錆びた味は不幸の味
「おはよう」
意識的に大きな声で少年は挨拶をした。
堂々とした姿勢にみんなは面食らったみたいでとても小さな声で返事を返す。
そんな中、アリアを席まで連れていってから
「このままちょっと待ってくれ。おい、笹本、分かっているな」
少年が何を言っているのか少女には分からなかったが彼の口にした者はアリアのことを苛めていた連中だったから思わず俯いてしまった。
やがて十人の男の子達が彼女に机の前に横一列に並んで一斉に
「ごめんなさい」
彼女は恐る恐る顔を上げるとみんな深々と頭を下げていた。いつの間にか先生も来ていて一緒に頭を下げていた。『もう二度としない』『約束する』こんな感じで言われると彼女としても謝罪を了承するしかなかった。
これまで受けてきた恐怖心を拭うことなんて簡単には出来そうにない。ずっと少年のことを視界のどこかに留めて置かないと安心した気持ちにはならなかった。少年の方もずっと気にかけているのが空気を通して伝わる。心臓はいつもより鼓動が速かったがなんとか授業を受けることができた。
土曜日は半ドン。
私には聞き慣れない言葉だ。どんな意味があるのだろう。ニュアンスで意味は何となく分かる。
私は話の続きを待った。田中のじいさんの話はとても鮮明に脳裏に画が浮かぶ。
この時の夏も今日と同じように蝉がうるさいくらい鳴いていたのだろう。
その日は何もなく過ぎていった。むしろ彼女に積極的に話しかける女子達の姿を見て少年はどこかホッとした気分になっていた。まだどこかぎこちなかったがこれでアリアがクラスに馴染んでくれたらいいと。
けれど物事はなかなか思うようにいかない。そのことにまだ二人は気が付いていなかった。
学校が引けてから少年は約束通り少女の家に行った。なるべく小綺麗な格好をしていたのもそのためだ。靴だって洗ってあるから他の生徒と比べて妙に白かった。それに靴下にだって穴の空いていないのを選んだ。少女の生活水準には到底及ばないがこれが今の彼にとってできることの全てだった。
二人で海岸線を歩いている。風も穏やかだから道路の砂が舞い上がることもほとんどなかった。
海は凪となって空の雲の姿がくっきり映っていたことが印象的だった。会話は相変わらずぎこちなかったし、話題がすぐに尽きてしまったが二人は普通に今日を過せたことに幸せな気持ちで一杯だった。
山道を登ってしまえば彼女の家に着く。
その手前のところでいきなり草むらや岩の影から人影が飛び出してきた。最初は熊でも出たかと思ったけれどそれは熊ではなくアリアの目の前で謝ったクラスメイト達だった。二人はあっと言う間に囲まれてしまった。
「おい!なんなんだ」
少年は大きな声で言った。みんなより一回り体の大きい笹本が一歩前に出て
「なんなんだ・・・か。それはこっちの台詞なんだよ」
言葉が終わると同時に少年は顔面に衝撃を覚えた。それは殴られたからだと理解する。
視界の端にはアリアの姿があって真っ青な顔で少年のことを見ていた。
痛い。まともに喰らった。それに呼吸が苦しい。どうやら鼻血が出ているみたいだ。手で拭うとヌルっとした感触がした。頭もクラクラする。けれど今ここで倒れるわけにはいかない。倒れないようになんとか踏み止まった。
「・・・な・・何をする」
「何って、お礼だよお礼」
その言葉が合図だった。囲まれた少年はあらゆる方向から殴られ蹴られた。避けることもままならず体はどこもかしこも痛みで悲鳴を上げていた。
自分でも分からなかったがいつの間にか倒れていた。砂埃に肺が包まれる。意識を失わなかったのが不思議なくらいだ。
そんな姿になってもアリアの姿は見失わないようにしていた。けれどそろそろ限界が近づいてきたと思い始めた時、少年は彼女の匂いを感じた。
その瞬間
「おい、やばい」
「逃げろ」
そんな声がしてみんなが遠ざかって行くのが空気の流れで分かる。バタバタとした足音は少しずつ小さくなってやがて消えていった。
後に残ったのはさっきと変わらない静かな世界・・・でも今はもう違う世界になっていることを理解している。
一体何が起こった?
きっととてつもなく嫌なことが起こったに違いない。自分の傷の痛みよりはアリアのことが気になる。
(あいつらは何をした?)
彼らが残していった言葉がリアルに耳の中にこだまする。
(やばいって一体何だ?)
嫌な気持ちしか込み上げてこない。
彼女の身体の重みをリアルに感じてやっと言葉が出てくる。
「・・・・ア・・・・アリ・・ア」
少年の体の上に覆い被さっている少女の体に手を触れる。
温かくて柔らかな身体は小さく震えている。怯えている。怖がっている。なにより泣いている。
動揺が苦しいくらいに胸を締め上げる。
「・・・・・い・・・いたい」
少年はありったけの力を振り絞って起き上がる。そしてしっかりと目を見開いて少女のことを見た。
彼らがアリアに何をしたのかすぐに理解した。
「・・・な・・なんてこと・・・」
少年を庇うために持っているだけの勇気を出したのだろう。けれどそれは出してはいけない勇気だった。
最悪に結果。どうしてこんなことに?
少女の両目からは真っ赤な血が涙のように流れて両頬を伝って今では地面が小さく赤く染まっていた。
少年は声の限り叫んだ。助けを求めた。
けれど誰一人通ることない。自分がいち早く動かないと
「誰か呼んでくる・・・・しばらく一人にする」
アリアを道の端の木陰に連れて行ってから少年はありったけの気合いをいれる。
足は所々痛いけれど骨には異常はなさそうだ。
走った。自分の限界を越えるほどに。
片方の靴が脱げていることなんて全然気が付かなかった。
田中のじいさんにはあの時の景色が鮮明に蘇っている。心臓の辺りを手で押さえて呼吸を整えていた。
私はショックで身動きがロクに出来ない。
彼女に何が起こったのか分かる。なんでそんなことにならなけばならないのだろう。
誰も何も悪くない。悪いのはその時の戦争であって彼女にはなんの罪もない。
そんなことしたって何の意味もない。なのに人は誰かに当たらなければならないのだろうか・・・・口惜しい・・・同じ人間なのに馬鹿みたい。
大人ってなんて馬鹿なのだろう。子供の私だってそんなことくらい分かる。大人のしたことは必ず私達子供にしわ寄せとなって襲いかかるんだ。
私はくちびるを噛む。そして力を入れる。
しばらくすると錆びた味がしてくる。彼女の痛みはきっとこんなものじゃなかったはずだ。こんなことしたって意味ない。けど口惜しいんだ。
「ほら」
田中のじいさんの声でハッとして顔を上げると
「嫌な話になってしまったかな」
渡されたティッシュで血で滲んだくちびるを拭う。薄らと赤いティッシュを見る。
こんな味は不幸の味だ。くちびるはもっと甘い。そうじゃないと駄目なんだ。
「・・・あ、ありがとうございます」
「まだ続けた方がいいかな?」
「嫌じゃなければ。どうしても知りたいんです。だから嫌でも教えて下さい。とても大事なことなんです」
私も自分の心臓を抑えて話の続きを待った。
蝉の音だけが世界中で鳴り響いていた。
温かいお茶やコーヒーの飲み過ぎでトイレが近いです。
読んでいただきありがとうございます。
仕方ないですよね。寒いんだもん。
でもこの物語りを書いているときだけは気分は夏です。
真逆の季節は頭の中で理想となって浮かんできます。
ホントは暑い方が苦手なのに憧れにも似た気持ちになるから不思議です。
一緒に夏の中で夢を見ましょう。
次回もよろしくお願いします。




