第十話 ユキと縄跳び②
レンは、体育館の隅でバンテージを巻いていた。視線だけが、ユキを追っている。ユキが縄跳びを始める。1回、2回――3回目で、引っかかりそうになって、あわてて足を高く上げる。
「……へたくそ」
声には出さない。口の中だけで、小さく笑う。でも、目は笑っていない。観察している。最初の日からずっと、そうしてきたみたいに。
(息止めてる)
ユキは頑張るときほど、呼吸が下手になる。ミットのときもそうだった。今日も、肩に力が入って、首筋にうっすら血管が浮いている。
「そう。肩の力抜いて。息、ちゃんとして」
すぐそばで、ライが指示を飛ばす。縄の長さを直してやって、失敗しても笑って、数を数えてやって。
(……保護者)
レンは、ほんの少しだけ鼻で笑った。でも、視線はユキから外さない。引っかかりそうになっても、必死に続けようとする足。しんどくなってきたのに、口元だけで「大丈夫」って笑う癖。
(ああいうとこだよな)
臆病、って言ったとき、自分でもちょっと強く刺しすぎたと思った。でも、あれくらい言わないと、この人はたぶん一生リングの外にいる。ロープが終わると、息を切らしながらユキがライの方を見る。額に落ちた前髪を、ライが何気なく指でどかしてやる。
「じゃ、次。ジャブ。まず構えを確認しよ」
パンチングミットを持つのはライだ。ユキがぎこちなく構える。肘が開いている。手首が少し寝ている。足の幅が狭くて、すぐバランスを崩しそうだ。
(まじで、向いてねぇな)
そう思うのに、目が離せない。
「こう。顎、守って。肩、ちょっとだけ前に」
ライがユキの腕を触って、角度を直す。触れ方がやさしい。痛くしない触り方を、昔から身体で覚えている人の手つき。ユキはこくこく頷いて、恐る恐る、ミットに向かって拳を出した。
「……っ」
ほんの軽いジャブ。ミットが、ぺちん、と音を立てる。力はない。速度もない。でも、ユキの肩だけは、やたら一生懸命に動いている。
(こわがってんな)
殴るより、当てないようにする動きだ。当てていいと言われても、最後の瞬間にブレーキをかけてしまう人のジャブ。
ライが笑う。
「今のでも、立派なジャブだからな。ちゃんと前出てる」
「ほんとに?」
「ああ。お前が前に出ようとしてるの、俺が保証する」
その会話を聞きながら、レンは薄く笑う。
(前に、ね)
ユキが、もう一度ジャブを出す。さっきより、少しだけ踏み込みが深い。でも、やっぱり恐る恐る。
「ナイス。もう1回」
「……こう?」
「そう、いいよ。その調子」
ライの声。ユキの呼吸。レンは、目が離せない。
自分で煽っておいて、今はただ見ているだけなことに、少しだけ腹が立つ。でも、それ以上に――
(……かわいい)
恐る恐る拳を出すユキが、どうしようもなく愛おしくて、困る。自分の中に湧いた感情に驚いて、慌てて頭をふって打ち消す。
「レン、何やってんだ。お前もアップ」
部長のアレセンが声をかける。レンは片手を上げて、「すぐ行きます」とだけ返した。視線は、もう一度だけユキに戻る。恐る恐るのジャブは、さっきよりほんの少しだけ、迷いが薄くなっている。
(本気の顔、まだだな)
もう少し。あのリングの中に上がってきて、真正面から殴り合わないと見えない顔がある。レンはようやくストレッチを始める。
(ちゃんと上がってこいよ)
心の中だけで、そう呟きながら。




