第二十四話(★) レンのシャドー②
部活後のロッカールーム。残っているのは着替え中のライと、居座っているレンだけだった。
ライは、背後を振り返る。レンはベンチに沈み、着替えもせずにムスッと黙っている。ライはTシャツを脱いだところで、まだ上半身は裸だった。
「……おい。いつまで座ってんだ。早く着替えろ」
ロッカーから新しいシャツを取り出した瞬間、レンが不意に声をかけてきた。軽口じゃない。探るみたいな声音。
「……さっきの、本当に効いてないっすか?」
「何が」
「左ボディ。先輩のストレートに返した奴ですよ」
レンは人差し指と中指の付け根をわざとらしく眺める。
さっきまでグローブの中に入っていた拳。うっすら赤くなった骨の節が、じんじんと主張している。
「けっこう、いいとこ入ったと思うんすけどね。ちょっと顔ゆがみましたよ」
「……覚えてない」
ライがそっけなく答えると、レンはふっと笑った。
そのまま立ち上がり、半歩だけ距離を詰める。
「じゃ、確認していいっすか」
問い終わる前に、レンの手が、ライの腹の前にすっと差し出された。殴る距離じゃない。触れる距離。レンは指先でライの腹筋を軽くなぞる。ひやりとした指先に、腹筋が反射で硬くなる。
「このへんっすよね。さっきの。
ほんとに、効いてないんすか?」
「やめろ。触んな」
ライが手を払おうとするが、そのたびにレンは半歩だけずらしてかわす。
まるでスパーの続きみたいに、距離を保ったままじゃれつく。
「いいじゃないっすか。
俺、ずっとライ先輩のこと殴れるようになりたいって思って生きてるんで」
「物騒な生き方すんな」
「本気っすよ?」
レンは、ライの視線をまっすぐ受け止める。
さっきまでリングで見せていた、ケモノの目のまま。
「シャドーの相手、ずっとライ先輩ですから。
毎日、先輩のことボコボコにしてから寝てるんで」
「……夢見悪そうだな、お前の脳内」
「脳内だけで終わらせる気、ないんで」
ぽつり、と落とされた言葉に、ライの手がぴたりと止まる。
「絶対いつか、リングの上で倒しますから。ちゃんと。
今日の、ボディみたいに——効いてないフリとかさせないくらい」
レンは一歩近づいて、今度ははっきりとライの腹に拳を押し当てた。さっきより少し強く。けれど、痛みとは呼べないギリギリの力。
「……だから、覚えといてくださいよ。
あいつの拳、ちゃんと重かったなって」
ライは小さく息を吐くと、ようやくレンの手首をつかんだ。
つかんだまま、軽くひねってレンの手を自分の腹から引き剥がす。ライは低く言う。
「そういう顔、ユキには、見せんな」
「どういう顔っすか?」
「人殴るためにギラついてるときのお前の顔だよ」
レンは一瞬、ぽかんとした後、ふっと笑った。
「……ライ先輩には、見せていいんすか」
「今さら。もう見えてんだよ。出すなら俺の前だけにしろ」
ライはレンの手を離し、シャツを着て、制服を羽織る。
「お前のそういうとこ、俺だけで充分だって」
その言い方が、あまりにも当たり前で。
「俺以外に見せんな」と宣言されているみたいで。
レンの胸の奥で、何かがじわっと熱くなる。
「……ふーん。じゃあ、責任とってくださいよ。
俺がユキ先輩に見せない顔、ライ先輩に預けていいってことっすよね」
レンは笑いながらも、一歩も引かない。言葉だけは、しっかりとライの足元を踏んでくる。
「……いちいち重いよ。勝手に決めんな」
「もう決めました」
レンがさらっと言い切ったところで——
「二人とも遅いよー。一緒に帰ろ」
のんきな声が、更衣室の入り口から飛んできた。ユキだ。
その瞬間、レンの表情がスイッチを切り替えたみたいに柔らかくなる。
「あ、ユキ先輩。今行きます!」
レンは大慌てで着替えると、弾む足取りでユキの方へ駆け寄っていく。
ライはその背中を、少しだけ長く目で追ってから、制服の襟元に手をやり、ネクタイをぎゅっと締める。さっきまで更衣室にあった熱を、結び目の奥に押し込める。
(……俺が、受け止めるしかねぇんだろ。結局)
心の中でだけ、そうつぶやいて。あいつの危うさを、ユキに触れさせたくない。ライは静かにロッカーを閉めた。




