表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/25

第十七話 はじめてはライと②

「……ユキ先輩の、初めて」


 その言葉が耳に引っかかったまま、レンは縄跳びをやっているふりをしていた。

 視線は、ぜんぜん自分の足元を見ていない。

 リングのロープの向こう。今日はそこに、ユキが上がる。


(初めては、ライとがいいです)


 さっきのユキの声が、何度も頭の中でリピートされる。


(……なんすか、それ)


 マススパー。軽く当てるだけ、とは聞いている。それでも、初めてって言葉に、妙なもやもやが残った。自分の腹を殴らせたのも初めてだったはずなのに。あれはカウントされないんだろうか、とか、くだらないことを考えてしまう。

 縄跳びを回す手を止める。ライとユキが、リングに上がるところだった。


◇◇◇


 ロープをくぐるユキの足取りは、ぎこちない。リングの感触は初めてだ。キャンバスの微妙な沈み込み。サンドバッグの前とも、体育館の床とも違う。


(高い……)


 実際の高さはたいしたことないのに、世界が一段上になった気がする。下から見上げていたリングが、今は自分の足の下にある。

 ライがヘッドギアを直しながら言う。


「ほんとにやるの?」

「だ、大丈夫………」


 反射でいつもの言葉が出る。ライは、ほんの少しだけ眉を寄せた。


「無理すんなって言ってるだろ。怖いって言っていいんだよ」

「……怖い」


 言った瞬間、胸の奥がすこしだけ軽くなる。ライは、うん、と短く頷いた。


「よし。それでいい」


 対角のコーナーへ歩き出す前に、ユキの肩をぽん、と叩く。


「練習通りでいいからな」


 リングサイドには、陸さんが立っている。すこし離れて、パイプ椅子に座ってこちらを見つめる顧問。アレセンはサンドバッグの側で腕を組み、目だけで二人を追っていた。


「じゃ、軽くいきましょうか」


 陸さんが穏やかに言う。


「マスですからね。怖くなったらすぐ止めますよー」


 顧問は「頼むぞー」とだけ付け足し、手を叩いた。


「始め!」


 向かい合う。ライは、いつもより少しだけ猫背(ねこぜ)気味に構えを低くした。目線を合わせるためでもあり、威圧感(いあつかん)を減らすためでもある。


(近い)


 ユキは、ガードを上げるだけで精一杯だった。さっきまでサンドバッグを叩いていた拳が、今は変に重く感じる。

 ライが、ゆっくりと前に出た。


「ほら。練習通り」


 左足を少し前に出して、ジャブを見せてくる。本気じゃない。わざと大きめのモーション。「こうだよ」と教えるときの、それだ。

 ユキは、ごくりと唾を飲み込んだ。

 足から。前に一歩。腰を少しだけ回して、肩を出す。思い出しながら、ゆっくりとジャブを出した。


 ――ぺしん。


 ライのグローブに、軽く触れる程度の音。


「うん。いいよ」


 ライはすぐに笑った。


「当ててもいいから。ちゃんと前出てきたやつは、エラい」


 その顔は笑っているのに、どこか辛そうだった。


(ずっと俺が守ってきたくせに)


 心の中で、自分に向かって吐き捨てる。


(今日、自分から殴りに来るんだもんな)


 子どもの頃。からかわれたユキの前に立って、代わりに怒ってきたのはいつもライだった。ボールが飛んできたら、真っ先に手を出すのもライだった。

 「痛くない」って笑ってみせる、その裏で、何度も拳を握りしめてきた。

 その守られる側が、今日、自分と向き合って拳を上げている。


(……いいのか、これで)


 守りたい。でも、進みたいと言ったのは、ユキ自身だ。ライは、ほんの一瞬だけ視線を落とし、それから顔を上げた。


「ユキ、怖かったら、怖いって言えよ。終わりにしたかったら、終わりたいって言え」

「……うん」

「あとは、当てていいから」


 もう一度、はっきりと。


「練習通りで、お前は当ててもいいよ」


 その言葉で、やっとユキは息を吸えた。ジャブ。もう一度。前に出る足が、さっきより少しだけスムーズになる。ライは、そのジャブをグローブで軽く受けながら、わざと自分の顔の横を空けるように動いた。


「どこでも。好きなとこ打ってみ」

「えっ」

「顔でもボディでも。俺がちゃんと合わせて受けるから」


 言っていることは簡単なのに、それを口にするライの顔は、苦い。


(本当は、当てさせたくないくせに)


 リングの外から、レンはそれをじっと見ていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ