第二十一話 気持ちの距離①
新緑が眩しい午後、空気が少しだけ重くなり始める時間帯。校門の外、いつものランニングコース。アスファルトの照り返しと、部員たちの足音だけが続いていた。
「ラスト一周、各自でー」
アレセンの低い声が飛び、みんなそれぞれのペースで散っていく。
――ほどなくして。
最初に戻ってきたのは三年生のアレセンだった。足取りのリズムは崩れていない。そのすぐ後ろ、少し間を空けて二年生のライが入ってくる。呼吸は整っている。最後まで、余力を残した走りだった。
――そして。
靴底がアスファルトを蹴る音が、ひときわ鋭く近づいてくる。レンだ。顔は、真剣というより――必死だった。
「くっ……そ……!」
声にならない悪態を吐きながら、ライの横を抜くつもりで突っ込んでくる。ライは一度だけ横目でそれを見て、呆れたように息を吐いた。
「何してんの」
レンは返事をしない。返事ができない。校門をくぐった瞬間、膝に手をついて、肩を上下させる。
「ッ……は、……っ、は……!」
さっきまで乱れていなかった呼吸が、ここで一気に崩れた。ライはタオルを首にかけながら、半眼でレンを見る。
「ランニングでスパートかけるなよ」
「……抜ける、と思ったんで……!」
言い返す声が、悔しさで裏返っている。ライの背中が、抜けそうで抜けなかったのが悔しい。
「タイム、悪くないですよ」
ストップウォッチを持った陸さんが、数字をちらりと確認して微笑む。
顧問はその横で「お、雨宮は一年なのにスタミナあるなぁ」なんてお気楽なことを言っている。
レンの息が落ち着いたころ。
「……あれ、青戸は?」
顧問が首をかしげた。
ライが、さっとコースの先を見る。遠く、曲がり角の向こうに、ちいさく揺れる影が一つ。
(だいぶ、遅れてるな)
白いTシャツの背中。肩で息をしているのが、この距離からでも分かる。
「ユキ君、マイペースでいいですよー」
陸さんが、声を張り上げる。責める響きの一切ない声。
「最後まで走りきれたら、それで十分ですからねー」
「陸さん、俺――」
ライは一歩前へ出ていた。準備運動もそこそこに、またコースへ戻ろうとする。
「ちょっとユキに合わせて走ってきます」
その肩に、横からひょいと影が並んだ。ライと陸さんの間に、するりと滑り込むように。
「いや、ぜんぜん俺が行きますんで」
さっきまで膝に手をついていたのに、もう背筋が伸びている。呼吸はまだ薄く乱れているのに、表情だけは、平気ですけど? みたいに作っている。ライが眉を寄せる。
「……お前、さっきまで死にそうだっただろ」
「いえ、余裕っす」
即答。言い切った直後、レンは鼻から短く吸って、口からゆっくり吐く。一回、二回。慌てて整えているのが、バレバレだ。
陸さんはストップウォッチを持ったまま、苦笑した。
「仕方ないですねえ。レン君の負けず嫌いに免じて、お願いしましょうか」
わざと軽く言う。許すというより、扱い方が分かってる声。レンは一瞬だけ目を丸くして――すぐに平然と頷いた。
「はい。任せてください」
その返事の早さが、すでに勝負。
「ライ先輩は休んでおいてください。生徒会もあるでしょ」
気遣いに見せかけて、先手を取る言い方。ライは口を開きかけて、閉じた。言い返したら負け、みたいな空気が悔しい。
「ユキ先輩、俺が連れてきます」
その言い方が、“義務”じゃなくて“楽しみ”みたいだった。走り出す前に、ちらっとライを見て、「見ててくださいよ」みたいな目をする。
ライは、タオルをぎゅっと握った。
(……先に走り出したほうが勝ち、みたいな顔しやがって)
アレセンは、その様子を横目で見ながら、ストレッチを続けていた。
「……俺には、ああいう感覚、分かんないな」
ぽつ、と独り言みたいにつぶやく。
ライが顔を上げる。アレセンは、遠くへ向かっていくレンの背中と、さらに先にいるユキの小さな影を見ながら、続けた。
「ランニングで、わざわざ周回遅れに合わせて走る、って感覚」
「……」
「置いてくるほうが楽だし、普通はそうするもんだろ」
考え込むように続ける。
「陸さんは『マイペースでいい』って言うし、お前は追いついてやろうとするし、レンは一緒に走りますって顔してるし」
少しだけ呆れたようでいて、どこか楽しそうでもある声。
「……まぁ、そういう部なんだろ、ここは」
それだけ言って、アレセンはまた黙々とふくらはぎを伸ばし始めた。




