11 ユオの恋人?
長い夢を見ていたような心地で、アリィは目を覚ます。
心地よい揺れを感じながら、賑やかな人々の声が聞こえてきた。
ユオに抱きかかえられ、街の中を歩いている最中のようだ。
慌てて現実の世界に戻る。
そこは首都とは違う砂漠の街の中で、人々に紛れて歩いているようだった。
「おはよう。街に着いたから、今日はここで休もうと思うよ。美味しいものでも食べようか」
ユオは目覚めたアリィの顔を見て、いつもどおりに微笑んだ。
(生きてる……夢じゃないんだわ)
アリィは安堵する。
そして、我慢していたものが全て溢れるかのようで――。
気が付けば、思わずその首筋に抱きついていた。
「ユオシェム様、よかった……死んでしまうかと思ったのよ」
色々と気になることはあれど、ユオを見た瞬間、彼の安全のことしか考えられなくなった。
もう苦しくないのかと、言いたい言葉がうまく伝えられない。
ユオは急に抱きつかれて驚きながらも、そんなアリィに優しく目を細めた。
「僕はあれくらいじゃ死なないよ。それより、男にこんなことをして大丈夫なのかな?」
互いの顔が至近距離にあり、ユオはにっこりと笑う。
アリィはみるみるうちに顔が真っ赤になっていき、ぱっと手を離して顔を遠ざけるのだった。
「はしたないわね、ごめんなさい……」
傍から見れば、道の中心でイチャイチャしているカップルだ。
通りすがりの人たちも、にやりと笑って振り返る。
咎められるよりも、余計に恥ずかしくなった。
「君はあれから、三日ほど眠っていたんだ」
「そんなに? ずっと運んでくれてたの? ありがとう……もう歩けるわ」
「そうだね、少し歩いた方がいいかも。無理はしないでね」
ユオがゆっくりとアリィを下ろす。
三日ぶりにようやく足を地面につけて、少し変な感じがした。
トランもアリィが起きたのを喜んでいるようで、すりすりと頬ずりをする。
「ふふ、かわいいわね」
撫でてやると、本物の猫のように「にゃあ」と鳴いた。
アリィは故郷に帰ってきたような気になってくる。
同時に、倒れた後のことが気になった。
「ヨグトスは……どうなったの?」
「逃がしちゃったけど、しばらく僕らを追っては来られないよ」
「よかったわ。貴方って、本当に強いのね!」
アリィはただ、必死にユオを治そうとしていただけだ。
ヨグトスを殺す気はなかった。
というより、それが刃になるという発想がなかったのだ。
まさか自分の魔法がヨグトスを追い詰めたとは知らず、回復したユオがそうしたのだと勘違いする。
「ユオシェム様は……あの人の仲間だったの?」
聞くべきかそうすべきじゃないかと悩みながらも、アリィは気になって顔を覗き込んだ。
(ヨグトスは、ユオシェム様をナイアラトだと呼んでいたわ……)
少し聞き取りにくくて、発音もしにくい名前。
これはヨグトスの名前も同じで、どこか口にするだけで禍々しさを感じてしまう。
「まぁね。ずっと昔の話さ」
温かな風を浴びながら、ユオは隠すこともなく答えた。
(昔って、私と二歳しか変わらないじゃない)
ユオは権力のない皇子だ。
皇太子や皇后を差し置いて、世界政府側、それも中枢にいるヨグトスと対等に渡り歩けるとは思えない。
「世界政府と星慧教団を統括してるのが、十三星団と言ってね。ヨグトスは中でも一番星……トップなんだ」
ユオははぐらかすこともなく、組織についての情報を与える。
「十三星団……聞いたことがないわ」
「公式には明かされてないからね」
「王族ですら、何も知らないのね」
アリィは世界が広がった代わりに、その果てしなさに戦慄した。
物理的な距離だけでなく、政治の世界でも様々な裏がある。
これまでは薄らとそう思っていたことが、現実に迫ってきた感覚だ。
ただ、全てを理解できていなくても、ユオのことは信頼している。
「それより、おめでとう。早くも神秘の器を覚醒させるなんて!」
アリィは目の前のことで夢中になり、忘れていたことを、ユオの言葉で思い出した。
「そうよ、この子が……私の中にいたの。にわかに信じられないけど……」
ペンダントとなった運命の夢杖に触れるアリィは、夢心地でしみじみと言った。
(私は女神の転生者だって……今は言わない方がいいわよね。自分でも半信半疑だもの)
けれども、確定された事実は伏せる。
まだ信じきれていないし、自信満々に言うのも恥ずかしかったからだ。
街ゆく人たちは、汗水たらして働いている。
そんな様子を見ながらの旅は、楽しいと感じていたのだが――。
「お前ら、どけ!」
ふと、品のない声が聞こえてきた。
街には灰色の肌の人たちがいて、彼らが幅を利かせている。
道の真ん中で大声で叫び、昼間から酒を飲んで暴れているが、誰もそれを咎められなかった。
同じ肌の人たちは、それを見て肩身が狭そうに通り過ぎていく。
「あれは……玄民族ね」
アリィはユオの袖を握り、隠れるようにして言った。
玄民族という灰色の肌の男たちが、道行く女性を無理やり口説こうとしていたからだ。
かつて出鶴が占領した、玄域という地域の民族。
彼らは戦後から増えた民族で、移民として世界中に大量移入しているという。
(全員が悪じゃないけど、たまに暴走してしまう人がいるみたいね)
中には同族を嫌悪する人もいるくらい、この移民たちの一部は、そういう特性の割合が他の民族に比べて高いのだ。
「暴れて人に怪我をさせても、彼らは司法で裁かれないからね」
「出鶴でも似たような感じだったわ。星慧教団の利権よね」
「そうそう。奴らが好きな、差別を盾にした金儲けさ」
ユオは玄民族の目から、アリィを隠すようにして歩いた。
暴れている彼らに悪気はないのかも知れない。
裁かれないし、咎めた方が悪いという風潮だからだ。
他の人々も関わりたくないからか、目を合わせずに通り過ぎていく。
「星慧教団の差別利権は頭にくるわ。被害に遭った人もそうだけど、真面目に暮らしてる人たちの肩身が狭くなるもの」
アリィは彼らの様子を眺めながら、教団への怒りを向ける。
ユオはそんなアリィを見て、可愛いと言いかけたのを飲み込んだ。
「歴史考証を重ねたら、玄民族ってそもそも難民じゃないのよね。元は翠国の少数民族だったのが、戦後に人口が増えただけ。むしろ、翠の民こそが難民のはずよ」
「玄民族が増えて、翠国の他の民族が追われて、翠国だった場所が玄域になったんだよね。これ言うと差別だって罵られるけど」
「問題なのは、それを一般国民が学ぼうとしても、教育機関も乗っ取られてるというところよね」
「特に歴史系はね……シノも学校では歴史系は選考せず、独学の道を取ったらしいし」
王族や貴族ならばまだ、口伝や歴史証人から真実を知る機会は多くある。
一般国民との知識の差は顕著で、彼らが見ている世界と乖離があるのだ。
「僕らの世代で、これから良くしていこうよ。夫婦で頑張ろうじゃないか」
少し重い話をした後に、ユオは戯けるように笑った。
夫婦、というのは何気なくそう言ったのだろうが――アリィはそれだけで顔を赤くしてしまう。
「そ、そうよね。一応は婚約者だから……」
頭では分かっていても、アリィにはまだ実感がなかった。
(結婚ということは、ユオシェム様と……こ、こんなことを考えてしまうなんて、はしたないじゃない……)
夫婦になれば、身体的な接触を余儀なくされる。
アリィにはまだそれ以上のことは考えられないが、キスをするという妄想だけでも、頭がショートしてしまいそうだった。
「一応? 僕はそんな軽い気持ちじゃないのになぁ」
アリィの反応を見て、ユオはからかうように言った。
「わ、分かってるわ。状況的に必要だものね」
「それだけじゃないよ? こんな高度な話ができる伴侶なんて、他にいないし」
「そ、そうよね。政治的にも悪くないかもね、私って」
ありのままの自分が無条件で愛されることに、アリィはまだ疑問だった。
ユオの好意的な言葉も、全ては政治的なものだと考える方が合理的なのだ。
そうすると、後ろから子どもの叫び声が聞こえてきた。
「お前ら、やめろよ! お前らがそうやって暴れるから、おれたちも迷惑してんだ!」
玄民族の少年が、暴れている玄民族の大人たちに叫んだのだ。
「あぁ? クソガキが、俺らに逆らうってか? お前も差別主義者に染まったか?」
「違う。差別差別って、バカみたいだ! お前らの行動が嫌われてんだよ!」
「何を……!」
大の大人たちが寄ってたかって、一人の少年を睨みつける。
今にも子どもが殴られそうな状況に、アリィは胸を打たれた。
「ユオシェム様、あれ……」
「勇気がある子だね」
「でも、きっと怖いはずよ。周りに気付かれない程度に、何かできないかしら」
アリィはユオの袖を引く。
自分では何も出来ないし、騒ぎにするべきではないのも分かっていた。
それでも、目の前の事象を放ってはおけない。
「お姫様のご命令とあらば」
アリィがあまりに切実だったので、ユオは戯けるように言って踵を返す。
闇の魔法を使うつもりなのだろうか。
ヨグトスと戦った時に出していたどす黒い影が、その足元から伸び始めていた。
しかし――ユオが出る幕もなかった。
巨漢たちは次々と、リボンのようなもので叩かれて倒されていったのだ。
それを扱っているのは、帽子を深々と被った小柄な少年。
内心では怯えていた人々も、華麗な身の捌きに思わず魅入る。
星慧教団や世界政府の方針など忘れ、誰も差別だとかは口にしなかった。
「何者なのかしら。柔らかいリボンみたいなのに、鞭のように強かったわ。あんなことをしたら、警備隊に捕まってしまうでしょう? 玄民族にやり返した人は捕まるもの」
アリィは感心するよりも、その少年が心配になる。
あの男たちの行動は、褒められたものではない。
けれども、やり返した側が罪に問われるのだ。
「リボンの強度を上げて、鞭みたいにしてるんだ」
「見ただけで分かったの?」
「というか……」
ユオは何か知っているようで、どう説明しようかと言い淀む。
「いい子ですね。大丈夫でしたか?」
リボンを操っていた少年は、少女のような美しい声で玄民族の子どもに声をかけていた。
「はい……ありがとうございます!」
「早くお逃げなさい。警備隊に見つかると面倒ですから」
少年は周りを見回し、警備隊がいないのを確認する。
子どもを人混みに逃がし、ふとアリィの方を見た。
それから彼もまた人混みに紛れ、街では何事もなかったかのように人々が歩き始める。
倒れた男たちを避けながら――。
「今、あの子と目が合ったような……あ、あっちに行ってしまったわ」
アリィは動き出す人混みの中、またもやその少年を見つける。
先ほどとは別の場所から、二人をじっと見つめているのだ。
「僕らに気付いたみたい。大丈夫だよ、彼女は仲間だから」
「えっ、女の子なの……?」
アリィは一瞬だけ、胸が痛んだ。
男装した女の子で、ユオの知り合いだとしたら――例の恋人かも知れないからだ。
(あの人が、シャロとロナが言っていた……)
あの谷底の村に、ユオは女性を連れてきたことがあると言っていた。
モヤモヤと晴れない気持ちが湧いてくる。
アリィは自分でも、その気持ちへの説明がつかなかった。
(どうしてかしら。なんだか、嫌だわ。いいことなのに)
胸がぎゅっと締め付けられるような感覚。
ユオと出会ってからはよく感じるようになっていて、説明のつかない不安に表情が曇ってしまった。
「というか、家族だよ。恋人とかじゃないからね?」
何か勘違いされていそうだと察したユオは、すぐに付け加える。
(もしかして、たまに変だったのはこれかな)
そして、アリィの表情が沈む原因をようやく悟る。
「ユオシェム様なら、恋人くらいいそうだけど……」
「恋人がいるのに、他の女の子と駆け落ちするような男だと思ってたのかい?」
「だって、女性慣れしているもの。それに、カナンの皇族は妃をたくさん娶るでしょう?」
純粋な目で、アリィはそう言った。
彼女の言う女性慣れの基準とは、かなりハードルが低いものだ。
砂漠で手を差し出したことと、抱き上げることを基準に言っている。
紳士としては、どれも当たり前の行動なのだが――アリィにとってはそれだけで、ユオは何人もの女性と付き合ってきた男に見えていたのだ。
「一体、どんな基準で女性慣れになるんだ……それは否定させてもらうよ。僕は皇帝になっても、妻は一人しか持たないと決めてるのに。もしかして、妬いちゃった?」
勘違いを解くようにユオは言ったが、最後に軽口が混ざってきた。
真剣みを帯びた眼差しで、彼はアリィの顔を覗き込むのだ。
「こ、恋人がいる人と駆け落ちなんてしたのかと思うと、複雑だっただけよ……勘違いだったのなら、謝るわ。ごめんなさいね」
アリィは生身の人に恋をしたこともなければ、嫉妬という感情がどのようなものか分からない。
それでも、モヤモヤとした感情は晴れた。
(そういえば、ラティーファ様が別れ際に姉上と言っていたわね。この人のことなのかしら)
顔が熱くなるので、別のことを考えて気をそらす。
ユオの家族とされる人物は、ついてこいと言わんばかりに踵を返す。
二人は少年の姿をした、少女の後を追った。




