男がいたらしい」

 足は止まらない。

 駅へ向かう歩幅も変わらない。

「取引先の会社のやつ」

 煙を吐く。

「彩さんは本気だったっぽい」

 少し間を置く。

「結婚も考えてたんじゃないかと思う」

 車が一台、横を通り過ぎる。

 誠は肩をすくめる。

「でもな」

 少し笑う。

「あっちは違った」

「付き合ってたつもりはないってさ。向こうが勝手にそう思ってただけ、ってな」

 信号が赤になる。

 二人は止まる。

 少し沈黙が落ちる。

 誠がちらりと横を見る。



 ●●



 大樹は笑っている。

 いつもの顔だ。

 誠に釘を刺されたことも、わかっている。

『東京の三十四と、ここの三十四は違う』

 その言葉の意味。

 結婚。

 子供。


 逃げる余地のない言葉。


 わかってる。


 軽くふれていい年齢じゃない。


 試すみたいに近づいていい時間でもない。

 一瞬で熱くなって、冷めれば終わり。

 そんな扱いができる相手じゃないくらい、大樹にもわかっている。


 だから、笑った。

 空気を壊さない角度で。

 ここで感情を出すほど、浅くはない。


 けれど心の奥では、もう答えは出ていた。


 引くという選択肢は浮かばない。浮かんだとしても、採用はなしだ。

 東京に戻る可能性?

 ある。

 ゼロじゃない、なんて甘い話じゃない。確実に戻る。それが既定路線だ。


 だが。


 距離があるから諦める?

 時間が足りないから手を出さない?

 そんな理屈で止まるなら、最初から目は逸らしている。

 逃げるつもりで好きになるほど、器用じゃない。


 誠は試しているのだろう。

 覚悟があるかどうか。


 なら。

 覚悟ごと、行く。


 自然、口角が上がる。


 選ぶ側じゃない。

 選ばれる側になる覚悟も、もうできている。

 全部、こちら側に引き寄せればいい。

 選ばれるかどうかを待つ気はない。

 選ばせる。

 そう決めた。

 欲も隠していない。

 未来がどうなるかじゃない。

 今、手放さない。

 それだけだ。

 二人は夜道を歩き出す。


 しばらくして、大樹が口を開く。

「なるほど」

 誠は横を見る。

「それだけか?」

 大樹は軽く笑う。

「別に」

 ポケットに手を入れる。

「珍しくもない話でしょ」

 少しだけ空を見上げる。

「男がクズだったってだけで」

 それから、静かに言う。

「むしろ・・・手を放してくれてありがとうございます、って感じですけど」

 大樹は前を向いたまま続ける。

「彩さんは、別に間違っていない」

 夜風が少し強く吹く。

 大樹は前を向いたまま言う。

「いいじゃないですか」

 軽い声。

「そういう人」

 誠は煙草をくわえる。

 火をつける。

 煙を吐く。煙の匂いが流れてくる。

 大樹は笑った。

 いつも通りの顔で。・・・引くつもりはない。


読んでくださってありがとうございます(*_ _)

ポイントを入れてもらえると、嬉しいです。

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