84 宰相家
週末、私とアヤナはベルサス様の家――ジーヴル公爵邸に向かった。
ジーヴル公爵家は氷の系譜で、多くの騎士、魔導士、官僚を輩出している名家。
ベルサス様のお父様は宰相なので、ジーヴル公爵家の権勢はかなりのもの。
コランダム公爵家は火の系譜の名家ではあるけれど、そのせいで水の系譜や氷の系譜との貴族と婚姻関係を結ぶことは絶対にないため、疎遠な関係になっている。
私だけでは属性的にも家的にも不安だろうということで、アヤナも一緒することになった。
「ジーヴルっていうのはフランス語で氷花のことを意味するのよ」
「アヤナは博識ね!」
「ゲームの知識よ」
ゲームの知識でも、その名称や設定にはさまざまな意味が込められている。
ゲームの知識を活用することは、そのゲームを作った人々の知識、その人々を取り巻く世界の知識を活用することにつながる。
「ビビっていうのは愛称で、正式にはビビアンよ。その名前はフランス語で生き生きとした、活発なっていう意味があるの」
「そうなのね。でも、ビビは病気だわ。むしろ、その逆よね?」
「病気に負けないような名前をつけたらしいわ」
「それならわかるわ」
「ベルサス様は妹のことを溺愛しているの。とにかく励ませば、ベルサス様の好感度も上がるはず。宰相家の息子と仲良くしておくのは絶対に得だと思うのよ。コランダム公爵家のためだと思って頑張って!」
「気にしてくれてありがとう。でも、純粋にビビを励ましたいと思って来たから」
「わかっているわよ。私と違って打算的な目的ではないってことはね。あっ、ここがジーヴル公爵邸なのね!」
真っ白な石と氷の結晶の装飾が施されたガラス窓が特徴的。
まるで氷の宮殿のようだった。
「いざ、出陣よ!」
お見舞いに来たのにその言い方はどうなのよと思った。
「よく来てくれました」
ベルサス様に案内され、白い豪邸の中を歩いていく。
装飾には氷の結晶のデザインが取り入れられていて、いかにも氷の系譜の貴族という感じがした。
「ここがビビの部屋です」
アイスブルーの壁紙。
いかにもジーヴル公爵家らしいけれど、どこか寒々しい。
「ビビ、会いたがっていた客人が来ました。友人のルクレシア・コランダムです」
私とベルサス様は友人として認め合ってはいない。
でも、ベルサス様は私のことを友人として紹介した。
「それからクラスメイトのアヤナ・スピネールです。コランダム公爵家が後見をしています。光属性の使い手なので回復魔法も使えます。具合が悪くなった場合は対応してくれるでしょう」
アヤナのことはクラスメイト扱い。
たぶんだけど、私に励ます役を頼んだので、クラスメイトから友人扱いに昇格したのではないかと推測した。
「初めてお目にかかります。ルクレシア・コランダムです。ビビアン様にお会いできて嬉しく思います」
ビビはあまりにも細かった。骨と皮だけのようでとても痛々しい。
生まれた時から病気に苦しんでいるということが強く伝わってきた。
「こんにちは、コランダム公爵令嬢。私のことはビビと呼んでください。今日はビビのわがままを聞いてくれてありがとうございます」
ビビは九歳だけど、その挨拶はジーヴル公爵家の小さな淑女である証
私は泣きたくなるのを堪え、ベッドの側に寄った。
「お加減はいかがですか? 無理はしないでください。私も病気だった時はベッドで寝ていました。無理をしないことはとても大事なのです」
「大丈夫です。今日はルクレシアと会えるのを楽しみにしていました。とても綺麗な人ですね。お兄様に女性の友人がいるのは知りませんでした。もしかして、恋人ですか?」
えっと? ゲーム的恋愛補正?
「違います。ルクレシアは火の系譜。氷の系譜との縁談はありえません。ちなみにアヤナはアルード様の婚約者候補の一人です。やはり私との縁談はありえません」
ベルサス様がきちんと説明してくれた。
「ごめんなさい。知りませんでした」
「大丈夫ですよ」
私はできるだけ安心させるように優しく微笑んだ。
「今日はビビのために来ました。お土産があるので受け取ってください」
アヤナが水色のバラの花束を渡した。
「水色のバラなんて初めて見ました。ありがとうございます」
「どういたしまして」
「ルクレシア、椅子を使ってください」
ベルサス様が座って話せるように椅子を持ってきてくれた。
「アヤナにも用意します」
「自分で用意します」
さすがにベルサス様に持ってこさせるわけにはいかないとアヤナは判断したらしい。
「待っていれば持ってきます」
「お気にされず。ベルサス様はご自分の椅子を確保されてください」
ベッドの奥側にある椅子にベルサス様が座り、手前側に置いた椅子に私とアヤナが座った。
「実はお願いがあるのです。水色のバラをベッドサイドに飾ってビビから見えるようにして、毎日水を交換していただけませんか?」
「わかりました。見舞いの品ですので、そのようにするつもりでした」
「ビビ、このバラは私からのメッセージです。毎日見てください。きっと病気は治りますよ」
私は自分が魔力放出症になった時のことを話した。
「病気は個人差があります。治癒するまでにかかる時間も違います。でも、私が白魔導士や魔法医から聞いた話では、魔力放出症は珍しい病気ではないそうです」
魔力持ちであれば誰でもなる可能性がある。
この病気にかかることで魔力があるとわかる子どももいる。
長期になるほど大変ではあるけれど、不治の病ではない。
普通は魔力が回復するか成長して増えると治ることを説明した。
「ビビはまだ小さいです。治るまでに時間がかかるかもしれませんが、ジーヴル公爵家は氷の系譜の名家。ベルサス様は魔力が豊富です。ビビも成長すれば魔力が増え、だんだんと治っていくと思います」
「そうですか」
ビビは頷いた。
「でも、ビビは九歳です。ルクレシアは十六歳です。七つ違います。私は七年も生きることができるかわかりません」
突如大量の雪が上から落ちて来たような気分になった。
「ビビ様は考えすぎでは?」
ずっと黙っていたアヤナが発言した。
「ご病気が長いのは知っています。でも、魔力放出症による死亡率が高いのは乳幼児です。ビビ様はその期間を乗り越えました。ジーヴル公爵家であれば、高名な白魔導士や名医を手配できます。ビビ様が病気であっても長生きできると思います」
「長生きなんかしたくないです」
ビビはアヤナを睨んだ。
「魔法ですぐに治らない病気だと、回復魔法は薬と同じ扱いです。一日に使える上限があるので、ビビは苦しくても我慢しないといけません。ずっと回復魔法の時間になるのを待つだけ毎日です。死んで生まれ変わったほうがいいのに」
長い闘病生活はビビの心をむしばみ、生きる気力を削いでしまったのだと感じた。
「ずっとベッドにいるなんてつらいですよね」
私はビビの心に寄り添いたかった。
「私もそうでした。心はつらいし、寝すぎて逆に腰が痛くなりました。でも、安静にしていろと言われてしまうのです。なので、使用人がいない時は起きて、ソファで本を読んでいました」
「ビビは一人で歩けません。車椅子は緊急避難の時に使うものなので、普段は乗せてくれません。どこにもいけません」
「では、少しだけ私と外に行きますか?」
「行きたいです。お兄様、いいですよね?」
ベルサス様は困ったような表情をした。
「私が回復魔法をかけます」
すかさずアヤナが言ってくれた。
「わかりました。今日は体調が良さそうなので、少しだけなら大丈夫でしょう。ですが、回復魔法の使用回数は決められています。かけなくてもいいように注意してください」
「わかりました」
「ガウンを着用したほうがいいですよね?」
「肩にかけてあるのを着ればいいと思います。車椅子と靴を用意します」
「必要ありません」
私はビビに浮遊魔法をかけた。
「あっ!」
「浮遊魔法があれば車椅子も靴もいりません。地面に着地しませんから」
私はビビの肩から落ちたガウンを拾う。
浮いたせいで毛布の下に隠れていた足が見えた。
まるで骨のように細い。
私は涙を堪えながらガウンをビビに着せた。
「楽しい思い出を作りましょう。そして、怒られないうちに私は帰ります」
「そうね。宰相のジーヴル公爵に怒られたら大変だわ!」
アヤナが笑顔を作った。
できるだけ楽しい雰囲気になるように協力してくれている。
「ベルサス様、申し訳ありませんがアヤナと二人で下に降りてください。魔力を節約したいですし、ビビのコントロールに集中したいのです」
「わかりました」
私はビビの手を取ると、ゆっくりと歩き出した。
「ビビは歩かなくて大丈夫です。私が移動をコントロールします」
「すごいです! ビビ、こんなの初めてです!」
氷属性は風属性の反属性だと言われている。
それは氷属性を得意とする者が浮遊魔法を使えないから。
だからジーヴル公爵家の人は浮遊魔法を使えないし、ビビにかけることを考えない。
「私は火の系譜ですが、浮遊魔法も使えます。ですので、風の心得を特別に教えますね!」
「ルールのこと?」
「そうです。風の心得その一。ドアから出るのは面倒なので窓から外に出ます!」
私は窓を開けた。
「行きますよ!」
「ええーーー!」
私は自分に浮遊魔法をかけると、ビビと一緒に窓から外に出た。
「すごいです……」
ビビは空中に浮いていることが信じられないというような表情で下を見た。
「高い……」
「三階の高さだからです。では、風の心得その二。階段も必要なし。浮遊魔法で上下移動をします!」
私はビビを優しく抱きしめると、エレベーターのようにゆっくりと下に降りていく。
でも、地上に降りることはない。浮いた状態を維持する。
なぜなら、ビビは靴を履いていないから。
「どうですか? 風の心得なので、氷の魔法使いは習いません。ベルサス様は博識ですが、知らなかったら自慢できますよ」
「あとで聞きます!」
ビビは顔を輝かせた。
「お兄様は何でも知っています。でも、氷の魔法使いです。風の心得については知らないかもしれません!」
「ベルサス様とアヤナが来るまで適当に飛びますね」
「はい!」
正直に言うと、私は浮遊魔法の応用である飛行魔法を使いこなせていない。
でも、ゆっくりと横に移動することはできる。ゆらゆら飛行も。
私にとっては飛行の練習になり、ビビにとっては面白い遊びのようになると思った。
「雲になった気分を味わってください。ふわふわと浮きながら、ゆっくりと風に流されている感じです」
「そうですね!」
風の魔法使いが見たら、なんてへたくそなんだだと言われてしまいそうな飛行状態。
でも、ここには風の魔法使いも浮遊魔法の使い手もいない。
私は安心してビビと一緒にゆらゆら飛行を楽しんだ。
「そろそろおしまいです」
「えー! せっかく楽しかったのに!」
「体に負担をかけてはいけないからです。アヤナとベルサス様も来ました」
「お兄様!」
ビビは笑顔で手を振る。
その様子を見たベルサス様は嬉しそうな笑みを浮かべた。
「ビビ、大丈夫ですか? 体調が悪いならアヤナに回復魔法を頼みます」
「大丈夫です。でも、終わりだと言われてしまいました。もっとルクレシアの魔法を楽しみたいです!」
「ルクレシア、もう少しだけお願いできませんか?」
妹を溺愛するベルサス様らしい言葉だった。
「申し訳ありませんが、今日はここまでにして帰ります」
「そんな!」
「ビビ、私も魔力放出症だったことを話しましたね? 魔力の使い過ぎには注意しないといけません。今度来るときはビビの好きなお菓子を持ってきます。何が好きですか?」
「アイスクリーム」
私とアヤナは顔を見合わせたあと、ベルサス様を見た。
「ジーヴル公爵家の伝統なのです」
ちょっと恥ずかしそうな表情をするベルサス様。
新たな一面を発見したと思った。




