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あなたの名前

 かき氷は注文してから到着するまで大体二十分くらいかかる。待っている間、私は一応自己紹介した。

 けれど彼女の方は

「・・・名前?私に名前なんてないわ」


 真顔で言われても冗談かと思った。けど何回聞いてもそれ以外の答えは返ってこない。なんで名前を言うのが嫌なのかな?なんで隠すのかな?それとも本当に?まさか。


「でも名前がないとあなたのことなんて呼んだらいいの?」

 私の質問に首を傾げる。そんな仕草は私には似合わないだろうな。だから素直にかわいいと思ってしまうのは仕方ないじゃない。

 サクランボのようなピンク色のくちびるが開く。

「・・・確かにその通りだわ。私はあなたのことを鈴音と呼ぶ。けれど鈴音は・・・私のことはなんて呼んだらいいのかな?」

 金でできた糸のような前髪をいじりながら本気で困っているように見える。それから急に何かを思いついたみたい。じっと私のことを見つめて、ってそんなに見られたら・・・ちょっとだけ顔が熱くなるのが分かる。

「ねえ、鈴音。あなたが私に名前を付けてくれない」

「え?わたし?」

 頷いてからさらに私の顔をじっと見つめる。ちょっとだけ、どう答えていいのか戸惑っていると行き場をなくした子猫のような顔になる。


・・・そんな顔、反則だって。


「ホント?・・・・いいよ、わかった。もしまた会うことがあるなら、その時だけの名前を考えてみる。でもでも、気に入らなかったら遠慮なく言ってね」

「きっとまた会えるわ。だからお願いね」

 そう言ってまたニッコリ笑う。と同時にかき氷が私達の目の前に置かれる。

 一旦この話は中断。

 さあ、ここからは時間との戦い。私は神経の全てを目の前のかき氷に集中させた。

「来た来た。名前は考えるから今はこれを楽しもう。早くしないとどんどん溶けちゃうからね」

 私達は木製のスプーンを同時に手にする。


 先ずは一番尖端から慎重に掬う。

 私にとってかき氷は最初の一口が最も美味しいと位置づけている。そのままの形を崩さないように慎重に奇蹟の一口目を掬ってゆっくりと口の中に運ぶ。

 その瞬間、舌の上で広がる楽園。

 甘くて冷たくて、冷たくて甘くて。口の中は一瞬にして脳天を直撃するほどの刺激があって、私をあっという間に至福の境地に連れて行ってしまう。


「ん〜〜〜〜おいしい」

 口の中で消えてなくなってしまうまで最高の一口を堪能してから私は通常運転に戻る。


「あれ?まだ食べないの?早くしないとどんどん溶けるよ」

 彼女は私のことをじっと見ている。それはなんとなくだが珍獣でも見ているような視線だ。そんな変なことはしていない、はず。

「そうね。溶けちゃったら大変だね」

 それから同じように天辺を掬って口に入れた。サクランボのような口をゆっくり開けると真っ白な歯が見える。

「・・・ん〜〜〜〜・・・・おいしい」

「なんで真似してるの?」

 これはどう見ても私のことを真似しているようにしか見えない。

「で?ホントのところどうなの?ホントに美味しい?」

 その質問に満面の笑みで

「こういう風にするのが夏を楽しむことかと思った」

「いやいや。別に作法じゃないから。私は自分の感情に素直に従ったまで。だから自然とこうなるの。あなただってもっと別の表現があなた自身の素直な感情だと思う。ここはそうやって楽しむところだから」

「私の素直な感情・・・・・なら」

 仕切り直すように新たな一口を食べる。私はその様子を見守る。いや目を奪われていたと言ってもいいかもしれない。

「・・・・うん。とても美味しい。こんなの初めて。すっごく気に入ったわ」

 そう言った笑顔は私には眩し過ぎる。でも、なかなか彼女らしいし似合っている。顔全体から美味しさが伝わってくる。素直って素敵だね。


 太陽はさっきからあまり動いていないように思える。けれど時間は確実に過ぎ去ってゆく。かき氷は最後まで我慢が出来ずに、結局最終的には二人共後少しのところで溶けてしまった。でもよく頑張った方だ。さすが天下の天然氷だね。私は敬意を表して最後はガラスの器を両手で持って液体化したかき氷をイッキに飲み干した。

「最後はこうするのが私の作法。スプーンだと無理があるから。ちょっと行儀が悪いけど、出された食べ物を残さないのが礼儀だから」

 私はおしぼりで口元を拭う。それをじっと見ていて

「それが礼儀なら」

 同じように両手で器を持って、同じように最後まで飲み干した。彼女からはなかなか想像し難い姿かもしれないが、それはそれで可愛く見えてしまうのは仕方のないのかな。


 私達はまた喧噪が溢れている海岸に戻って海を見ている。二人して並んで見ていると目の前の光景が少しだけ現実離れしているみたいに感じる。現実との間になんだか薄い膜のようなものがあるみたい。けど手を伸ばしてもそれに触れるわけじゃない。指先に感じるのは夏の熱気しかない。

 私は夏の中にいる。これがずっと続けばいいのに。


「夏は好き?」

「うん。ずっと続けばいい」

「なら鈴音は早く私に名前を付けるべき」

 振り向いて私達は目が合う。夏をそのまま写し取ったような青い瞳の中には私自身の姿が映っている。なんだか青い色の中で溺れているみたい。けどそれは苦しくはない。むしろ心地良さすら感じる溺れだ。

「名前・・・ラピスってどうかな」

「ラピス」

 彼女はその名前の意味を感じ取るみたいに少しだけ長めに目を閉じる。

「可愛い。私の名前」

「あなたの目の色。そんな青の中に浮かんだ私。海にも空にもいるみたい。気に入ってくれたならいいけど」

「鈴音がつけてくれたんなら私は嬉しい」

 彼女の名前は決まった。

 『天空の破片』

 そんな呼ばれ方をしていたラピスラズリ。でも彼女の色はそれの何倍も濃く、透き通っている。


「明日もまた会える?」

「うん。会える」

 彼女はニッコリと微笑んでそのまま歩き出す。私も歩こうとして思い出す。

「そうだ、買い物頼まれてたんだ。また明日」

 喧噪に負けないように大きな声で言うと、ラピスは振り向く。風で帽子が飛ばないように片手で抑えてもう一方の手を大きく振る。

 これが彼女との出会い。不思議な出会い。きっとまた会えると言った。

 私だってまた会いたい。


 夏の見せる蜃気楼のようにラピスの姿は見えなくなっていたけど。でもまた明日。


やっと夏が終わった陽気になりました。

でもここには夏があります。

また読んでもらえたら嬉しいです。

次回もよろしくお願いします。

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