車の免許はマニュアルで
午後の日差しは暑いを通り越して痛いくらいだ。太陽に殺されそう。
周りを見ると日傘を差している人がほとんど。男の人でも最近増えたよね。今度ねだってみようかな。だって命にかかわることだし。
私はわずかな日陰を頼りに図書館に入ることができて、ホッと一息。汗は止めどなく流れている。今度は対策はバッチリ。同じ轍は踏まないよ。カバンの中の水筒には冷えた麦茶にクーラー。
あ〜・・・・・・天国とはこのことだね。
汗が引いてきたので二階を目指す。せっかくだから本の続きを少し読んでいこうかな。
本は私が置いた位置から動いていない。他に誰も読まないか、それとも私のことを待っていたか。どっちか、なんて考えながら手に取って受験生で埋め尽くされている閲覧室に向かう。
混んでいるのは変わらないのに同じ場所が空いている。これだと私専用席みたい。だから同じカウンター席を目指す。隣りにいた女の人はいなかったけどパソコンと本は置きっぱなしになっているところをみると、多分お昼休憩中なのかな。それにしてもすごい本の量。
私は座って持ってきた本を置いてから、周りの視線を気にしつつカバンからうっかり持って来たと思われる本を取り出して、何気ない顔で先に置いた本の上に重ねたところでホッとしたのも束の間、
「あ!あった!」
小さな声が後ろから聞こえて来た。振り向くとお隣の女の人が戻ってきていた。
「あ〜よかった。見つかって」
そう言うと胸を撫で下ろしていた。私はただその姿をキョトンと見ているしかない。女の人は席に着くと、じっと私のことを見つめている。
・・・これは明らかに催促されているよね。
「あの・・・この本」
本を差し出すと、待ってましたとばかり受け取って
「探してたのよ。あなたが持ってたの?」
「えっと、よく分かんないですけど帰ったら私のカバンの中に入っていたんです。だから・・」
「そっか、そうだったんだ。どうりで幾ら探しても見つからないわけだ。多分うっかり入っちゃたんだね。さっきあなたが隣りにいた時この辺の本崩しちゃったからその時かも」
「そんなことあったんですか?」
「憶えてない?一応謝ったんだけど、本に夢中だったから聞こえてなかったのかな?」
全く憶えてない。でもその時私が隣りにいることはちゃんと認識されていたみたい。
「ほんとありがとう。これって禁帯出でしょ。どうしようって顔が青くなってたの」
「そうなんですか。なら良かったです。私もこっそり返すつもりだったんで」
「そっか。迷惑かけたね。本当にありがとう。それであなたはこの後は?もう帰るとか?」
「えっと、さっき読んでいた本が面白かったんで続き読もうかなって」
私は本の続きに取りかかろうと表紙を開く。けれど、なんとなく視線を感じる。えっと、まだ何か?
「あのさ、この後、一緒にお茶にしない?近くに美味しいケーキのお店があるのよ」
「あ、いえ、そんな、悪いです」
急にそんなこと言われても断るしかない。だって知らない人には用心しなさいって言われてるから。
「あ、もしかして私のこと怪しいとか思ってるでしょ。なら自己紹介。私は『本多葵』東京で大学生してる。ま、考えておいてね」
曖昧に頷いてから本に視線を戻す。それが合図だったかのように葵と名乗るお姉さんもイヤフォンをしてパソコンを開いて自分の世界に戻ってゆく。
とりあえず深呼吸して気持ちを切り替えて本の世界に入ろうとした。けれど隣りが気になってなかなか集中できない。一緒にお茶って。ページをパラパラ捲るだけで書いてあることなんて全然頭の中に入ってこない。どうしよう。今日はもう帰えろうかな・・・。
「ねえ」
また小さな声で声をかけられた。振り向くと目が合う。
「えっと・・・はい」
「あのさ、間違ってたらごめん、だけど」
「・・・」
「もしかして集中できないとか」
集中できないのはホントのことなので素直に『はい』と答えると開いていたパソコンを閉じて
「私も。だから今日はもう退散しようかなって。ねえ、さっきのこと、もちろん無理になんて言わないけど、少しは考えてくれたかな?」
「私も今日はもういいかなって、でもケーキは・・・」
「大丈夫。行きましょう。入口で待ってて。私はきっとあなたの役に立つと思うんだ」
「えっと、それってどういうことですか?」
「ケーキに付き合ってくれたら教えてあげる」
葵さんはニッコリ笑うと荷物をさっさと纏めて席を後にした。私はその後ろ姿を見ていた。
役に立つって言葉が気になって自分でも気持ちが揺れているのが分かる。
なんとなくこの人のペースに流されているのは分かっている。ホントならそんなこと無視して家に帰ればいいのに、本を元に戻して入口で待っている自分がよく分からない。しばらくすると軽快なエンジン音をさせた真っ赤な車が目の前に停まると同時に助手席側の窓が開く。
「さ、乗って」
「あの・・・私は別に気にしてないのでこのまま帰ってもいいんですけど」
「あ、まだ私のこと警戒しているでしょ。なら今度は」
免許証と学生証を見せる。確かに東京の大学生だし年齢は十九歳。名前も偽名じゃない。ここまで見せられると一体何を疑ったらいいのか分からなくなってくる。
「あの、一応お母さんに連絡してもいいですか?」
スマホを出して電話をかける。自分でもぎこちないと思える笑顔しているんだろうな。
私が簡単に事情を説明するとお母さんが電話を代わってと言う。スマホを渡すとお互い簡単な挨拶をしているみたい。お母さん、納得したのかな?もしかしたら今まさに大事な娘が事件に巻き込まれる瞬間なのかもしれないのに。だったらなんで私は逃げていないの?
「大丈夫、了解はもらった。娘をよろしくって言われたよ。これで安心だね。さ、乗って」
今度はドアが開かれる。言われるまま席に座ると
「シートベルトしてね、行くわよ」
私がちゃんとシートベルトをしたことを確かめると車は心地良いエンジン音をさせて動き出す。
あ〜あ、流されてるな。どこまで行くのかな?
今のところ会話もなく車は街中を走ってゆく。他にすることもなかった私は運転する姿を横目で見ていた。観察していると気がついたことがあった。こまめに何かを操作している。ウチの車はこんな動きしない。一体何してんだろ?気になったので思いきって聞いてみた。
「あの、これってなんですか?ずっと動かしてますけど」
「ああ、最近はほとんどないからね。この車はマニュアルなの」
・・・マニュアルってこと自体なんのことか分からないですけど
「こうやってこまめにギアを変えないと適切な走りはできない。でも面白いわよ。オートマなんて歳取ってから乗ればいい。だから・・・そういえばあなたの自己紹介まだだったね。教えて」
やっと会話が始まってゆく。きっと向こうも何かきっかけを待っていたのかもしれない。
私の名前、お母さんから聞いてないのかな?でもちゃんと自分で自己紹介した方が人として当たり前なんだろうな。ずっとタイミングを逃していたというか、怪しむことしかしてないんだった。
だからちゃんと自己紹介しよう。向こうだって私のこと怪しいって思っていたかもしれない。オープンに接してくれたのに・・・対して私はずっと失礼な態度だったかもしれない。
「オッケ。鈴音。これも何かの縁。私のことは葵って呼んでいいよ」
自己紹介って不思議。それだけでお互い距離が近くなったような気がする。やっぱり名前って大事だよね。私はやっと一息つくことができたかも。
そのことに合わせるように車はさらに加速してゆく。私達は海岸線に出ていた。だから当然窓からは海が見える。気持ちが高まってゆくのを感じる。
ドライブって・・・気持ちいい。
目の前の景色はどんどん流れてゆくのに遠くにある雲はその位置からは全然動かない。なんでだろな。きっと立派な科学的理由があるんだろうな。多分私の教科書にはその答えは出てこないだろうな。まだ中学生なんだ。これから知ることや教わることはたくさんあって、でも今は夏休みで、だからそんな先のことは今はどこかに置き忘れてもいいような気がした。それよりも目の前の現実を確かめたい。
「あの。聞いてもいいですか?」
「なに?いいわよ」
「さっき図書館で集めていた本って何の本ですか?外国語だから全然分からなかった」
「ああ、あれね。私は大学で史学を専攻しているの。特にケルトについて」
「ケルト?」
「知らない?」
私は頷いて答える。
「そっか。興味あるならケーキを食べながら話しましょう。言ったでしょ私は役に立つって」
まただ・・・興味・・・あるのかな。よく分からないけどとりあえず頷いて答えておいた。
葵さんの車はさらに加速してゆく。他に車が走っていないとはいえ明らかに法定速度を越えている。
でも不思議。こうしているのも悪くないって思える。それでも遠くの雲はピンにでも留められているみたいに少しも動くことはなかったけど私の気持ちはどんどん解放されてゆくみたい。きっとこのスピードが翼を与えられたみたいに自由を感じていたからなのかもしれない。
マニュアルか・・・今度ちゃんと調べてみよう。
夏。私はラピスと出会い、葵さんとも出会った。それに夏のフェアリー・・・
海に反射する光が私を幻惑しているみたい。でも現実なんだ。
この先どんな夏休みになるのかな?七月の夏休みはまだ終わらない。
マニュアル免許って今どれくらいの割合で持っているのでしょう?
私は当然マニュアル(それしかなかった)・・・歳がバレるって。
今回も読んでいただきありがとうございます。
もう一度マニュアル車を運転したいと思っている今日この頃です。
次回も読んでいただけたらさいわいです。




