90 特訓開始
私は一人だけの特別授業になり、水泳の授業が始まるまでの間、移動魔法を発動させるための特訓を受けることになった。
「まずはやってみろ」
厳しい表情をしたアルード様に言われる。
「はい」
発動しない。
「もう一度」
「はい」
発動しない。
「もう一度」
発動しない。
「発動しない原因について考えたい。意見があれば遠慮なく言ってほしい」
「才能がなさそうです」
そう言ったのはヴァン様。
アルード様の隣にいる。
人間の持つ可能性を信じているはずなのに、私の移動魔法については別らしい。
「そもそも貴族の女性は走りません。習得しなくてもいいでしょう」
最初に移動魔法を覚えるよう言ったのはヴァン様なのに……。
あまりにも長い間できていないので、見限られた気がした。
「他には?」
「移動魔動の習得者の多くは風属性の使い手です。他の属性にもいますが、女性の割合が少ないのは事実です」
ヴァン様とは逆側にいる魔導士はアレクサンダー様。
声でわかる。
「他には?」
「全く発動する気配がありません」
「魔法と魔力が結びついていません」
「イメージが間違っている気がします」
魔導士が三人。
私の後ろのほうに散開するように立っている。
移動魔法の使い手が全方向から私を観察。なぜ発動できないかの理由を探っているようだった。
「ルクレシア、よく聞け。移動魔法はかなりの個人差がある魔法だ。全員が同じような移動魔法を使えるわけではない。簡単に言うと効果の差があるが、他にもさまざまな差がつく。一番の差は感覚差だ」
「感覚差というのはどんな感覚でしょうか?」
「順番にかければわかる。私から時計周りにする」
まずはアルード様が移動魔法をかけてくれた。
「どんな感じがする?」
「軽いです」
「切った」
「かけますよ」
ヴァン様が移動魔法をかけてくれた。
「どうだ?」
「確かに違います!」
魔法がかかった時の感覚が全然違った。
「どんな感じだ?」
「ぴんっ!て感じです」
「別の言葉で表現しろ」
「しゃっ!とか」
アルード様が眉をひそめる。
「そういう言葉ではない。説明のようなものがいい」
「……瞬発力が上がった感じです。アルード様はふわっと体全部が軽くなったような感じなので差があります」
「次」
魔導士が順番に移動魔法をかけてくれる。
確かに魔法をかけられた瞬間の感覚が違う。
だから、感覚差。
「最後だ」
アレクサンダー様が移動魔法をかけてくれた。
「さっ!って感じですね!」
「またか。違う言葉にしろ」
「えーっと……アルード様の次にかけてくださった魔導士様と似ています」
魔導士の名前は言ってはいけないので、ヴァン様とは言わなかった。
「でも、やっぱりちょっと違います。力強いですね、たぶん」
「ほう」
ヴァン様がアレクサンダー様に顔を向けると、アレクサンダー様は動揺したかのように体を揺らした。
「移動魔法はかける相手によって効果が変わることもわかっている。非常に足が遅い者にかけても、効果は薄い。早く走れる者ほど、効果が高くなりやすい」
「ということは、いくら私に高レベルの魔導士様が移動魔法をかけてくれても、私の移動速度はあまり速くならないということですね?」
「そうだ。ルクレシアの足自体を鍛えないといけない」
なるほど。
「女性にはいいにくいことだが、足を鍛えろ。走れ。風を感じろ。後ろからでも前からでもいい。自分の周囲にある空気の流れが変わることを意識する。それが上達のコツだと私は教わった」
ということは……。
「走る練習だ。その間にルクレシアが発動に成功しそうな方法を考える」
走り込みから始めることになった。
夕食時。
私は倒れたい気持ちをなんとか堪えて食堂に向かった。
夕食は招待者だけで食べることになっているので、アルード様はいなかった。
「遅かったわね」
アヤナが一番に声をかけてきた。
「大丈夫? 回復魔法かける?」
「かけるなって言われているから……」
足を鍛えるには筋肉を鍛えなければいけない。
回復魔法を使ってしまうと、足の筋力を強化できない。
なので、足が痛くても回復魔法はなし。
今日は耐えるようにと言われてしまった。
つまり、明日の筋肉痛は確定。
「どんな授業だったの?」
「特訓です」
アルード様を含めた六人の講師による観察とも言う。
「病気になったでしょう? 健康のために少し体を鍛えたほうがいいとなって、マラソンの練習をしたのよ」
移動魔法のことは習得できる可能性が極めて低そうなので秘密。
健康的な体づくりと答えるように言われた。
「マラソン?」
「ルクレシアが?」
「走っていたの?」
「公爵令嬢だというのに?」
アヤナ、エリザベート、マルゴット、レベッカが驚いた。
「大変ですねえ」
イーラの口調から言って、私を気遣う様子は全くない。
ニコニコしているのが嫌みのように見え、非常に印象が悪かった。
「あの件はどうなったの?」
「言ったの?」
「こういう時こそ、言うべきでは?」
エリザベート、マルゴット、レベッカから睨まれた。
「疲れたので食事にさせて……」
私は運ばれて来た食事を食べ始めた。
「今週はずっと座学だって話していたのよ」
アヤナが全員で話していた話題について教えてくれた。
「前と同じだわ。内容は二年生用になっているけれど」
「イーラが全然わかっていないのよ」
「答えられないの」
「勉強が足りません」
「とまあ、授業中もこんな指摘があったわけ」
「イーラ、頑張っているのに……」
イーラは瞳をうるうるさせた。
「期末テストでは女子で五位でした! 十二位ではありません!」
レベッカの表情がより冷たくなった。
「六位よね?」
「五位ではないわ!」
すかさず指摘をするエリザベートとマルゴット。
「ちょっと間違えただけなのに……アヤナ様は寛大だから何も言わずにお許しくださったけれど!」
三人の強い視線がイーラからアヤナへ向かう。
イーラのせいでアヤナがとばっちりを受けていた。
「不毛です。他の話題にしてください」
ベルサス様もこんな感じのやり取りに苛立っていた。
「そうだな。皆で楽しめることを話そう」
カーライト様は優しく方向転換を試みた。
「イーラ、君以外は全員が貴族だ。ここは魔法学院じゃない。だから、身分差は考慮しないといけないし、きちんとした言葉で話すべきだよ」
「イアンに同意。冬休みに習ったはずだ」
「はーい!」
イーラは素直に返事をすると、にっこり微笑んだ。
「じゃあ、イーラから質問です! ルクレシア様はアヤナ様と親しくされています。マブダチってことですよね?」
モグモグ中の私は動きを止めた。
「マブダチ……」
アヤナは唖然としている。
「それは何ですか?」
最もこの場で頭が良いベルサス様はマブダチを知らなかった。
「えっ、ベルサス様はマブダチをご存じないのですか?」
「知らない」
カーライト様が言った。
「僕も知らないかなあ」
「聞かないよね」
イアンとレアンも顔を見合わせた。
「えー! もしかして、これは平民の言葉なのでしょうか? アヤナ様は元平民なのでご存じですよね?」
「聞いたことがあるような……ないような?」
絶対に知っていると思うけれど、アヤナは誤魔化した。
「もしかして、女子の一位だったルクレシア様も知らないのでしょうか?」
知っている。
でも、私は公爵令嬢ルクレシア・コランダム。
ここは知っているとは言ってはいけない場面だということも知っている。
私はもぐもぐしながら、自分の口元を指で示した。
口の中に食べ物がある時は話してはいけない。それがマナー。
つまり、もぐもぐしている人は話せないので、話を振ってはいけない。
「えっ? 私ってことですか? 違いまーす!」
通じていなかった。全然。
「違うわよ! ルクレシアは食事中でしょう!」
「口の中に食べ物が入っている状態で話すのはマナー違反だからできないの!」
「何かを食べている最中の人に話を振ってはいけません! それもマナーです!」
「イーラ、マナー違反はダメだよ?」
「ルクレシアはそれを教えようとしたんだよ」
「もぐもぐしているだろうということだ」
「今は話せない。話を振るのは失礼だということです」
「そうですか。せっかくルクレシア様とお話をしたかったのに残念です」
イーラはしょんぼりした。
「でも、大丈夫です! イーラ、待っていますから!」
私は軽く手を振った。
別に待たなくていい。つまり、他の人と話せばいいという意味だった。
「えー! あっちに行けですか? 食事中は勝手に席を立ってはいけないですよね?」
「違うわよ! 待たなくていいってことよ!」
エリザベートがキレ気味に叫んだ。
「他の人と話せってこと!」
「そうしなくていいという否定と同時に他のことをするようにということです!」
マルゴットもレベッカも怒りが爆発していた。
「怖いです……アヤナ様……」
アヤナ大きなため息をついた。
「アヤナ、ため息もマナー違反よ!」
「そうよ! 食事中でしょう!」
「不快さをあらわすのはマナー違反です!」
それは正しい。
でも、私はアヤナの気持ちを理解することができる。
私も盛大なため息をつきたい気分だった。




