05 解けゆく呪い
谷底は水も豊かで、活気のある集落だ。
住んでいるのは二百人ほどだと思われる。
ごく小さな集落であるが、きちんと文明が芽吹いていた。
(出鶴の街は便利だけど、息苦しかったわ。ここは落ち着くわね)
その後、アリィはユオと一緒に集落の人たちに軽く挨拶をした。
「しばらくここで過ごそう。出鶴に比べると、物足りない場所かもね」
「そんなことないわ。私はこの環境が好きよ」
「自然が好きなんだね」
「うん。技術の発展は悪くないけどね」
「確かにそうだ。上手い具合に共存しないとだね」
ユオはアリィが居心地悪く感じないかと心配していたが、それは杞憂だった。
現に彼女はこの場所に来てから、表情が柔らかくなっていたからだ。
二人の会話は女神信仰によるもので、ここには星慧教団の信者は一人もいない。
「ここでは魔法道具よりも、魔法を使っているのね。だから文明は進んでいなくても、あまり不便に感じないんだわ。カナンでは魔法が禁止されてないの?」
集落の中では畑を耕すのにも、魔法を使って補助しているのが見て取れる。
魔力を介して動く道具ではなく、自分の魔力をそのまま出力して生活しているのだ。
アリィにはどうすればいいのか分からず、不思議だった。
「カナンも魔法は禁止だよ。ただ、法的拘束力もないからね。僕が教えたんだ」
「法にしようとして、世界会議で否決されたから、法的拘束力がないのよね。それでも世界政府側は圧力をかけてくるから、ほとんどの国は従っている……でも、ここでは従う必要がないものね」
「よく知ってるね。そしてご名答だ。十二歳から閉じ込められたにしては、知識もかなりある。賢い子だって言われなかった?」
「こんなの普通よ。お兄様なんて、十歳で大学課程を終えたんだから。私は家庭学習だったし、大学課程を終えるのも二年は遅くて……」
そんな話をしながら、アリィはまた自信なさげな状態に陥っていた。
頑張って勉強しても、喜代古からはいつも兄のシノと比べられてきたのだ。
「出鶴の大学課程って、普通なら二十三歳くらいで修了するって聞いてるよ。十分すごいじゃん!」
少し考えて思い出しつつ、ユオは真面目に視線を合わせて言った。
「そうかしら。王族なら当然だって……」
「当然じゃないよ。カナンには学校システム自体がないしさ。仮に皇太子だったら無理だろうね。あいつはバカだから」
「まぁ、そうなの? あんなに威張ってるのに?」
「うん、威張ってるだけなんだ。君は知識があるし、魔法の教え甲斐がありそうだ」
面白おかしく語りつつ褒めるユオに、アリィも少しだけ自信を取り戻していく。
「魔法、習ってみたいわ」
「いいね。責任持って教えるよ」
「嬉しいわ」
魔法に憧れがあったアリィは、ユオの言葉に胸を踊らせていた。
それからアリィは一度ユオと別れ、女たちに別室に連れて行かれる。
採寸地獄に遭ったかと思うと、今度は着せ替え人形のようになっていた。
「こんなに美しい方の服を作れるなんて、腕が鳴るわ!」
「そうよね、ここではおばさんか子どもしかいないもの、しかも殿下の婚約者だなんて」
「お似合いだこと!」
アリィたちの婚約は体面上のものだが、図らずとも集落の女たちを喜ばせていたのである。
(どうして今まで、自分が不細工だって思ってたのかしら)
鏡を見て、アリィは疑問に思う。
自分の容姿も、醜いものなのだと思ってきたのだが――よく見れば、そんなことはない。
肌は雪のように白くてきめ細かく、髪も絹のように艶があるし、睫毛も長く、造形は整っている。
ユオやラニが面と向かって、可愛いと言ってくれたからだろうか。
呪いのような暗示は解け、彼女たちの言葉を素直に受け取れるようになっていた。
「皇后を怒らせて、監獄送りになった衣装係たちなの。元々は宮殿内の人材が流れてきてるから、ここにいる人たちは皆すごいのよ」
ラニはお茶目にウィンクしつつ、既存の衣装をアリィに着せ替えて楽しんでいた。
アリィが微笑むと、その衣装係の女たちも喜んで声を上げる。
「あらあら、本当に可愛すぎる方だこと!」
「素顔の殿下とならお似合いね」
女たちははしゃぎながら、ユオの顔について話していた。
アリィの身分は明言せずとも、それとなく貴族だということは悟っているようだ。
(ユオシェム様、不細工だって言われてたものね。変な化粧でもしていたのかしら)
特に気にせず、アリィはその会話を何気なく聞く。
ここに来てようやく大切にしてもらえて、生きている実感が少しずつ湧いてきていた。
採寸と着せ替え劇が終わると、アリィは外にいたユオに会いに行った。
カナンの文化では、女性はかなり露出の多めな服を着ることが多いようだ。
普段から肌を隠していたアリィが、目が回りそうな衣装まである。
今回借りた衣装は、その中でもまだ控えめな方だったのだが――それでも、短めのスカートから生脚を出すスタイルだ。
恥ずかしくとも、ここではアリィが異端。
異国の文化に迎合するよう努力する。
喜代古に“太っていますね”と、散々言われてきた言葉が脳裏にちらついた。
(変だって言われないかしら……)
一抹の不安はあったものの、いざ外で待っているユオに会うと、彼は笑顔で手を振るだけだった。
「可愛いね、似合ってるよ。ここの衣装って、出鶴出身の君には抵抗があるんじゃない?」
“可愛い”という言葉は、誰に言われても嬉しい。
その中でも、ユオから言われるのが一番に嬉しいと、アリィは感じた。
「確かに、恥ずかしいかも。だけど、この国の人たちが紡いできた、大事な文化のひとつだもの。この地に来て我を通すことはしたくないわ」
胸元を出すのは初めてだったが、ユオからは皇太子のようないやらしい視線を感じない。
アリィも恥ずかしがるより、お洒落を楽しむ感覚でいられるのだ。
「いい姿勢だね。皆が君に好感を持つのも無理はないな」
「私、嫌われてないのね」
「嫌うどころか、君のために宴を開きたいそうだよ」
その言葉で、アリィはまた少し自分を好きになる。
初めて会った筈なのに、そこまで気にかけてもらう理由は分からなかったが――今はその心地よさに心を委ねていた。
谷底に差し込む黄昏の光が、ふたり分の影を伸ばす。
集落の中心部は家のような建物もなく、開けた場所になっていた。
ユオはそこにアリィを案内したのだ。
「宴の会場はここだよ。他に楽しみがあんまりないから、君が来てくれて嬉しいんだと思う」
ユオやこの集落の人にとっては、何気ない歓迎だった。
ただ性の対象でも、政治の道具でもなく、一人の人間として見てもらえている。
そんな当たり前の幸せも、アリィには贅沢なものなのだ。
静かに噛み締めていると、女の子の声がする。
「アリィさまだぁ!」
「一緒に行きましょう?」
十四、十五歳くらいの年子の姉妹がアリィを呼び、駆け寄ってきた。
同時に、ユオを見て背筋を伸ばし、頭を下げる。
褐色の肌に、茶色の髪と目をした少女たちだ。
活発な姉のシャロは短いピッグテールにしていて、人見知りな妹のロナは肩くらいまでの髪を下ろしている。
挨拶回りをしているうちに、二人ともすぐにアリィに懐いたのだ。
(彼女たちは……侍女見習いだったけど、皇后の怒りを買って処刑されかけたそうね)
最近になって、ようやく笑顔を取り戻したという姉妹。
彼女たちを救ったユオのことを、アリィは改めて偉大だと感じる。
「ほら、行っておいで」
戸惑うアリィだが、ユオに後押しされて頷いた。
妹や弟が欲しいと思っていた時期もあったから、年下の子と遊ぶのは好きなのだ。
☾
夕方から始まった祭りは、夜遅くまで続いた。
ユオは男たちと何やら話していて、アリィは女性陣の話を聞く。
外には元から興味があったので、話は弾んだ。
出された料理もどれも美味しく堪能した。
暑い国なので、香辛料をたくさん使う料理が主流だ。
アリィも最初はどうかと思ったが、(勇気を出して食べてみてよかった)と笑う。
男たちは焚き火を囲んで歌って踊り、酒を飲んで暴れては、女たちから叱責されていた。
(こんな日がずっと続けばいいのに)
夜まで続く祭りに疲れ果てたのか、ずっとアリィにくっついていた姉妹は、彼女を枕にして眠ってしまう。
「あらあら、可愛いわね。シャロとロナ……いい子たちだわ」
柔らかな頬が可愛くて、アリィはまた笑った。
ここに来ただけで、随分と笑うことが増えたように思う。
「よかった、ちゃんと笑ってくれるようになって」
油断して頬を緩めていると、上から声がした。
昨晩会ったばかりの声なのに、昔から知っているかのように、誰だか分かってしまう。
「そんなに仏頂面だったかしら?」
穏やかな気持ちで、アリィはユオを見上げた。
「無表情でも可愛かったよ。歓迎会、気に入ってくれたかな」
「とっても。今は生きていてもいいって感じるの」
「よかったよ。今にも消えてしまいそうだったからさ」
冗談めいてユオは言うが、心底から安心したような顔をする。
久しぶりにしっかりと眺める星空も、舞い上がる炎も、酒の匂いすらも――アリィにとって、何もかもが喜びに満ちている気がした。
改めて、アリィは存在意義を考える。
ここにいるのはきっと楽しいが、それで終わってしまうだろう。
家族と面と向かって話をしないと、前に進めないような気がするのだ。
「ユオシェム様……私、やっぱり貴方に付いて行っていい? お兄様に会おうと思うの。足手まといになるかも知れないけれど」
自分の意思を伝えることにまだ自信がなくて、アリィは質問という形で表明する。
ユオは顔がぱっと明るくなり、その隣に腰かけて彼女を見つめた。
「そんなことない! そうだ、交換日記を付けようよ。その日の出来事をお互いに書いていくんだ。違う視点で書けば、何か気付きがあるかも知れないからね」
ユオは分かりやすく喜び、少しだけ顔を寄せる。
「それなら私にも出来るから、やりたいわ」
朗らかに笑うユオを見て、アリィも笑った。
(この人は賢いもの。自分の情報だけで足りる筈よ。それでも、私の役割を作ってくれたんだわ)
アリィは心の中がぽかぽかと暖かくなってくる。
自分が必要だと言ってくれているみたいで、嬉しくてたまらなかった。
「うん、よかった。君は多くの人に必要とされるだろうさ。鬱陶しくなるくらいにね」
冗談っぽくユオは言う。
彼の目的は、世界政府や星慧教団への反発だ。
そのために、皇帝になろうとしているように思えるが――改めて、目的を聞きたくなってきた。
彼のことを、アリィはたくさん知りたいと思えたのだ。
「その……ユオシェム様は、第二皇子様を亡くされたのよね。復讐なの?」
「復讐というか、防衛というか。世界政府と星慧教団は結託して、蒼星主義を掲げてるのは知ってるよね」
「うん……世界を同一の価値観にして、国境も、やがて惑星や宇宙の括りすらも。何もかも境界線をなくし、ひとつにしてしまうことよね」
アリィは思い付く限りのことを挙げた。
自分も知っていて、ちゃんと考えられるのだと示すために。
「いいことだと思う?」
ユオはそんな彼女の表情を見ながら、静かに問いかけた。
「正直、私は嫌。少しずつ違うから、楽しいんだわ」
アリィは思い出し、自分の考えを述べる。
前ならば意見を言うのも怖かったが、ユオになら怒られないと感じるからだ。
「僕も同じ。でも、彼らの目的って、そんな偽善的なものでもなくてさ……人の絶望を集めて、あの赤い星を目覚めさせることなんだ」
ユオは夜空を見上げ、ひときわ輝く赤い星を指さした。
六年前にはなかった星に、アリィは首を傾ける。
「あれは……?」
「星慧教団が崇める最高神、僕らにとっての魔王だよ。神が目覚めたら、世界は溶け、宇宙は一つになる……それが完成なんだって」
「そんなの、怖いわ」
星の正体を知り、アリィは身震いした。
「だから神秘の器を集めて、女神と十二天将の話を伝えていく。この思想にあえて名前を付けるなら、反蒼星主義と呼ぼうか」
その言葉を言ったユオの横顔に、アリィはつい見とれてしまう。
いつか遠い昔に、こうして肩を並べて話をしたような気がしてくるのだった。
「反蒼星主義……私も賛同するわ」
世界に抗うなんて、怖くて想像もできなかった。
ユオならばやり遂げるのではないかと感じて、アリィはじっと彼を見つめる。
髪と同じ色の睫毛が、月光に照らされて綺麗だった。
「じゃあ、僕らはもう同盟だね」
視線に気づいているのに、ユオはからかうこともなく、屈託ない笑顔を向ける。
「うん、そうね。ね、ねぇ、十二星座って、女神に仕えた十二天将たちがモデルなのよ?」
「知ってるよ。あれが氷天将の八咫烏座、あれは日天将の羊座で……」
安心すると同時に、心臓が跳ねたのが恥ずかしくなり、アリィは話を変えた。
するとユオは再び空を見て、星座をなぞり始めたのだ。
(彼の隣は安心する……)
体がぽかぽかと暖かくなり、アリィは瞼が重くなってくるのを感じる。
思えば、ずっと眠っていなかった。
少し歩いた後、気が付けば谷底にいて、それからは何かと活動していたからだ。
緊張の糸が解けた気がして――隣に腰掛けたユオの肩に、流れるように寄り添った。
「……寝ちゃったかな」
肩にかかる僅かな重みと、静かな息遣い。
ユオは寝顔を見つめて目を細める。
彼女の膝で眠る姉妹を連れて行くよう、男衆を使った。
しばしの間、彼女だけは残し、自身の上着を掛けてやる。
「君を悲しませた奴らは、死よりも恐ろしい目に遭わせてあげる。あの赤い星も……今度こそは、消すからね」
夜空に浮かぶ星の中でも、ひときわ明るい赤い星が、西の空の彼方に煌めいている。
それを睨み、ユオの静かなる決意は誰にも聞かれずに、果てしない宇宙へと消えていった。




