夏のフェアリーなんかじゃないよ
「海見えるね」
「・・・そうだね」
私達は屋上に設置されている自動販売機で炭酸水のペットボトルを一つ買って二人でシェアした。
海の輪郭にはいつもと同じ。真っ白な雲があって海面は太陽の光でキラキラ反射していた。それに高い場所で感じる南風は地上よりももっと自由に通り抜けてゆくみたい。
「・・・あのさ」
言ってみたものの。一体何から聞いたらいいのかな?何を聞きたいのかな?それにはちゃんと答えてくれるのかな。何より私にはいろいろなことを聞く資格があるのだろうか?
ラピスは微かな笑顔で私のことを待っていてくれている。
「・・・えっと・・元気になる・・かな?」
「気になるの?でも私にはどうすることもできない。彼自身のことだから」
「・・・そうだね」
渡された炭酸水を受け取って一口飲む。あっという間に温くなっていた。
中身はあと一口でなくなりそう。これを飲み終わったらラピスは行ってしまうような気がする。
「鈴音は本当は何を聞きたいの?」
「・・・本当・・・いろいろあるのに・・上手く言葉にできない」
ホントのことを伝える。今はまだ頭の中が纏まっていない。なのに気持ちだけが先へ先へと慌てている。
「・・・ご、ごめん・・良くなるって・・・私はそう思いたい」
ラピスは何も言わずに海を見ている・・のかな?その横顔は夏そのものみたいに見える。
この日差しの下では不安なことなんて何もないって言っているようにすら見える。
それは夏には似合わないことってだからなの?
「鈴音も海を見て」
ラピスの笑顔はやっぱり私のいる場所とは遠いところにある笑顔だ。言われた通り私も海を眺める。
初めてラピスと会った日もこれまでの日々もずっと同じ色をしている。そしてこれからもこんな特別な夏が続いていると思っていたけれどやっぱり変わってゆくのだろうか・・・いや変わっていかなきゃ。
田中のじいさんだってずっとこの瞬間を待っていた。再び出会えるという奇蹟を心のどこかでずっと信じていたんだ。
私がラピスとの出会いで止まってしまっていた時計の針は今までを取り戻すように動き始める。私の想像を越える速度で。
「そろそろ行くね」
ラピスは残った一口を飲み干して
「鈴音。切符のこと約束してね」
悪戯っぽく笑って本当に行ってしまう。追いかけようかと思ったけど、納得して後ろ姿を見送ってからペットボトルをゴミ箱に放り込んでから一人でエレベーターに乗った。
エレベーターが止まって扉が開くと目の前に葵さんの姿があった。全力で車を飛ばして全力でここまで走ってきたんだろう。
「鈴音!」
「葵さん・・・・・」
「鈴音のお母さんから電話もらった。おじいは?」
「さっき意識を取り戻したの」
葵さんと並んで廊下を歩く。目的のドアの上には治療中と赤い光を放っている。ノックすると少しだけ開いて看護師が顔を覗かせる。葵さんが急いで自分のことを話す。
「鈴音。落ち着いたら連絡入れる。今日はいろいろありがとう。あと電話に気が付かなくてごめん」
私が何か言う前に中に入ってゆく。そっか。親族だからか入れたんだ。そんなこと聞いたことある。
しばらく廊下に置いてあるベンチに座って待っていたが諦めて一旦この場所から離れることにした。
病院の目の前に走っている大きな道路を渡る。その先に広がっている海に私は引き寄せられてゆく。
こんなに世界は大きくて、果てしなく広がっている空があるのに今はどこかに行きたいって思わない。
いろいろあって・・・それで・・・本当にいろいろあった。
海は岩場だったから海水浴をしている人はいない。代わりに置かれているたくさんのテトラポットには海鳥とフナムシが陣取っていた。
ラピスから受け取った『切符』について考える。かなりゴタゴタしていたからまだ頭が混乱していたからだけど、今、海風に当たるとやっと冷静というのが体に馴染み始めてきた。
「・・・・・・本気なのかな」
多分本気だ。なんで急に?昨日はそんなこと一言も言っていなかったのに。
「・・・片道切符って・・・それってどういうこと?」
出発はいつ?・・本当に物語の通りだとしたら・・・・・それ以上はあまり考えたくはないのにどうしても考えてしまう。
なら
深呼吸して頭の中を空っぽにする努力をした。私の頭の中はおもちゃ箱をひっくり返したみたいにいろいろなことが散乱している。今ある時間を使ってまとめてみる。先のことはその後考えればいい。
見上げれば太陽があって目の前には水平線。潮の匂いがして光の匂いがする。
たまには一人でこうすることも必要だよね。こんな風に静かにいられることがどこか安心する。
けどなかなか周りは私のことを一人にはしてくれないみたい。私が特別な夏の真ん中にいていろいろな人が渦に巻き込まれるように近づいては痕を残していく。
「・・・あなたは夏のフェアリー」
「正解なんて言わないわよ」
「でも今からあなたのことアリアって呼ぶ」
彼女はもう夏のフェアリーなんかじゃない。それに名前があるならちゃんと名前で呼びたい。
いつの間にか私の隣りにいて端から見たら一緒に海を見ているように見える。友達とかそういうんじゃないけど同い年だろうからそんなこと他人の目には関係ないか。
「目・・・治ったんだ」
青い目は元通りになっていた。
「返してもらったから。それと・・・これも一緒に」
アリアの手には今私が持っている渡すはずの切符があった。きっと同じものだよね。片道切符。
「これってなんなのかな?あなたは知ってる?」
「切符だよ。あと私のことは鈴音でいい」
彼女は『ふ〜ん』とだけ言ってまた海を見る。確かに彼女は帽子を被っていない。
「あのさ。いろいろ聞いたんだ。アリアはどうして田中のじい、じゃない田中君を待っていなかったの?」
答えはすぐに返ってはこない。私達の間には無言の空気がしばらく流れている。
遠くで汽笛の音が響いている。船が通り過ぎるとさっきよりも静けさが増した。空気だってなんとなく重く感じる。
「・・・私のせいじゃないの。私はパパにもママにももう少し待ってって頼んだ・・・でも聞き入れてもらえなかった。田中君には伝えることができなかった。それが心を苦しくさせるの。今もずっと」
あの時の続きが始まろうとしている。
私はその後彼女はどんな人生を送ったのか知りたかった。どうして夏のフェアリーなんて名乗っているのか、とかも含めて。
「・・・言えるよ。今なら。私、田中君がどこにいるか知っている」
私の提案は無言で返される。それよりも彼女の見ている遠くの世界というか、遠い記憶がまだ終わっていない。
今は黙って受け入れよう。目の前の静かな海のように。
やっぱり蝉の声が消えている。夏の音だけが世界に響いていた。
青い青い澄んだ空の毎日。
読んでいただきありがとうございます。
少しずつ青い色が濃くなってゆく。春の足音が聞こえそうです。
私も少しは変われるのだろうか。
物語もゆっくりと形を変えて進んでいます。
穏やかなで幸せな毎日になるように願いながら紡いでいます。
また次回。お会いしましょうね。




