夏が終わらないおまじない?
蝉は時間と共に本気を出してゆく。
毎年のことだけど彼らはどうしてこんなに力のかぎり鳴いているのだろう。もちろん生物学的にちゃんとした現実的な理由があったとしてもきっと彼らは彼らなりに夏を楽しんでいるということでいいのかな。
そりゃそうか、彼らの夏は今年限り、来年はない。私とは違う。来年だって三年後だって普通に生きていたら五十年後だって私は夏を楽しむことができる、と思っている。なぜ生き物の命ってみんな違うのかな? そんなこと考えたらキリがないか。でも・・・・
「ねえラピス、教科書なんて見ていて面白い?」
国語の教科書から目を離して
「面白いわ」
「ふ〜ん。どんなところが?」
朝ご飯のあとはそのまま部屋に戻って食後の安息をしていた。たまたまテーブルの上に置いてあった教科書に興味を持ったらしい。やっぱり日本語は話せるし、読むことだってできるみたい。それなのに学校を知らないってどういうこと?
私は彼女が開いているページを見てみる。そこにあったのは『銀河鉄道の夜』だった。
ちょうどジョバンニが丘の上にいて急に光が差して気が付いたら列車に乗ったところだ。私もその話は好きだ。だから教科書には載っていないところも読みたかったから文庫本を買ったくらいだ。
そもそも教科書って全文が載っていることがなかなかない。短編ならまだしも途中を抜粋する文章で一体どんな勉強をしろというのだ?
「それさ、気に入ったなら」
本箱から
「ほら、これに全部載ってる。読む?」
ラピスは受け取ってページをパラパラとする。
「ねえ鈴音、これは全部じゃないわ」
あるページを開いて
「だってほらここ。原稿何枚か欠けているって書いてある」
確かにそう。何ヶ所かこういったことが書いてあった。
それでも物語は止まることなく進んでゆく。違和感とかはない。けれどそこにあるはずの空白になっている場所に一体どんなことが書いてあったのだろう。もしその場所を埋めることができるなら、この作品はもっと違った輝きを持っていたのだろうか。
本人にしか分からない世界。それは前後の文章で読む人がそれぞれで想像してもいいだろうし、無視したっていいだろうね。でも今はラピスにあらためて指摘されることによって、初めて読んだ時ってどうだったっけ?忘れちゃったけど、結構気になる。
「ラピス言う通りこれは完全な形じゃない。完成はしているけど完全じゃない」
「ねえ、これ読んでもいい?」
「完全じゃないけどいいの?」
「うん。だって鈴音だって読んだんでしょ。だったら私も読む。そして二人で考えましょう」
「考えるって?何を?」
「この失った空白。私達はそのことをお互いの空想の中で完成させるの」
この提案、ちょっと面白そう。素直にそう思った。
「いいよ。考えよう」
「じゃあ借りてく」
ラピスは文庫本をワンピースのポケットに入れる。けど不思議。膨らんだりしていない。ちゃんと入っているのかな?それともポケットだけどこか別の空間に繋がっている・・・・なんてね。
もう頭の中は作品のテイストに引っ張られている、そんな気がした。
もう帰ると言うラピスを見送るために私達は昨日と同じように並んで海まで行った。まだ昼前なのに目の前に広がる光景は昨日と同じ。何一つ変わっていないように見える。
「なんだか昨日の繰り返しみたいな日だね」
「変わらない夏の日があるだけ。昨日の次の日はまた同じ。時間は一回りしてまた元に戻るのよ。どう?うれしい?夏は終わらないのよ」
湿気を含んだ南風が私達の頬を翳めてゆく。正直ラピス言っている意味が分からない。けど次の瞬間
「え?・・・・・な、なに?」
「私からのおまじない。鈴音が私のこと忘れないための」
急に温かくて柔らかな感触が私の唇に触れる。風のように自然で、波のように唐突だった。そこには夏の匂いが満ちていた。頭で理解するのに少しだけ時間がかかった、けど理解を受け入れてからの私の体温は急上昇する。
「・・・・・・・・・・・・・びっくり・・・した・・・・」
「そう?私は嬉しかった。これを毎日続けていれば時は同じ所を巡る。終わらない夏。そして私はずっとこの世界で生きることができる」
眩しいほどの笑顔の後、少しだけ景色がモノクロみたいに映る。けどそれは一瞬すぎて、次に私の目に映った景色はいつもの世界だった。
「今日はここまで。また明日」
私が返事を返す前にラピスは人混みの中に陽炎のように溶け込んで消えていってしまった。完全に視界から見えなくなって
「・・・また明日・・・ね」
気が付くと無意識に私は自分の唇に手を添えていた。蝉の声はさらに激しく世界に向けて響いていた。
宮澤賢治「銀河鉄道の夜」からお借りしています。
これってアウトなのでしょうか?
セーフならこのまま続けさせてもらいたいと思います。
さじ加減が分かりませんのでご指摘あればお願いします。
子供の頃からいつか銀河鉄道に乗ってみたくて書いた作品です。
次回ももろもろよろしくお願いします。




